こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、近くの小学校の子どもたちが高校の授業を学びにくるという機会がありました。
もちろん「高校レベルのことをやる」という意味ではありません。
久しぶりの小学生相手の授業…
と同僚たちと考え、結果「歌を歌うこと」になりました。
曲は「Santa Claus is coming to town」です。
僕は歌が苦手ですが、
という提案を受け、簡単なフリを入れた「ダンスの授業」となりました。
もはや「英語の授業」ではありません笑。
しかしそこで、僕は大切なことに気づきました。
今日は「英語がいかに手段であるか」について書いていきます。
小学生に文字はあまり使わない
高校生相手に授業をしていますと、
- 知識の伝達
- ペーパーベース
という授業が多くなってしまいがちです。
高校生たちはなまじ知識がある分、先生たちもそちらに寄せてしまう傾向があります。
僕も「文法が得意」ということもあり、以前は英語の音声を無視して授業を展開していたものでした。
しかし言語学習においてとても大切なことは、「音」でありコミュニケーションは最も大切な目的のうちの1つでもあります。
一方で小学生相手に授業をするときは、大学・大学院時代に「音に注目させろ」と習ってきました。
歌の歌詞カードは渡しましたが、同僚が気を利かせてくれて、カタカナの振り仮名を乗せてくれました。
あとはYouTubeの動画を0.75倍速にし、子どもたちと一緒に何度も練習しました。
あっという間に20〜30分ほどが過ぎ、「たくさん同じ箇所を歌うこと」ができました。
最近の高校生相手の授業でも、
- できる限り僕自身が英語をしゃべること
- できる限り生徒たちに英語で答えさせること
を意識して取り組んできましたが、改めて「音の大切さ」を感じた1日となりました。
小学生たちは飲み込みが早く、口もすぐに動かしてくれるので、英語を学んでいるというよりも、
「ただマネして声に出しているだけ」
でした。
しかしそのおかげで、彼らはなんとなく歌詞を覚えており、英語独特の「リンキング」にも慣れてもらうことができました。
(You better watch out = ユ ベラ ウォッチャウ)
何より「楽しそうにしてくれていたこと」が、僕を含めた英語の先生たちが嬉しかったことでした。
あえて焦点をズラす
僕が懸念していたことは、
ということでした。
賛否はあるかと思いますが、「いち」英語教育者の結論としては「悪くない」と思いました。
英語はあくまで「ツール(=手段)」であり、目的ではないからです。
とても月並みの表現ではあるのですが、ここに英語学習の落とし穴があります。
僕も英語を好きになったのは、Back Street Boysの「I Want It That Way」を、中学2年の時に初めて聞いたことがきっかけだったからです。
その時も同じように、意味も文字も単語もさっぱりわからなかったのですが、CDの音に近づくように、
と口ずさんでいました。
一方その後は、
と、「学習」という感覚のまま英語を勉強していました。
もちろん、それによってついた「力」もありましたが、音については全くの「0」となり、スピーキングも壊滅的でした。
それは、英語を学んでテストで点数を取ること自体が「目的」となってしまったからです。
別にテストに向けて頑張ることが間違いではありません。
ただ当時の僕は「英語に楽しさ」を見出すことが、あまりできていませんでした。
- いかに速く読むか
- いかに効率的に読むか
と、「マシーン」のごとく英語を学んでいたからです笑。
それに比べて、小学生たちにダンスを交えて英語の歌を歌ったように、
「英語はあくまで、何かを達成するための媒体である」
という感覚を強く持っていますと、焦点が英語から他のものに移り変わります。
僕が中学生の時に英語の歌を一所懸命覚えたように、大切なことは「英語それ自体」ではないのです。
それが一番の目的であり、ただその場に英語があっただけ。
英語をきちんと学ぶことはできなかったかもしれませんが、彼らは「思っていたより楽しかった」と言ってくれました。
つまり僕ら英語科の教師たちは、見事に「目的を達成した」のです。
小学生の子どもたちに、あえて英語を教えようとしなかったこと。
ここに大きな意味があったのでした。
英語を学んでいる/学んでいく方々へ
僕はいわゆる「純ジャパ」であり笑、
- 留学経験も
- 英語圏の滞在経験も
ほぼありません。
それでも、ここまで英語を(それなりに)身につけることができたのは、何を隠そう僕が英語の先生であることが理由の1つです笑。
「英語の先生」である限り、僕は英語それ自体の知識や運用方法を身につけなければならないからですね。
ただ、今はその立場を意識するほど、躍起になって学習をしているわけではありません。
わからないことはわからないと言いますし、実際に知らない表現はまだまだたくさんあります。
自信のないこともありますし、できないこともあります。
それでも、英語を使ってコミュニケーションをしているときは、とにかく楽しいのです。
言語化するのが非常に難しいのですが笑、
- 英語をある程度しゃべれている自分
- ちょっとわからなくて成長しつつある自分
がいて、見事に続けていくためのほどよいモチベーションとなっています。
「わからないことがあること」もまた、学習においては欲を掻き立てる最高のスパイスなのです。
大切なことは、
「苦しく感じてまで、英語を勉強しないこと」
です。
それは「苦行」だからです。
また、
- 興味がなかったり
- 他に「内的な」モチベーションや目的がなかったり
する場合にも、あまりオススメしません。
「内的」というのは、自分の心の奥底から湧いてくるモチベーションを意味します。
- やっていて楽しい
- もっと学んで何かに活かしたい
こう思えなければ、「外的な」つまり「やらされている感」が出てきてしまいます。
英語の歌をうたっているだけで楽しいように、明確な目的がなくても楽しければそれもまた良いと思います。
何事も学ぶ上で大切なことは、「楽しいかどうか」ということです。
その中に、
- 頑張って単語を覚えること
- 文法から熱心に学ぶこと
- 長文を速く読むこと
なども含まれてはしまいますが、トータルで「楽しい」と思えるかどうかが大切です。
まずは「英語を学べているかどうか」よりも「楽しいかどうか」にフォーカスを当ててみましょう。
「楽しい」や「好き」には誰も敵わないですからね。
英語はあくまで手段です。
本当の目的を見失わず、人と比べ過ぎず、みなさんには楽しく学んでいってほしいと思っています。
おわりに
言語を学ぶのが好きな人は、その「音の魅力」に取り憑かれる人が多いです。
僕も、
- 中国語
- 韓国語
を学んでいますが、どちらも音が面白く、特にしゃべって意図が伝わった時が本当に気持ちいいです。
英語もまだまだではありますが、音に出して伝えて初めて、意味があると思っています。
今回の小学生を相手にした授業で改めて、
- 音の大切さ
- 楽しみながら勉強することの大切さ
に気づかされました。
僕もまだまだ勉強が必要です。
これからも頑張っていきたいと思います。
それではまた!
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