子どもは大人のマネをする【あなたは誇れる背中を見せられてる?】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、参加しました豊田真由子さんのタウンミーティングでは、

子どもは大人のマネをする

という趣旨の話を聞きました。

今でも「救いようのない大人」とはたくさんいますが、それは時代が作った人たちでもあり、「どうしようもなくそうなってしまった人」も中にはいらっしゃいます。

僕だってこんな偉そうにブログを書いていますが笑、

果たして誇れる背中だろうか?

と思うと、甚だ疑問ではあります。

以前は教員でしたので、いかに生徒たちにとっての「ロールモデル」となれるかということを、常に考えていました。

今日は「大人の背中はいつも見られている」という趣旨で、書いていきます。

あなたの背中は、子どもたちに誇れる背中だろうか。僕もそれを常に考えながら、生きるようにしていこうと思っている。

勘違いをしていた自分

若かりし頃とは、誰もが視野を広く持てず、勢いで生きているフシがあります。(偏見笑)

中には大人びた若者もいますが、ごくわずかです。

僕も若かった頃は、かなり「リベラル寄り」でしたしね笑。

イキっていた僕は、

  • 強い男
  • 勉強できる男
  • 結果を出した男

などが「かっこいい先輩」だと思っていました。

当然、勘違いもいいところでして笑、

  • 他人を守る強さ
  • 男としての優しさ
  • 日本人としての礼節

などが完全に抜け落ちていました。

しかし僕が思うに、「こういう時期」とは誰にでもあって然るべきだなとは思っています。

よく保守的な生徒さんともオンラインで話すのですが、

若い時なんて「日本をぶっ壊すぞ」くらいの左寄りでいいのよ!

と言われます笑。

僕も概ね賛成です。

僕が若かった頃も、そうだったからですね。

もちろん、意見を肯定しているわけではありません。

ただ若い時は、

この日本を変えるんだ!

くらいの勢いでも問題ない、ということ。

こうした熱量とは、大人になるにつれて薄れてゆくものだからです。

僕も若い時は「何が男としてかっこいいか」みたいなことを考えていましたが、今は、

漢として何がかっこいいのか

というように、漢としての本当の強さについて考えていますね。

若い時は、いろいろと勘違いをしながら生きていたものだった。しかし、若い時は若い時なりのエネルギーがあるから、それでいいのだ。

子どもは大人のマネをする

さて、豊田さんの講演では、彼女が「いかにいじめられたのか」についてのお話も聞きました。

彼女のお子さんも、スキャンダルを機に相当いじめられていたようでした。

しかし、彼女はいじめっ子たちを責めませんでした。

自分の蒔(ま)いた種だし、大人を見て子どもは育つものだから

と。

  • 週刊誌の粘着的な嫌がらせ
  • ないことばかりを報道するマスメディア

子どもたちはそれを「マネしている」のだと、豊田さんはおっしゃっていました。

僕もそう思います。

例えば僕が、

  • イライラしたり
  • 暴言ばかり吐いていたり
  • 人の悪口ばかりを言っていたり

したのならば、子どもたちも、

だって先生がやってるんだから、当然俺らだっていいでしょ?

となってしまうわけです。

特に教員時代は、そこのところはものすごく気をつけていました。

もちろん、これは「完璧であれ」という意味ではありません。

僕だって間違えることはありますし、

せいじ、それどうなの?

と指摘されることもあります。

しかしそれは「お互い様」なのです。

批判されたことは真摯に受け止めるとして(すぐに直すとは言っていない)、

じゃああなたは完璧なのですか?

と聞きますと、そうでもないのが現実です。(相手の粗探しをしていてもいけませんが)

だから僕らにできることとは、ただただ「子どもたちの模範」となれるように、努力をしてゆくことだけなのだなと思っています。

後述しますが、

  • 勉強する
  • 経験する
  • 議論する

など、できる限りの「インプット/アウトプット」を徹底的に行い、子どもたちのために「いい社会」を作ってゆくことが、僕らにできることなのです。

曲がりなりにも、一所懸命努力を続けていますと、子どもたちもそれらを見ながら育っていきます。

間違ってもいいんだ。でも一所懸命、いつも学ぼうとしているんだ

こう思わせられるよう、背中を見せてゆくこと。

いつでもここに戻ってくることですね。

間違ったっていいし、未熟でもいい。

でも、成長しようともせず、子どもたちに見せられないような人生を生きることはしないこと。

この感覚を持っておくことが大事ですよね

子どもたちは大人のマネをする。だからいつも誇れる背中を見せることだ。その態度を持てるかどうかで、子どもたちの成長にも影響が出てくる。

いつでも学び続けること

先述した通り、大人たちだって間違えることばかりです。

僕は今30代後半ですが、10代の頃なんて、

20〜40歳なんて、なんでも知っている大人なんだ

と思っていたものでした。

実際にその年齢になってみますと、僕を含めて同世代でもまだまだ知見が浅い部分はありますし、

日々勉強していかないとダメなんだなぁ

と思わされる毎日です。

大事なことは、

「日々何かを学ぼうと、成長しているかどうか」

ですよね。

毎日の積み上げがあるからこそ、次の年に繋がりますから。

何も学ばなかった年だったなぁ…

教員の頃を思い返せば、そんな毎日でした。

学校での専門的な知識や経験を積むことはできましたし、それはそれで何も否定していません。

一方で、「自ら何かを学ぼう」としていたわけではなかったため、

もうちょっといろんなことができたのに!

と、わずかながら後悔もしています。

2021年から動き始めた、この3〜4年のほうが、

  • 毎日新しい情報に触れたり
  • 新しい言語の学ぼうと努力したり
  • 知っておくべき歴史や政治を勉強したり

できたと思っています。

こうした “背中” を、いかに見せることができるかどうかということ。

こっちのほうが、若かりし頃にイキがっていた自分に比べて、より確かな知識や実地体験を体得できています。

何と言いますか、こう「上部だけの知識」だけじゃないんですよね。

実際に世界も見て回ってきたし、毎日勉強もしてる。本当の意味でどんどん強くなってきている気がする

と実感していますし、元生徒たちと会うときも「政治の話」や「投資の話」ができてとても楽しいです。

ずっと成長し続けること。

そして、誰かの批判をしたり誹謗中傷をしたりしているだけの、しょうもない大人に成り下がらないこと。

間違うことはあっても、前へ前へと進める人の背中の方が、見ていて応援したくなりますよね。

僕はずっとそういう大人でありたい。

変わる」と決めた2021年から、僕は一所懸命努力して勉強するようになりました。

それでもまだまだ。

後世の子どもたちにいい社会を残せるよう、もっともっと頑張っていきましょう。

子どもたちに見せる背中なら、頑張っている背中のほうがいい。泥臭くてもいいし間違ってもいいから、毎日前に進んでいる姿を見せていこう。

おわりに

先を生きるから “先生”

僕はこの言葉をモットーに、どんどん進んできました。

僕らの「背中」とは、決して富や名声で決まるものではありません。

また「何を残したか」も大事かもしれませんけれど、詰まるところはその人の努力値や、頑張る姿なのかなと。

抽象的だし、なんだかダサい

そう思ってもらっても結構。

この「ダサさ」を受け入れられて初めて、「男」は『』になれるのです。

学んで、学んで、学び続けて、立派な背中を見せていきましょう。

それではまた!

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