こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は毎日こうして何不自由のない生活を送っているはずなのに、
ということに気付かされました笑。
毎日、朝から晩まで英語の話をしたり教育の話をしたり。
これは普通ではできないようです笑。
「続けること」とは、誰にでもできるものではないからです。
ただ、なぜ僕がこうして毎日を必死で生きているかといえば、
と思っているからでしょう。
今日は僕の「異常性」が生まれた理由について、書いていきます笑。
まずは自分の人生について深く考えること
2020年、全世界をコロナが襲いました。
その年、どうしても人から指摘されるのがイヤだった僕は、「死んでもマスクをしたくない派」でした笑。
もともとマスクをするのがキライだった僕は、あの時代、本当に苦痛でしかありませんでした。
体育館で誰もいない中でダンスを練習してても、
と指摘されたくらいです。(ウソでしょ?笑)
まぁそれくらい、日本も世界も「病気」になっていたんですよね。
その時にたくさん考えたことがありました。
- 人生をどうしたいのか
- これからどう生きていきたいのか
皮肉にも、コロナがいろんな人の考え方を良い方向へと変えたことは、誰も否定できないことだと思っています。
僕もそのうちの一人でした。
離婚をした直後でもありましたから、何かと感傷的になっていたこともありました。
その時に僕を救ってくれたのが、「本」でした。
たくさん勉強してきたはずなのに、全然何もわかっていなかった自分。
「自分の人生のこれから」について、本当にたくさんのことを考えました。
一日中散歩したこともありましたし、カフェでずっと本を読んだ日もありました。
それくらい、「自分と向き合う」ということ。
それができて初めて、「自分の行動の意味」がわかってきます。
もちろん、先に行動してしまう人もいるかもしれませんし、それはそれで大丈夫です。
でもそこには、必ず何かしらの「マインドセット(=思考や考え方の指向)」があるはず。
突き詰め続けたその先に、今の僕がいると思っています。
多数派になりたいかそうでないか
それからの僕は、文字通り「異常」となりました笑。
もともとストイックにやることは好きでしたが、
と、強く願うようになりました。
さらに僕は、
ということをイヤがってましたので、この「あまのじゃく気質」は僕の異常さを加速させました。
「誰がなんと言おうと」やってしまうからです笑。
- 人生について方向性が見えたら
- あとはそこに向かって突っ走っていくだけ
というとてもシンプルな性格が、見事に僕を「変態」へと誘(いざな)ってくれたというわけですね笑。
「多数派を嫌う僕」だったからこそ、自分の人生について自分なりに考えたのだと思います。
この「自分なりに考える」という姿勢が、みなさんが意外と持てないものです。
とはいえ僕も、多数派に流されたことは何度もありました。
でもコロナの時には、
と、ずーっと思っていました。
つまり、コロナが僕の「あまのじゃく」を逆撫(さかな)でし笑、より「オリジナル」へと向かわせるようになったのです。
こう思えたことが、
- 教員を退職
- 世界一周の旅
- 自分なりの事業
といったステップを踏ませてくれるきっかけとなりました。
もちろん、
と考えていたからこそ、
と、考え方をシフトすることができました。
これらは密接に繋がっていて、
- 「自分の」人生について考えるから
- 人と違ったことをしても迷わなくなる
のですね。
多数派を嫌う人は、自分の人生を強く生きている人が多い印象です。
みなさんはどちらになりたいですか。
僕は今、唯一無二の存在になりたいと思って、人生を生きています。
明日はいつ来なくなるかわからない
これも何度かテーマで掲げたことでしたが、人生とは本当にいつ終わるかわからないものです。
と楽観視している人ほど、今の時間を怠惰に生きがちです。
僕が人生を楽観視しなくなったのは、
- 本を読み
- 多くのところを歩き回ったから
でした。
と思われる方もいるかもしれませんが、僕は土砂降りの中新宿御苑に行って、独りただずんでいたことがありました笑。
その時に、
と、なぜか唐突に悟りました。
それから「異常さ」に拍車がかかったのは笑、それから常に「人生の終わり」を意識するようになったからでした。
- ワンピースを読んでも
- 飯能の大自然に感動しても
- ジブリのピアノメドレーを聞いても
涙が自然と溢れてしまうのは、
- 今の現実が奇跡であること
- こうして今、現世にいること
を深く感じているからです。
と思われる人もいるかもしれません。
こう考えられるようになったのは、いろんな場所を歩き回ったからでもあり、かつ世界中でいろんな人と出会ったからでもありました。
だからみなさんには、「別の世界の人と会うこと」をオススメしますね。
「死を意識している」というよりも、「今を意識している」と言うほうが、僕は好きですかね。
どんな災害が来ても、予測不能なことが起きても、僕は僕らしくしぶとく生きていくのだと思います笑。
この「今」への執着が、他の人との違いを生み出してくれました。
全くもってエラいわけではないのですが汗、こうして毎日を必死に生きることができているのは「意識の違い」に尽きると思っています。
決して、
なんて思ったことはありません。
それでも、
- できる限り一所懸命に
- 与えられた時間にムダがないように
生きようとは思っています。
みなさんは、
と、今日の今日まで思えていますか。
以前の僕は、全くそうは思えていませんでした。
その後悔の上に、今の僕がいます。
来年、再来年に、みなさんが会う “自分” は今の自分よりも成長できていますか。
僕はもしかしたら、もう来年にはこの世から消えているかもしれません。
だから今を、一所懸命生きています。
死ぬ時に、後悔したくないからです。
おわりに
僕が異常なまでに生きるようになったのは、
- 人生について考え
- 他とは違った生き方を選び
- 今を意識するようになったから
でした。
みなさんは、自分について考え、自分らしく今を生きていますか。
僕は僕自身に恥じないように、今を楽しく必死に生きています。
過去の自分にも誇れる、そんな毎日を生きていきたいからです。
それではまた!
僕が先生をどうしてもやめられなかったのは、君たちが成長していく姿を最後まで見ていたかったからだ。
君たちはこれから苦しいことも辛いことも経験していくだろう。でも僕が信じていることは、君たちの未来は明るいということ。
僕は君たちの前を走っていく。その姿が君たちへの答えになるように。 pic.twitter.com/VgkOB8U1gd— せいじ@ストイック (@seiz_suzuki) March 2, 2023
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