こんばんは。すずきです。(@seiz_suzuki)
三崎口駅からバスで20分行ったソレイユの丘にある、海と夕日の湯のサウナに行こうとしていた時でした。
なんとスパルタンレースという、かなり大規模なイベントが行われていました。
これによって混雑するという「とばっちり」を受けた僕は、さらにサウナハットを浴室に忘れてきてしまうという、泣きっ面にハチ状態となってしまいました。
海を見ながら温かい風に吹かれたため、ととのってしまったのです。サウナハットも忘れてしまうほどに、です。
店員さんは電話先で丁寧に対応して探してくれましたが、なぜかありませんでした。
また後日の電話を待つこととします。
なければ新しいものを買う。消耗品だから仕方ないです。
今日はデジタル・ミニマリスト−スマホに依存しない生き方に載っているお話を話題にしていきたいと思います。
今回は「リアルで会って話すことの意義」についてです。スパルタンレースもからめていきます笑。
前回コロナを話題にあげましたので、その関連でお伝えしようと思います。
人と会えなくなって思ったこと
去年の今頃は「やっと緊急事態宣言が明けるかそこいら」というところでしょうか。
当時の僕はものすごいストレスを抱えており、このまま破裂してしまうのかと思いました。
「人と会えなくなる世界」なんて誰も予想していませんでしたから、屈強な僕ですらメンタルボロボロ、「メンボロ」となってしまったのです。
もちろん、
- 自分と向き合う時間
- 無意味な飲み会や人付き合いも急激に減ったこと
などで、幸福度が増したことも事実です。(人と会うのがイヤなわけではありません)
それによって新しく始めたことや人生について深く考える時間は、僕の人生を180度変えました。
ある意味「コロナのおかげ」でもあると思っています。決して悪い意味ではありません。
しかし一方で、
- 人と会えないこと
- ワイワイできないこと
が、ストレスの原因だったこともまた事実でした。
みなさんも何度か「リモート飲み会」を開催したと思うのですが、こう、なんていうのでしょうか。
- ぎこちないというか
- 難しいというか
- 歯がゆいというか
少し前までは、わざわざお店を予約して「集まりやすい都会にしよう!」と取り決めていたため、「面倒くさいよな…」と思っていた人もいるかと思います。
しかし実は「理にかなって」おり、やはり直(じか)で会う楽しさや雰囲気とは代え難いものだとうことが、再認識できました。
人と対面でコミュニケーションが取れなくなると、自然とSNSなどのネット媒体に移行した部分もありました。ZoomやLINEなど。
仕事や事務的なもの、あるいはマンツーマンでテレビ電話をするのはいいのですが、数名集まるともはやカオス状態になってしまいます笑。
ネットにも限界はあるのです。
さらに「雑談が減ったこと」によって、大きな影響もありましたね。
この雑談が強力な”チカラ”を持っているのです。
普段の職場で、すれ違う時の顔色や声色など、人間はさまざまな情報をその場の感覚で読み取っているからです。
ネットでは実現し得ないことが、リアルの世界では常日頃起こっているのですね。
実際に会うことの意義
月並みな考え方ですが、目の前にその人の存在があるということは、いくらネット社会が発達しても取って代わることのできない事実です。
「身振り手振りが全部見えればいいんだろ」と言う人もいますが、
- ネット上で無理をして「全身を映すこと」はまずないだろうし、
- 物理的な距離感や声の大きさ、声色や表情などをつぶさに読み取ることはオンラインではできません。
今日見かけた「ソレイユの丘」でのイベント「スパルタンレース」でも、多くの人たちがチーム一丸となって笑い合い、泥だらけで汗だくになりながらも走っていました。
単純に「あぁ、いいな」と思いました。
当たり前ですが、スポーツだって遊びだって、一緒にその場で何かをしていないと感じられない一体感のようなものが、必ずあるはずなのです。
- 終わった後に抱き合ったり、
- みんなで集まってひしめきあったり。
こんなことなんて、バーチャルじゃできっこありません。
本書には、「あるカフェ」の話が載っていました。
そのカフェは、
- 提供しているものは大したことなく、
- 別に内装がオシャレというわけでもない。
らしいのです。
しかし、長いときで「3時間待ち」という長蛇の列ができるそうです。
その理由は、ボードゲームができるカフェだからだそうです。
以前僕もニュースで見かけたことがありますが、紙やコマをちまちま動かすのに白熱するんですよね。
ジェンガやUNO、人生ゲームなどです。
定番ですが、人間の本能に訴えかけてくるゲームなのです。
本書を読んでいて、
「なるほど。僕の学校でも休み時間にオフラインではないけれど、オンラインでゲームをやっている生徒もいるな」
と思いました。
教室でワイワイと輪になってスマホでゲームをしているのを見ますと、アナログのゲームではないですが、そこに確かに実体として友達がいるということが「どれだけ意味のあることなのか」がわかる気がしました。
SNS上でのテキストのやりとりなんて、言ってしまえば高が知れています。
それに気づいて、テキストのやりとりにおいては事務的に済ましている人もいます。
そういう人は、会えないのであればビデオ電話など、リアルに近いほうを選びます。
「同じ空気を吸いたい」と思う人とは会うべきです。
人々はリアルな「人肌」を求めています。
だからそこに確かに、人と会う意味が存在するのです。
だから、動こう。
人生の幸福を考え始めますと、「体でアナログに感じること」は「生そのものだ」と思うようになりました。
だから僕は、
- 「直接」美術館に行ったり、
- 見知らぬ土地に行ったり、
- どこか遠い友人のもとへ会いにいったり
することで、その場にある「新鮮さ」を、肌で感じることにしています。
一時期、Google Mapで「世界旅行気分を味わおう!」というニュースを見ました。
別にディスるわけではないですが、はっきり言って「リアルとは全く違うんじゃないのかな?」と思いました。
不自由があってその場に行けない人が楽しんだり、旅行気分として楽しんだりするやり方があるように、確かにケースごとに意味合いは変わってきます。
しかし「本当に行きたい人」であれば、直接「身体で」感じるために現地に行くほうを選ぶと思います。
それを「経験・実体験」というのではないのかな、と。
面倒に思える移動の時間も、僕は楽しんでしまうほどですから。
その「場」に行くこと。
その経験を、後日友人と共有できますしね。
- 「あそこでサウナハットなくしちゃってさ」
- 「あの日は雨だったな」
- 「あそこは駅からクソ遠くてさ」
- 「その時あいつがドブに落ちてさ」
様々なエピソードやその時の心境、友人と一緒かどうか、自分のコンディション…
いろんなものが混ざり合って、経験が創り上げられます。
今はなにかと制限が多いですが、その中でも体験や経験をしていたい。自分の「生」を感じていたい。そう思うのです。
だから僕は、アナログの強さが顕著に出る部分(人と会う、体験する、など)では、アナログにこだわるのだと思います。
結局どこまで行っても、「実体を伴うもの」がベストなのではないでしょうか。
おわりに
一方で、コロナによって「会う人をしっかりと見定めるようになった」ことは良いことです。
リアルで会うといっても、
- 「口論や叱責で消耗するだけの時間」
- 「下品でちょっといづらい飲み会」
- 「なぜかストレスしか溜まらない会議」
など、「本当の意味で不要なもの」が淘汰されたことはありがたいことです。
全部が全部、「本当に良い時間だったのか?」と、今一度改めて考えてみるといいのかもしれません。
しかし、
- フェス
- ライブ
- 飲み会
などの「アナログで、実体で面と向かって会う/集まる」といった流れが戻ってきたら、やはり「そっちのほうが楽しい!」と思うでしょうね笑。
幸せな時間ですからね。
好きな人と一緒に、
- 同じ時間に、
- 同じ場で、
- 同じことをする。
実はこれ、奇跡なんですよね。
あぁ、早く以前の世界に戻ってほしい今日この頃です。
アナログを取り戻す戦いが今、始まっています。
それではまた!
コメント