こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、生徒さんと教育の話になりました。
学校の教育での英語学習とは大変難しく、正直に言えば「ただ触れるだけ」が関の山だと思っています。
でも僕は、それでもいいのかなと思っています。
日本で英語がしゃべれる必要なんてありませんし、あれだけの集団授業で英語をしゃべれるようになるほうが驚きです笑。
今日は「日本の英語教育」について、改めて書いていきます。
集団授業に頼らない
9年間、公教育で英語を教えていた身からしますと、

というのが、僕が出している結論です笑。

と言っているわけではなく、そこには必ず「限界がある」ということです。
居酒屋でみなさんが飲み会を開催したとしても、結局はいくつか数名のグループに分かれますよね。
数十人で会議をしていても、「ただの報告会」となって意見交換なんてできませんよね。
それらと一緒で、
という発想は、どう考えてもしんどいものなのです。
もちろん「学校が悪いわけではない」からといって、先生たちも諦めるわけにはいきません。
ただ、自分で教員をやってみて感じたことは、

ということでした。
- 先生も
- 生徒も
この前提に立って授業をし(授業を受け)ているのかで、だいぶ意味が変わってきます。
当然です。
学校では英語以外にも幅広く教科がありますし、英語をしゃべる機会がなければ、ずっと英語なんてしゃべれやしません。
つまり、至極当たり前のことが日本で行われているということ。
集団授業では英語は最低限しか伸ばすことはできず、それ以上は自分で頑張るしかありません。
あるいは個別授業にシフトし、学校の授業とは「別で」頑張るしかありませんね。
それを学校側が担保することは、今の時点ではできません。
なぜ学ぶのかを決めておく
そもそも論ですが、日本において英語は要りません。
当然です。
僕は忖度をして英語を教えているわけではありませんし、顧客が欲しくてやっているわけでもありません。(ニーズには応えます)
大前提として英語なんて日常で使いませんし、将来的に日本がグローバルに巻き込まれていく未来があったとしても、

というのが持論です。
「英語を話せたから国力に繋がる」という考えは、ちょっと理解できませんね。
大切なのは、
という問いかけと、それに向かう興味関心があるかどうかなのです。
僕は5言語を学習中ですが、それこそ日本でフランス語を使うことなんてありませんし、ましてや韓国語を使うこともありません。
ではなぜ勉強するのか。
いつもここにフォーカスを当てることです。
僕は世界を回ってみて、いろんな人とコミュニケーションを取ることに喜びを覚えました。
もしみなさんが、英語学習に「そのような感覚」を持ち合わせていたとしたら、 もうそれだけで十分でしょう。
先ほどの「集団授業」に関しての話と一緒で、
という発想からきている姿勢であれば、習得してゆくのは至難の業でしょう。
という感覚を持ち、自分なりに勉強するべきだと言っているのです。
予備校や英会話教室を肯定したいわけではないのですが(公教育は大事なので)、できない部分はお金を費やして補填(ほてん)してゆくしかありません。
日本の公教育が「少人数制」になるなど、かなり抜本的に変わらない限りは、その人の資金や圧倒的な興味関心が必要です。
それらがあって初めて、
となるわけですからね。
だから、自分の目指すべきところを決めておきましょう。
その上で、学習をスタートさせるのです。
最終的にはその人の気持ち
集団授業や、その人のゴールについて話をしましたが、

が勝負だと思っています。
僕は他の言語も学んでいますが、自分一人で学んでいますし、ネットやテキストを駆使しては勉強に励んでいます。
学校の集団授業がなくても、


と思えば、現代ではどうとでもなります。
以前、タレントの武井壮さんも言っていましたが、
と。
僕も生徒さんと話をする際には、必ずGoogle Mapやネットを見たりして、地理や歴史、言葉の成り立ち、生徒さんの好きなアニメやアイドルなども一目見るようにしています。
それでもさらに知識や経験を得たければ、もっともっとお金や時間を投資したらいいです。
ただし、投資額に比例して自分の知識が上がってゆくわけではありませんけどね。
お金うんぬんの話も大事ですが、そこにいかに熱量があるかということ。
- 集団授業を受けようが
- 個別の勉強をしようが
- 投資をして時間を投下しようが
その人が描く理想に向かい、どこまで自分が「好き」なまま続けていけるかどうかです。
このブログ一つをとっても、僕は全部自分で調べ、ある程度YouTubeで情報を集めながらスタートさせました。
それでもすごく書くことが好きだからこそ、こうして続けられているのだと思っています。
いつでも思うことですが、英語学習の手法なんていくらでも存在します。
昔の日本人たちなんて、自分たちで英語を学習して、辞書や参考書を作っていたのですからね。
要は、その人に「熱量があるかどうか」というだけの話。
変わらない集団授業に対してブーブーと文句を言うのではなく、ただただ自分なりに突き詰めていかなければならないということ。
もちろん、専門的な学校に入ることも素晴らしいことです。(僕自身も教育系の大学にいきましたからね)
何が正しくて何が間違っているのかを決めたいのではなくて、

というだけのこと。
自分のなりたい理想を掲げ、そこに向かって走り続けていきましょう。
おわりに
集団授業については、あくまで一つの切り口でしかなく、本来は「その人がどこまでやり切りたいのか」が問われるべき部分です。
一方で、
と言っていてもよろしくない。
日本の教育もできる限りでの改善をしつつ、一方で自分のできることは自分でやっていきましょう。
それではまた!
コメント