お祭りとか子どもとか見ていて思うこと【次の世代に繋げてゆく】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

夏にもこの記事を書いたのですが、引っ越してきた先の地元でお祭りがありました。

日本の神道から流れを汲んでいる各地の祭りとは、いつになっても魅力的なものです。

先日も生徒さんと話していて、

こういう伝統を守ろうとしている人たちって、かっこいいのよねぇ

と言われ、まさにそうだなと思いました。

四十手前になると保守に回ると聞きましたが、噂は本当ですね笑。

今日は「お祭り/子どもたち」について書いていきます。

日本の伝統を守ってゆくことはとても大事なことだ。そこに新たな次世代がいれば、我が国は安泰だろう。

保守になるのはなぜか?

よく引用されるのは、

20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。

40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足りない。

という、チャーチルが言ったとされる言葉です。(実際は不明)

なんとなくですが、自分の人生を振り返ってみれば、

うーん、確かにそうなんだよなぁ笑

と、妙に納得するんですよね。

僕が保守に回ったのは、財務省解体デモがきっかけではありましたが、なぜかといえば、

自分の生まれ育った国がなくなってしまう

という危機感が、一番の理由でした。

20代の時とは違って少し長く生きてきましたから、「自分のアイデンティティ」みたいなものを再確認するようになるんですよね。

すると、

日本ってやっぱすげーじゃん!

と思ってしまうのです。(単純笑)

こんな素晴らしい国を無くそうとしている勢力があるって?ふざけんな!

となるわけです笑。

そして友人たちにはお子さんのいる方もいらっしゃいますから、それもあってかちょっと「父親ポジション」を強く意識するようになるんですよね。

また教師だったこともあり、教えてきた子どもたちの未来を考えれば、

この日本を大切に残したい

と思うんですよね。

大人になってきますと、足るを知るようになりますし、自分のことよりも子どもへと投資をするようになります。

これは “生物として” ごく当たり前のことなのかなと。

僕が思うに、生物とは「次世代へと繋いでゆくこと」が、生きる目的だからです。

だから、

  • 子どもは可愛いし
  • 守ってあげたくなるし
  • 明るい未来を感じさせてくれる

のです。

保守になってゆくのも、生物として当然の流れなのかも知れませんね。

僕は30代に入ってからだいぶ保守側に回るようになった。それは生物学的にも、そういうインプットがあるからなのかも知れない。

子どもたちの存在

祭りの中を歩いていますと、家族連れが目立ちます。

純粋で何も知らない子どもたちが、目を輝かせながら祭りに参加し、上の子たちは下の子たちの面倒を見ています。

この光景がたまらなく「日本」なんですよね笑。

これが当たり前にある国なんて、なかなかないんだよなぁ

各地元で必ずある「祭り」。

そこにはさらに「子ども」がいるのです。

大人の「野郎だけ」の熱い祭りもありますが、祭りとは子どもたちのためにあると言っても過言ではありません。

また、そのコミュニティに属する人たちが集まり、地元の結束を示す機会でもあると思っています。

子どもと言ってもベビーカーの子たちから小中学生、高校生くらいまでいて、

こいつらが日本の未来を担ってくれるんだろうな

と思わされます。

もちろん、ただただ彼らに任せるだけではなく、僕らにできることを今は淡々とやっていく必要がありますけどね。

今日本は、少子高齢化という大きな問題に直面していますが、こうした街の祭りがあることで、お互いに助け合えるという認識が生まれるのだと思います。

同い年(それか近い年代)の地元の子たちが集まって、存在を確認し合う。

親たちからすれば、「どこどこの〇〇くん/〇〇ちゃん」を確認する手立てにもなります。

日本の悪い面だと言われることもありますが、この均一化・画一化した島国では、このようにして「同族意識」が育まれてきたのではないかなと。

日本の国と伝統が長い間続いてきたのは、そこに「次の世代」があるからに決まっています。

だから「神様に向けてのお祭り」であると同時に、これからの未来の繁栄のための祭事だと考えれば、そこに子どもたちがいることもまた必然なのですね。

祭りに子どもはつきものだ。後世の繁栄を願い、祈るためにも祭りはあるのだろう。

伝統と文化に癒される

長く存在しているものとは、それだけで価値がある。

これは伊坂幸太郎の「マリアビートル」の一節でしたね。

古くから存在しているものには、敬意を感じる。

長く生きていることは、それだけで、優秀だってことだ。

確かに世の中には、老害と呼ばれてしまう人や、老朽化したモノは取り壊すのが一般的です。

一方でこうした無形の文化とは、紡(つむ)いでゆくのは人間だけしかいません。

「子ども = 未来」という点から、どうしても「今まで繋いできた人たち」が軽視されがちですが、

  • 日本を守ってきた先代
  • 子どもたちを見守ってくれている爺ちゃん婆ちゃん

だって、それだけで尊敬に値します。

  • 彼らがいたからこそ
  • 彼らの努力があったからこそ

この静かで美しい、それでいて秩序ある洗練された社会が成り立っているのです。

地元の祭りを見てもそうですし、動画や画像で見たり話を聞いたりするだけでも、

すげぇや!

と思ってしまうのです。

この国を、この伝統を守ってきた人たちがいる。

この事実は変わらず、僕らは彼ら先代たちにも感謝しなければなりません。

地元の祭りを見ますと、

  • 伝統
  • 文化
  • 活気
  • 継承

などを感じることができました。

それと同時に、

これこそが日本だよな!

とも感じましたね。

「何かを作り上げる」ということには時間がかかるものです。

だから御神木や神社仏閣などは、そこに何百年と残っていること自体が「奇跡」なのです。

それは人間や無形の文化も、一緒なのかなと。

各国が自国の文化を守り続けているように、日本もこの文化を大切にしていかなければなりません。

長く続いているものであっても、

  1. 崩れづらいものではある一方で
  2. 繋いでいくつもりがなければ崩壊する

ものですよね。

僕らはこれらを守っていかなければならない。

なんで?

それはたぶん、遺伝子に刻み込まれているようなもので、自分の子孫を残していくことに近い感覚なのかも知れません。

我が子を守るのが親の本能であるように、長く伝えられてきたものとは必ず意味があり、それを守ることは自然とやってしまうことなのです。

長くある伝統や文化は、繋いできたからこそ今に残っている。そこまで繋いできた人がいることを、忘れないようにしておこう。

おわりに

祭りや子ども、そして祭りを繋いできてくれた人たち。

この人たちを見るたびに、

日本は本当にすごい国だ

と思わされます。

僕らもそれらの伝統と文化を繋いでいき、日本をしっかりと護っていきましょう。

それではまた!

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