時には愛を受け止めることも必要【相手のGIVEも素直にもらう】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、鹿児島に行ってきた時に、友人からこんな言葉をもらいました。

せいじは与えることを大切にしているかもしれないけど、受け取ることも大切なことなんだよ

これには衝撃を受けました。

与えることに注力しすぎて、僕はもらうことを忘れていたのです。

もちろん、今でもそのスタンスは崩れていないのですが(本当に忘れている)笑、

これを機に、少し考え直さなければいけない部分もあるんだな

と思いました。

今日は「素直に受け取ること」について、書いていきます。

与えたいという気持ちを素直に受け取ってみよう。その関係は良好で持続可能だ。ただ僕は、お金以上のものを受け取っていたのだ。

与えたいと思う人がいる

僕が誰かに与えたいと思うように、周りの人もまた、

せいじに何か与えたい

と思ってくれている、ということでした。

ま、まさかそんなことが?!

と驚いていますと、どうやらそうらしいのです。

与えれば与えるほどに、受け取ることができる不思議。

与えることに一所懸命になりすぎて、受け取ることをすっかり忘れていた僕。

その想いにもまた価値があるということも、忘れてはいけないんだったな…

そう思い出しました。

とても嬉しいことですし、そう言っていただけることは本当にありがたいことです。

ただ僕は、

  • 頑固なのか
  • ポリシーなのか

は判然としませんが笑、立場もありますし「受け取ること」をずっと「0(=ゼロ)」にしてきました。

うーん、なんかこう、要らないというかなんというか…

ただ「受け取ること」に慣れていないだけなのかもしれませんが、いろんな形の「GIVE」を始めてからも、確かに感謝の形としての「お金」をもらったことはほとんどありませんでした。

間接的にプレゼントをいただいたり、いろんなところに連れて行ってもらったりはしましたが、相手の与えたいという気持ちは、「できる限りいなしていた」というわけです。

せいじに対する感謝の気持ちを持っている人がいることも、知っておいたほうがいいよ

なるほど。

とても大切なことを学びました。

そのような「気持ち」を受け取るかどうかは別にしても、

「それらが存在していることを知っておくこと」

これは大切なことですよね。

与えることもいいことだが、そのGIVEに対しての「気持ち」が存在していることも忘れてはいけない。

素直に受け取れない理由

僕が相手からのGIVEが受け取れないのは、先述した通り「慣れていない」ことが大きな理由です。

また「申し訳ない」という気持ちもありますし、とにかく、

いい!いい!大丈夫!要らないよ!

と思ってしまうのです笑。

これは「以前の自分」とは大きく違います。

以前の僕は、

  • もらえるのであればできる限りもらい、
  • 何かくれないかなとずっと待っていた。

というレベルでしたからね笑。

それが今となっては「いい!いい!」と拒否するくらいなのですから、人間とはわからないものですね。

上記のような「受け取れない性格」があることも大きな理由ですが、一番の理由は、

「僕自身がまだ、受け取る体勢ではない

ということだと思っています。

「慣れていないこと」ともリンクしますが、今は先生という立場もありますので、

  1. しっかりとそこにフルコミットして、
  2. ちゃんとしたものを提供して、
  3. その対価としてお金をいただきたい。

このようにまだ、自分のGIVEが「中途半端である」と思ってしまっているんですよね汗。

別に完璧主義ではないのですが、対価をもらうにはしっかりとした体勢(体制)で受け取りたいと思っているだけなのです。

プラットフォームと言いますか、「自分が胸を張って提供しているものかどうか」と聞かれますと、

  • 英文法授業
  • ダンスレッスン
  • 人に会いに行くこと

などは、

もっと「ビジネス」のように、きちんとできる余地がある

と感じているのです。

そこまで深く考える必要もないのですけれど、僕はしっかりと「先生」という職をまっとうしてから、受け取ることを始めていきたいのです。

頑固というよりも、今はあまり受け取る余裕がないと言ったほうが適切かもしれませんね。

ちゃんと「場」が整ったときは、感謝としての対価を受け取ってもいいのかもしれません。

シンプルに「受け取る必要はない」と思っていた頃に比べれば、今は友人たちの助言もありますので笑、

いつか体勢(体制)を整えてから、しっかりと受け取ろう

と思うようになりました。

それでも、今は特に「受け取りたい」と渇望しているわけでもありませんから、「純粋に与えている時間」はとても心地が良く、最高に幸せですね。

受け取るにも、ある程度の余力はいる。今は与えることで精一杯なのだ。

すでにお金以上のものを受け取っている

ここ1〜2年で、多くの人と出会い、様々な経験をさせてもらいました。

そうした、

  • 無形の財産
  • 社会資本(=人との繋がり)

は、僕をただただ幸せにしてくれました。

何かの「形」として有形なものをもらうことに抵抗があるわけではありませんが、今でも十分なくらい、周りの友人や同僚、仲間や家族から「大切なもの」を受け取っています。

数年にわたって考えに考え、各地を歩き回ってからというもの、僕は「ある境地」にたどり着いていました笑。

僕が出会う人々は、「全員が善良な人」とは言わないものの(人間ですからね汗)、ほとんどの方々は僕が尊敬することのできる、素晴らしい人たちばかりでした。

え?せいじって英語とかダンスとかやってるし、本当に尊敬してるの?

たまにこんなことを思われることもあります。

これは裏を返せば、

俺が一番だ!

と言っているようなものです笑。

もちろんそんなことはありません。

僕がいうところの「尊敬できる人」とは単純に、

  • 優しい人
  • 心が温かい人
  • 頑張っている人
  • いつも笑っている人
  • 考え方がしっかりしている人

など、人として大切なものを持っている人たちのことです。

自分のほうがすごい

そう思っているうちは、上に書いたような人たちを尊敬することなんてできません。

僕の周りの人は、そんな「人として大切なもの」を持っている人たちばかりでした。

それでもお互い、

  • できないこと
  • 教えてほしいこと

はいくらでもあります。

「人として大切なもの」を持っている人たちと、相互作用をしていくこと。

これほど気持ちが良いものはありませんよね。

僕は与えることと同時に、多くの知識や経験、そしてそれ以上に多くの「」を受け取ってきました。

これだけの愛があれば、もうそれ以上は要らない

そう思うような毎日が続き、やっと「探していた幸せ」を見つけることができました。

「幸せ」を感じれば感じるほどに、

それ以上のお金を受け取ることはできない

と思っているふしも、実はあります。

「お金以上に、大切なものはある」

とてもクサい言葉ですが、僕は実体験をしたために、これは真実だと思っています。

お金は後から、どこかで必ずついてくるはず。

だからこそ、今は受け取ることができないのでしょうし、すでにそれ以上に大切なものを受け取ってしまっていると感じているのです。

僕はお金以上に大切なものを受け取ってきた。だからもうこれ以上は今、受け取ることができないのだ。

おわりに

僕はお金を受け取ることが苦手になっていました。

お金がなかった学生時代は、少し歳も上がってきていたのにもかかわらず、お年玉が嬉しかったものです笑。

それだけあの時は、

  • 人に与えることができず
  • 経済的にも精神的にも飢えていた

のです。

ある程度の経済的余裕があるからこそ、与えることができていますが、このまま資産が減っても、僕は変わらずに与えていると思います。

それが僕の到達した境地であり、素晴らしい景色の見える場所でした。

今後は「相手の気持ち」も大切にしなければなりませんから笑、いろいろと身の回りが落ち着いた時に、何か上手い体制を作っていこうと思います。

それではまた!

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