忙しくなりすぎたらちょっと立ち止まること【いつでもバランスを】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと話していますと、

自分で事業を立ち上げ、会社経営をしていたけど、なぜかこう見えないライバルと戦っていて「もっと事業を大きくする!」って躍起になっていたんだよね

というお話を聞きました。

比べてみれば僕なんてまだ2年目ですし、別に会社を立ち上げたわけでもありません。

確かに、こうした競合とは際限がないものなのですよね。

生徒さんからは納得感のある意見を頂けましたので、今日は「少し立ち止まること」について書いていきます。

忙しく働きまくることもまた大事だ。ただ、何かに偏りすぎるとダメになってしまう。適度に休んでいこう。

求めても上には上がいる

何においてもそうなのですが、上には上がいるものでして。

この資本主義社会の中で生きていますと、

もっと稼がなければ!
もっと結果を出さなければ!

と思いがちです。

僕も毎日、時間の限り働いたり作業をしたりしていますが、それは何より自分の幸せのためでもあります。

しかし、先述した生徒さんのように、

もっともっと会社を大きくするのだ!

という点 “だけに” フォーカスを当て続けていますと、大事なものを見失ってしまうのだということも、また事実なのです。

僕もFIRE(=経済的自立、早期退職)については随分と書いてきましたが、今の仕事をできる限り続けていきながら、要は「幸せ」を保ったまま、

まぁ事業が大きくなったら、それはそれでいいかな

くらいにしか思っていません。

ただただ「働き続けることは悪なんだ」と批判したいだけではなくて、

自分としっかりと相談した上で、理想の生活を掲げることができているのか?

という点が大事なのです。

もし漠然と「稼ぎたい」と思ってしまったら、

じゃあどれくらい欲しいの?ビルゲイツやバフェットのようになりたいの?

と思われても、別に不思議ではありません。

だってそれだけ不明瞭で漠然としているからです。

むしろ、

いや、自分にはこれくらい必要だから、いい按配で仕事も私生活もバランスを保ちたい

こう思えている人の方が、しっかりと目標に向かえている印象を受けませんかね。

働くことは素晴らしいことです。

会社を大きくすることもまた、素晴らしいことです。

僕は元々公務員でしたから、もしかしたらそういう経済的な欲求がないのかもしれません。

小さな幸せで満足できてしまう人間でもありますし笑。

ただ間違いない真実とは、「際限のない戦い」とはいつまでも続くということです。

上には上がいる。上を目指してゆくことは悪いことではないが、他人と比べて目標を決めるのではなく、自分なりの目標に向かっていこう。

土俵から降りてみる

僕が個人事業主を始めた当初も、

バイトでもなんでもいいから、月に何十万って稼いでみたい!

と思っていたことがありました。

正直、働きまくればそれだけの “金額” は達成できるのですが、

いや、それは違う

と思い、やらないようにしました。

この「際限のない戦い」にずっと浸り続けていますと、大事なものを見失ってしまうと思ったからです。

若かった頃は、

俺は年収何千万円で〜

なんて自慢している友達もいたような気がしましたが、今は半分冗談で、

いやぁ〜僕は超貧乏ですし、お金ないですから汗

と言うようにしています笑。

結果的に「働くこと < 自由な時間」という等式を成り立たせる方が、僕にとって必要だという結論に至りましたしね。

  • 日中に図書館にフラッと行ったり
  • たまに友達と飲んだり旅行したり

いまだに「家族がいないからこそ」できることでもありますけれど、

いやぁ、今死ぬほど働いたところで…

と思ってしまうのです。

あえてその競争から降りつつも、毎月黒字にするように努めること。

それだけでも、年間で100万近くは貯めることができます。

ずっと黒字であれば、それでいいのです。

あとは、余剰資金をどんどん投資に回すこと。

事業の拡大や新しいことへの挑戦は、その都度やっていけばそれでいいのかなと。

若かりし頃に「イキっていた」友人のようになる必要はなくて、自ら「自分の幸せ」のために選択をしてゆくこと。

これは決してわがままではありません。

まずは「自分ファースト」にして余裕を持つこと。

そのためには、無意味な戦いには参戦しないことです。

いつまでも競い合っていても、終わりのない戦いを続けることになるだけですからね。

あえて土俵から降りてみることだ。そうすることで、延々と続く戦いという呪縛から逃れられる。自分なりの人生を設計し、生きていこう。

自分にとって大切なこと

生徒さんと話していて思ったこととは、

そういう時もあっていいけれど、やっぱり最終的には「自分なりのこだわり」へと返ってくるものなのだな

ということでした。

どんなに隣の芝が青く見えても、自分なりの「軸」みたいなものがしっかりとない限り、ずっと納得しないままの人生になってゆくのだなと。

もちろん、何度も書いている通り一所懸命頑張ることもまた大事なことです。

無我夢中にガムシャラに、何かに熱中できるのも若い頃の特権ですし、多くの人のために大きなことをすることもまた素晴らしいことです。

しかし、それが行き過ぎてしまった時、つまりは、

  • 見栄
  • 焦り
  • 結果

などが自分の目標になってしまった時、

あれ?なんか違うなぁ…

となるのではないのかなと。

そうやってちょっと「競い合いすぎる場所」から離れてみますと、自分にとって「本当に大事なこと」がわかってくるのだと思っています。

何が正解なのかは、自分なりに探していけばいいだけのこと。

あまりにも急ぎすぎてしまいますと、旅の途中の花々や美しい景色を見ている「」がなくなってしまいますからね。

僕は僕なりに「こうだと思う」という生き方を模索し、それを突き詰めてゆくことにしています。

その中で、

  • どのくらい稼げばいいのか
  • どういう人生にしていきたいのか

という、ある程度の青写真を描いておくことです。

僕はおかげさまで、「ちょっと休むこと」を覚えました。

追い込んで高みを目指してゆくこともかっこいいですが、先日話した生徒さんのように、先を求めすぎると「反動」があるようだからです。

たくさん働こうと思ったけど、それだとなんだか失うものもある気がする…

そう思えた僕は「人生の夏休み」と称して笑、

  1. 世界旅行をし
  2. 個人事業を始めた

のでしたね。

この小休憩がいつまで続くのかはわかりませんが笑、今はリラックスしながら毎日を過ごそうと思っています。

9年間とはいえ、ちょっと「変な風に」頑張りすぎたかなと。

教員生活で追い込んでいたわけではありませんが、今の方が秋晴れの美しい空を、以前よりもゆったりと眺められているような気がするのです。

自分にとって大切なものとはなんなのか。

これを探して行った結果、「今」にたどり着きました。

でもまだまだこれから。

いろんなことを考えて試しながら、たまに休んで生きていきたいですね。

一所懸命働いたり、ゆったりしたりするなどして、適切な按配で生きていくことだ。特に急ぎすぎていると思ったら、一度深呼吸して休むのがいい。

おわりに

一所懸命働いて稼ぐこともまた、「正義」だと言えます。

「働き控え」なんてする必要はありませんからね。

ただし、あまりにも根(こん)を詰めすぎているとすれば、それは休む合図なのかもしれません。(そう言っておきながら休まないのが僕ですが)

たまには「人生」でもゆったりして、自分の大切な時間を過ごしていきましょう。

それではまた!

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