こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ダンスの練習に行ってきました。
その時に感じた悔しさから、
と思い立ち、普段もやっていますが、よりたくさん家で筋トレをしたり、極寒の中、駅でダンスの練習をしたりしていました。
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とわかっている僕でも、やはり「悔しい」と思うことはたくさんあります。
今日はそんな「悔しさ」について書いていきます。
どういう時に悔しさを感じるのか?
個人的に言えば、
「自分が頑張っているのに、理想に届かなかったとき」
これが、悔しさを感じる一番の瞬間だと思っています。
「悔しい」と感じられるのは、頑張っている人の特権とも言えます。
ある意味、日常生活の中で、
と言っている人は、成長ができていないのかもしれません。(悪い意味ではありません)
もちろん、
- 仕事
- 子育て
など、
という状況もありますからね。
ただ、「自分の成長」という点にフォーカスした場合であれば、
と、普段から悔しさを感じていない人ほど、そう思うと思います。
僕が学校の先生をやっていた時は、「挑戦すること」がほとんどありませんでした。
- 仕事をこなし
- ルーティンをこなし
- ただ日常を過ごしていくだけ
でした。
もちろん、生徒との生活は刺激的でしたし、週末に旅行を始めてからは人生がとても豊かになりました。
ただ、こと “成長” の話となりますと、
そう思ってしまったんですよね。
その裏には、確かに「悔しさ」がなかったからです。
- 何かに向けて頑張って
- 何かに挑戦して失敗することで
そこから、また頑張ろうと思えるようになるものです。
今のほうが、
- できない言語
- 稼げない事業
- 伸びないダンス
と、伸び代しかない状態のため笑、
と思えています笑。
でもこの悔しい気持ちこそ、僕を成長へと繋げてくれます。
裏を返せば、ずっと挑戦し続けているということなのですね。
常に悔しさを感じ続けること
このブログを始めてからは、
- 生活習慣の改善
- 幸せになるための努力
などに注力していました。
それはそれで良かったのですが、やはり改めて「成長」にフォーカスを当てた場合、
とも思ったわけですね。
それから、
- 英語の授業をしてみたり
- 検定などを受検してみたり
- 世界一周を始めてみたり
- 自分の事業を立ち上げてみたり
しました。
ここ数年はとてもエキサイティングでしたし、できない悔しさみたいなものも同時に感じました。
そう感じる方もいるかもしれませんが、良いパフォーマンスをしたければ、それなりの “負荷” が必要です。
続けることが目的となってしまいますと、伸ばせるものも伸ばせなくなってしまうからですね。
ちなみに英語だってダンスだって、いまだに悔しさを感じながら成長しています。
だから個人的には、
と思っています。
現在、言語学習においては50週という制約を設けましたが、何においても「その先」が必ずあります。
高校生になる前には、
と、なんと心の中でガッツポーズをしていました笑。(そんなわけないのに笑)
結局は13歳から始めていたことが今の30代まで繋がり、自分の仕事にまでなっています。
常に悔しさを感じることで、実はいつの間にか人生が豊かになっていたのです。
「悔しさ = 成長」とも取れるからでしょうかね。
だから僕は、毎日のように悔しさを感じています。
勉強していてもわからないことだらけですしね。
とね笑。
でも、
と思うと、楽しみになりませんかね?
悔しさとは、別にストレスになるわけではありません。
自分の成長のための「必要悪」なのですね
成功の道筋も見据えておくこと
ただ、単に悔しさを毎日感じるだけでは、当然成長することはありません。
また、
と思い続けていても、未来に対してあまりいいイメージを持てません。
そこで大事になってくるのが、「明るい未来を想像すること」です。
そう信じることですね。
今、
と思えているということは、今は “まだ” 成長しているということ。
こう思えなくなったら、成長は止まると思っていても良いです。
こうしたポジティブな気持ちを持っておくことで、「今を頑張ること」ができるようになります。
悔しいと思えることは一見すると関係ないようですが、実は「自分の明るい未来を信じている」とも言い換えられるからです。
この気概を持っておきますと、毎日を頑張れるようになります。
常にどこかに「足りなさ」を感じているわけですね。
僕は、いつでもハングリーでいられるようにしています。
とにかくいろんなことを学んでいきたいんですよね。
「未来の成長した自分」を描いているからこそ、
- もっと成長したい
- もっと頑張りたい
と思えますから。
僕が英語を学んでいた時は、
と思い、英検1級を受けることにしました。
受かってみますと、
と思ってしまいました。
受けた時は「最高峰の試験」だなんて思っていたのですが、いざ終わってみますと、
と思わされたくらい、通過点でしかないと感じたのですね。
むしろ今でも悔しさを覚えることはたくさんあって、
- 自分の知識のなさ
- 自分の勉強の足りなさ
を実感する毎日です。
でもだからこそ、今の言語学習にも「未来」を見据えられているのだと思います。
とね。
未来を描いておくことで、その未来に向かって頑張ることができるのです。
おわりに
毎日のように感じる、悔しさ。
でもそれは決して、ネガティブなものではありません。
次へ、次へと進んでいくための原動力なのです。
さぁ、今日もできないことを実感し笑、また明日も頑張っていきましょう。
それではまた!
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