雑談

大抵はみんなその人の努力を知らない【1,700記事目に寄せて】

ブログを続けるには、まず自分が健康でなければならない。これを怠った時点で、4年も5年も続けることはできないのだ。今回はM-1の時期と重なったため、彼らの素晴らしさも感じつつ続けることの意味を学んだ。やはり人間、純粋な「好き」に勝るものはない。結果的に続けてしまうからだ。だからせいじはまだ続けてゆく。それは成功のためではないのだ。
投資

30代になって初めて伝統芸能を見る【能の不思議に迫った男の末路】

せいじは生まれて初めて「能」を体験することになる。しかしあまりにも初心者すぎて、なぜ動かない人が舞台に立っているのか、何が美しいのかという疑問が湧いてきてしまったのだ。しかしそこにある「語らない美学」、つまりは「秘すれば花」という精神性が日本の美を象徴していることに気がついた。文化や伝統は守られていくべき。日本の精神と密に繋がっているのだ。
雑談

改めてまた謙虚になってゆくこと【先生という立場に乗じない】

教員や教える立場になると、人とは傲慢になりがちだ。そうなるのではなく、自分が上の立場になった時は細心の注意を払っておこう。男というだけでも圧があるだけでなく、傲慢な態度でいる人に人は寄ってこないからだ。正しく誠実であることも大事だし、そこに自信を持てるほどの勉強や経験も必要だ。どんどん学んでいこう。
雑談

人の思想に立ち入ることは違憲なのではないか?【大事なのはその過程】

先日、都議会で変な条例が可決された。その過程も内容も杜撰であり、国民の理解をまともに得られているとは到底思えないものであった。しかしこうした国民の声が、多くの議会や自治体に影響を与え始めている。せいじも一国民として声をあげたいと思っているわけだ。学校や会社でも決議に至るまでは慎重な議論がなされる。都議会だけ強引さが許されてはいけないのだ。
幸せ

人間は理由を探してしまうけれど…【好きなものには理由なんてない】

好きなものに理由なんてない。これは意外にもみんなが避けて通りがちな言葉だ。人間、どこかに理由を探したがる生き物だからだ。極端に言ってしまえば、人間の生活のほとんどが「豊かになりたい」という欲求からきているのであって、ムダと言えばムダなものなのだ。でもそこに幸せを感じるのであれば、それらを大切にしたらいい。それが人生だからだ。
人間関係

何事も少しずつ丁寧に進んでゆくこと【ゆっくりと着実に】

少しでも感謝されると、それだけでせいじは感動するし、より教育事業に関わっていこうと思うようになる。大切なのは何に幸せを感じるか、だ。せいじはゆっくりと着実に人生を進めてゆくことが、自分の幸せだということに気がついた。大きく飛躍することも大事かもしれない。しかしそれだけが人生でもない。投資も一緒だ。ゆっくり積み上げていこう。
雑談

真剣に何かに取り組むことは大事なこと【真面目くんのたどり着いた場所】

せいじは昔っから真面目を絵に描いたような真面目人間だ。しかしそれは、何かに情熱を捧げて熱くなれるという意味でもある。何かに対して真剣な人に対して、外野がとやかく言う権利はない。同じフィールドで戦っている人たちからすれば、そんなこと言えるわけないと思うのが普通だからだ。真剣に生きている人には人が集まる。みんなが求めているのだ。
投資

英語だけ特別視しなくたっていい【英語はもはや趣味程度のもの】

英語を教えている身であるせいじとしては、是非とも英語は必要だとふれ回りたいところだ。しかし彼はそう思っていない。英語は趣味程度だと感じているし、やりたい人がやればいいという前提がある。日本では英語がなくても生きていけるからだ。その上で、本当に学びたい人にアプローチしてゆくこと。せいじは教育者として、どうするか考えている。
人間関係

徹底的にリラックスして遊ぶ日を作る【サウナでしっかり減量】

せいじは久しぶりに友人たちとサウナに行った。久しぶりと言っても、定期的に出向いてはいるため、別に普通のことだ。しかし今回は、熱々のサウナでしっかりと3セット。そのおかげで、コロナ禍の時の自分や、マインドフルネスをしっかりしたことでととのうことができた。節制も効いていたからか、体も仕上がってきた。続けていこう。
幸せ

自分の最期についていつも考えている理由【今日を精一杯生きる】

冬の美しい毎日を送っていたせいじは、ここまで生きてこられたことに幸運さを覚えていた。せいじが30年以上も生きてきた中で、いろんな人たちがすでに若くしてなくなっていっている。そう、せいじはたまたま生きていただけなのだ。それを幸運と言わずになんと言おう。だから毎日を正しく生きることだ。大きいことはしなくていい。後悔のないように。
人間関係

他の人の痛みもわかれば相手を理解できる?【痛みの強要は不要】

この記事を読んだときに、せいじもまた多くのコメントと同じような気持ちになった。人の痛みや気持ちとは、それを体験した人にしかわからないとはいうものの、その程度とは個人によってかなり異なってくる。相手を理解させようと強行手段に出ることは好手とは言えない。100%理解してもらうことは難しい。だからもっと違う形を模索していこう。
雑談

どうして僕はこんなにも日本を好きになったのか?【ある程度排外的になる】

せいじは元々リベラルだったし、海外から帰ってきた時も日本の静かで落ち着きすぎている感覚に嫌気がさしていた。しかし海外を見て回ってから日本にきて、改めて日本のことについて調べれば調べるほど、稀有な国家であることに気がついた。今盛んに話題になっているグローバリズムと戦うには、ある程度の排外志向は必要。国家として存続するための必須条件なのだ。
幸せ

小さなプライドを捨てて自分らしく生きること【目の前のことを大切に】

せいじはその昔、自分が何か特別なものになれると過信していた。若さゆえのものでもあったが、実力が伴わなければただの小さなプライドと化してしまう。小さな努力を何年も重ねることで生まれることはある。それをせずに「何か大きなことを」と思っている人は注意したほうがいい。目の前のことすらできなければ、大きいことなんてできやしないからだ。
幸せ

「生」を感じながら生きる男、再び【節制から見える澄んだ世界】

少し節制を始めたせいじは、また世界の美しさを感じるようになった。名古屋で訪れた名古屋城や熱田神宮で美しい日本を感じると同時に、足るを知って人生について深く考えるリソースを得ることができた。追い込むことはしんどいことかもしれない。しかし、特に男は自分の自己肯定感の向上にも繋がるため、一度やってみるといい。見えてくる世界がクリアになるのだ。
投資

30代後半も節制をして鍛える【さらにサムライを目指す男】

せいじは再びコロナ禍以降にトランスフォームした頃を思い出す。食生活を見直し、さらに筋トレも若干増やすことにした。おかげさまでまたバキバキの体に戻ってきた。その感覚でいると、やはり自然と足るを知るようになる。もっともっと追い込めるはず。そう思って今もダイエットを続けているが、やりすぎは禁物。体と対話しながら進めていこう。
タイトルとURLをコピーしました