こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
今日は「特別な日」です。
11年前、東日本大地震が東北地方を襲いました。
その頃の僕は神奈川の自宅で、自分のダンスサークルの「卒業公演」のために、動画編集をしていたところでした。
やたら大きな揺れに見舞われ、「いつまで続くんだ?」と思ったと同時に停電。
外に出ても、まだ大きな揺れは続きました。
小一時間後にテレビをつけると、あの「津波」が海岸線を襲っている映像が映し出されました。
毎年の盆と暮れに帰っていた宮城県が、まるで巨大な化け物に飲み込まれているような感覚で、世界が終わってしまうのではないかと思いました。
あの時間は決して忘れもしません。
2011年 3月11日 14時46分
今日は僕の「個人的な想い」を載せていきます。
祈りを捧げよう
「あの悲劇を忘れるな」
僕はこの言葉が、実はあまり好きではありません。
「押し付けがましさ」があり、まるで震災を知らない世代にも、その十字架を背負わせているような気持ちがするからです。
むしろ「その日にあったことを、いつまでも覚えておこう」というスタンスのほうが、震災に対して前向きになれると思っています。
僕は当時神奈川県におり、「被災した」というわけではありませんでした。
現地で被災された方からすれば、「あなたには何も言われたくない」と言われてしまっても、仕方のないことです。
それでも僕のルーツは「東北」にもありますので、やはり何かしら書くしかないと思いました。
今日は、いつも通りの勤務でした。
朝の打ち合わせ掲示板には、「時間になったら黙祷するように」という文言が書いてありました。
僕は毎年、歩いている途中でも、この時間になると立ち止まって黙祷をするようにしています。
今日は職員室にいたため、時間になる直前に「ちょっとトイレに行ってきます」と言って席を立ちました。
トイレの個室で、黙祷したかったからです。
たったの数分。
11年前の出来事に想いを馳せるだけで、込み上げてきた感情がありました。
毎年この時間になりますと、僕と同じように道行くみなさんも立ち止まっては目を閉じ、黙祷をして想いを届けます。
スピリチュアルな内容かもしれませんが、僕はこうした「みんなの想い」が東北に届くと思っています。
黙祷をしたからと言って、
- 何かが救われるわけでもないですし、
- 実を伴った手助けになっているわけでもありません。
ただ、日本のみんなが1つになって想いを寄せる時間には、
- 困った時はお互い様
- 助け合い
- ワンチーム
と言った「カタチ」が目に見えるような気がして、
「僕らはいつでもそばにいる。また頑張っていこう!」
と思えるのです。
祈りを捧げることは、
- 宗教的なことでも、
- 表面上のことだけでも
ありません。
この時間に想いを届けることは、僕にとっては大いに意味のあることなのです。
生きていくことが最大の貢献
僕の大好きな「ワンピース」という冒険漫画には、「生きる」ことに対する名言が数多く出て来ます。
死ぬことは 恩返しじゃねえぞ!!!
主人公のルフィが、コックであるサンジの自己犠牲に反対して、かける言葉です。
死んでごめんじゃないでしょうに…!!
男が一度…!!!必ず帰ると言ったのだから!!!
これはブルックという骨人間(ヨミヨミの実の能力によるもの)が、仲間との約束を果たすために、自分に言い聞かせている言葉です。
とはいえ、生きていますと人間、イヤなこともたくさん経験します。
「死ぬことは、逃げることだ」という人もいますが、そんなことも考えられなくなってしまうくらい、精神的に追い込まれてしまう人もいます。
辛い葛藤の果てに命を絶ってしまう人も、世の中にはたくさんいます。
しかし僕は彼らの名言の通り、「生き抜くこと」こそが、残された人たちのやるべきことだと思っています。
ワンピースに出てくる伝説の海賊、冥王シルバーズ・レイリーも、
今の時代を作れるのは
今を生きてる人間だけだよ…………!!
と言っています。
東日本大震災では、未曾有の天災により多くの人が、志半ばで亡くなってしまいました。
「自らの意志に反して」です。
僕は今、30歳を超えて、奇跡的にここまで生きていることができています。
その「当たり前のこと」に感謝しますと、帰り道で自然と涙が出て来ました。
今日という日は、改めて自分の「生」に対して考えさせられる日でしたね。
勝手なことですが、僕らが生きていることには何かしらの意味があると思っています。
それは、
- とってつけたものでもいいですし、
- 後付けでもかまいません。
中には「生きることに、意味なんてないんだよ」という人もいますし、僕も100%意味があるとは思っていません。
それでも、「今」をつないでいる僕たちには無限の可能性が開かれており、何かしらの意味を探すことも人生を豊かにすると思います。
今を生きている僕らにできることは何か。
これについて考えることで、次の行動に移す原動力になるのです。
生きるなら幸せに
最近ですと、僕は「謎の使命感」を持っては、ガシガシと教育現場で生徒指導したり、こうして気合いと根性でブログを書いています笑。
とはいえ、
「僕たち一般人にも、そこまで重大な責任があるのだろうか?」
と思ってしまうこともあります。
だから僕は「幸せに生きること」が、大切なのことなのかなと思うようになりました。
自身の責任を重く感じ、深く考えたところで、自分の使命なんて結局はわからないからです。
幸せに生きるために、
- 他者のために生きる。
- 積極的にGIVEをする。
- 自分の価値観を見直す。
など、様々なことを僕は学んできました。
これらによって、僕の人生は劇的に豊かなものとなりました。
人間、生きているのであれば、楽しく幸せであるほうがいいに決まっています。
その中で「自分にできること」を、考えていけばよいのです。
だから当時は、「自粛」という言葉には強い抵抗と疑問を抱いていました。
確かに、
- 「こんな有事の時に何をやっているのだ?」と思う気持ちもわかりますし、
- 被災地では必死の救護活動が続いていましたし、
- どんちゃん騒ぎをしている場合ではない空気感
ではありました。
ただそれは、人が楽しく幸せに生きていくことを否定していることと一緒だと思ったからです。
僕は「謎の自粛ムード」に対し、ずっと首を傾げていました。
それが果たして、
- 「一体全体、誰のためになるのか?」
- 「何か生産的なことを生み出すのか?」
この疑問に対して、誰も答えることができていなかったからです。
僕は、生きているその一瞬一瞬を幸せに感じることができる社会のほうが、よっぽど力強く進んでいけるはずだと信じています。
そうして前を向いて歩いていく中で、
- ふと東北に思いを寄せる日があって、
- またその気持ちを胸に、再び歩いていけばよい
のではないでしょうか。
生きている僕らがすべきことは、その時代を生き抜くことだけです。
- いつまでもネガティブで、
- 他人を批判し、
- 足を引っ張り合って
いるような社会には、発展は望めません。
現在も厳しい状況が続きますが、
- 困ったら助け合い、
- より活気のある社会へと力を合わせていくこと
はキレイごとではないですし、本当に清々しい気持ちになることができます。
今与えられた「生」に感謝し、今日は当時のことを悼んで、また感謝し、生きていきましょう。
おわりに
東北大震災に寄せて、想いを書きました。
僕が書いたところで、何か感動的なストーリーになるわけではありません。
それでも「何かできることはないか」と考え始めたら、いつのまにか書いていました。
同時に「ウクライナのためにも何かできないか」と思い、そっと募金もしてみました。
逆に「今の僕には、これしか力がないのか…」とも思わされました。
でも、いいのです。
震災の時も、世界中の多くの人が”Pray for Japan”と言って、SNSに多くの投稿してくれました。
小さなことからでも発信をしてみる。
本当に些細なことだとしても、誰かの役に立てればそれで構わないのです。
無理して大きなことを成そうと思う必要はありません。
自分の目の前の、身の回りの、小さなことから始めてみましょう。
そして今を生きているのだから、楽しく幸せに暮らしていきましょう。
ワンチームで、この苦境を乗り越えていきましょうね。
それではまた!
コメント