こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
昔から討論番組はよく見ていましたが、最近は、

と思い、多くの動画を見ています。
以前にもいくつか記事を書いた通り、今日本が危機に陥ろうとしています。
そこには、グローバリズムと言われる(いわゆる左翼的な?)考えがあるようで、それに反発するかのように、
- 日本の誇りが失われ
- 日本の土地や水が買われていっている
というような意見も散見されました。
僕は日本男児として、結構日本のことは好きです笑。
もちろん、課題点もたくさんありますけどね。
今日は「アイデンティティのあり方」について書いていきます。
平等ばかりを訴えても仕方ない
いろんな動画を見ていますと、
- ビーガン
- フェミニスト
- 夫婦別姓問題
などなど、様々な議論が巻き起こっています。
「平等に」という言葉がけは、僕が教員をしていた時もよく学校で出てきていました。
しかしこれが行き過ぎてしまいますと、
- 男女が同じ施設を使うことになったり
- 「男も女も一緒なんだ!」と言う人が出てきたり
するわけです。
どちらかを差別するということはしてはいけませんが、かといって「行き過ぎた極端な平等」は再び不満を生み出します。
そんなもの、望んでいない人だっているのに、です。
よく引き合いに出されるのが「平等」と「公平」ですよね。
僕は後者である「公平さ」を考えるべきなのではないかなと。
男女には違いがあり、それぞれの国や文化、家族の背景にも違いがあります。
だからこそ、誰もが “公平” に扱われるべきであって、「無理やり平等にすること」は行き過ぎている気がす流というより、「難しい」のです。
まずは人に無理強いしたり押し付けたりしないこと。

とは思っていません。
ただ、マイノリティーという言葉を盾にして平等を謳うのならば、マイノリティーの方々からしても迷惑です。
厳しい言い方をすれば、世の中には平等なんてありません。
でも公平にすることは、ある程度はできる。
自分の権利を主張したいがために、適当に「平等にしろ」と言うのは、一度考え直したほうがいいと思いますね。
そういう人たちが「枠」を作る
何人かの政治家の方がおっしゃっていた言葉です。
僕もこれには激しく同意しています。
仮に、
と言う人がいたとしましょう。
でもそうやって自分の意見を出し続けますと、どんどん枠組みを作ってしまいます。
それは果たして、その人が望む “平等” なのでしょうか。
そうやって、
と言うリベラルな人(というのかな?)もいますが、平等はそもそも実現しづらいものです。
そう言えば言うほど、平等からは遠ざかって行きます。
「自分の意見を無理に通してもらいたいだけの、ただ喚いている人」
というレッテルを貼られかねません。
肉も食べなければいいでしょうし、それは逆に肉を食べている人に対して不平等な態度じゃないでしょうかね。
既存のあり方に対して、
- 男女以外もあっていい
- ベジタリアンがいてもいい
と思うこと自体は悪いことではありません。
しかし、そういう人たちが大きな声を上げて「自分たちにも権利をくれ!」と枠組みを作り始めますと、
という論にもなりかねません。
その人たち自体も悪く見られますし、似たようなマイノリティーの人たちも、
と思ってしまいます。
例えば行き過ぎたフェミニストの方々は、逆に女性からキラわれています。
それは、変なカタチの平等を謳っているからでしょう。
そう思っている女性にとっては、ちゃんとその「男女の違い」を認識してほしいという願いがあるからです。
ある意味、逆にそのマイノリティーの尊厳を傷つけかねないのですね。
例えば、不当な扱いを受けている場合(女性だから給料が低いなど)についてなどは、何か運動に繋がってもいいのかもしれません。
ただ、それは「公平さ」を求めるものであって、
と言い始めますと、同じ女性たちからストップがかかります。
危険な仕事や肉体労働を伴う仕事にも、女性をもっと入れろということになりかねないですしね。
それぞれがそれぞれの「アイデンティティ」を持っていてもいいですが、適材適所という言葉ありますからね。
平等を謳いすぎますと、
- 新たな枠組みを設けて
- 結果的に、不自由していない人たちが困る
という現象が起こりかねません。
平等を謳うということはどういうことか。
今一度考えておかなければなりませんね。
まずは日本を守ろう
こうした謎の勢力(?)が出てくることで、その国が脅かされることがあるそうです。
僕はそれこそ、以前は英語の先生でしたから、
- グローバルな考え方に賛成
- 日本ももっと自由になったらいいのに
と思っていた派でした。
今でも当然、

とは思っています。
一方で、

と思うようにもなりました笑。
こうした人たちが求めているものとは、
- 既存の体制を壊し
- 新たな国を作りたい
ということなのでしょうが、それは「何かよくわからない人のための、自己都合の国」であって、日本ではありません。
北欧でも「移民の受け入れ」によって、ほぼ国が崩壊してしまったという事例もありました。
僕も考え方はリベラルですので笑、ムダだなと思うことや、古い考え方で役に立っていないものなどは、どんどん改革していきたいタイプです。
ただ、先ほどの「枠組み」の話でもありますが、そうした行為が行き過ぎてしまいますと、”新たな枠組み” つまり「全く別の枠組み」ができるだけです。
これは日本にも起きつつある問題であって、
と嘆(なげ)いている人たちとは、そういう保守的な考え方を持っている人たちです。
僕はグローバルな視点も持っているほうだとは思いますが、

とも思っています。
日本男児として誇りも持っていますし、だからこそ「世界から見た日本」を見たくて世界一周をしたのです。
僕らにできることとは、
- 日本という独特な国を守りながらも
- 公平な社会を実現させられるように努力し
- その上で外国やマイノリティーなどの話をする
これだと思うのです。
というのは、ちょっと厳しいというか誰も賛成しないのではないのかなと。
それで彼らを差別しているとか、不平等だとか、そんなことはありません。
むしろ日本は頑張って対応しているほうです。
そこに耳を傾け過ぎますと、今度は既存の「大事な部分」が崩れ去って行きます。
按配が大事というより、国家としてまずは足元を固めることですよね。
それができてから、いろんな問題に対処していけばいいのかなと思っています。
おわりに
僕は、公平性を求めて運動している人を悪く言いたくはありません。
一方で、感情的に平等を訴えて中身のないことを言っている人たちに対しては、

と思っています。
もちろん、しんどいことや不当なことがあったのならば、声を上げるべきです。
ただ、なんだかそこに実体が伴っていないような、そんな人もいます。
そうした人たちの言葉には、十分注意していかなければなりませんね。
みなさんはどう思いますか。
それではまた!
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