こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、この動画がものすごくバズっていました。
僕は漫画ワンピースが好きなので、コヤッキーさんのことは存じ上げていました。
彼は都市伝説界隈でもとても有名で、人気のあるYouTuberさんです。
二人が話していた「陰謀論」に関しては、もはや陰謀(あり得そうもないこと)では無くなってしまいました。
最終的に参政党首の神谷さんは、
といった主旨を述べています。
なるほど。
全てを鵜呑みにしてはいけませんが、概ね賛成です。
今日は「真剣に現実について考えること」について、書いていきます。
平和とは?
僕らが思い描いている「平和」とは、今の日本のような「何ごともない日常」が送れることのことを言うのかも知れません。
一方で、
- 税収問題
- 移民問題
- 土地問題
など、日本で起こっている各問題については、
と言う人もいます。
という考え方ですね。
僕も概ね賛成です。(グローバリズムや「静かなる侵略」など)
例えば「核兵器を持つか持たないか」と言う議論もありますが、
と脊髄反射で言っている人には、
- その抑止力の効果
- それで平和が生まれること
についても知っておくべきだと思っています。
いい例えを見たことがあるのですが、
といったものでした。
この例えを持ってきた瞬間、先ほど「武器を持たなくてもいい」と叫んでいた人は黙ってしまいましたね。
そうなんです。
「核を持たなくていい!」という議論が大きすぎるのならば、もっと話題を小さくして、
と、身近な議論をしてみてください。
いかに今までの考え方が「お花畑だったか」がわかります。
特別、揶揄(やゆ)するつもりはありませんが、現状として「武器を持ってしまっている」国があるわけでして、ここらと対等に話し合うためには、日本だってある程度の「護身」は必要ですよね。
このように「平和」を一つ考えてみても、そうそう簡単に「優しさ」だけで片付けられるものではないということがわかります。
しっかりと現実を見て、
を客観的に理解し、その対処法を模索する必要がありそうですね。
分断を煽るもの=悪
さて、先ほどの自衛の話から始まり、日本では各所でいろんな議論が巻き起こっています。
大多数が正解だとは限りませんし、マイノリティを差別しようだなんて思っていません。
しかし民主主義である以上は、政治家たちは大多数の意見を受けて、
- 日本人を最優先して
- 自国の伝統や文化を守ること
を日本国内で続けていき、国益に資する政策を打ち出していかなければなりません。
ここでよく出てくる「差別/ヘイト」というワードですが、僕は30年以上日本に住んでいて、こんな言葉を聞いたのは生まれて初めてでした。

と思うくらい、日本人には馴染みのない言葉なのです。
むしろ、「差別」というそんな馴染みのない言葉を使っている時点で、「分断を煽っている人だ」とすぐに察しがつきます。
確かに、考え方の違いから分断や対立は生まれてしまうものですが、それは後述するようにいつだって悪い意味のものになるとは限りません。
誰かに操られて(煽られて)ケンカさせられている場合であれば、そこには確かに「漁夫の利」を得る人がいるでしょうけれどね。
それがまさに「戦争」なのです。
そこで武器を売ることで、ビジネスをしている人がいるということ。
だから、健全に意見が対立することは「正当な分断(対立)」であって、こんなことは個人間でも会社でも、学校でも起こっていることです。
という人に対して、
- 代替案はないのか
- なぜそうしたいのか
- それで困る人はいないのか
と、意見が割れることなんてよくあることですからね。
むしろ、
と言っている人がいたら、誰だって、
と思うことでしょう笑。
分断(対立)すること自体は健全なことであって、それを煽ったり助長したりする人たちの方が、僕はよっぽど差別をしている人だと感じています。
そうした「悪」は、制されるべきですね。
リアリストだからこそ対立する
先述した通り、僕は議論ができることの方が大事だと思っています。
議論ができない人ほど、大きな声をあげて喚くだけで、現実と向き合おうとしません。
理想を語ることそれ自体は、何も悪いことではありません。
しかし、
- 理想だけ掲げて
- ずっと現実と向き合おうとしなければ
それは本当の意味での「理想(というよりも=妄想)」と成り下がってしまいます。
と言われてしまいますよね。
僕が思う「対立」とは、いい意味も含んでいると思っています。
もちろん、国内で過度な分断が生まれてしまうことはよろしくありません。
ただ、多数派と少数派がいるように、そもそも区別や分断とは元からあるものです。
現在では、日本にいる限り、
- 日本人として
- 国益に資することをすること
は、世界のスタンダードです。
逆にこれ以外の方法があるとしたら、一体その主張をしている人はどこの誰なのでしょうか。

と思ったわけですね。
現在の日本において、
と喚いている人は、2つの家族間でルールが違っても同じことを言うのでしょうか。
各家族にはそれぞれのルールがあって、稼いでいる額やしつけ、教育観も違いますよね。
それに対して「差別だ!」と言うのはおかしな話です。(なんじゃそりゃ笑)
対立とは意見の相違から生まれるものであって、その共同体内で議論を深めて意見を交換するのならば、それでいいことなのではないでしょうか。
そういう意味での「対立」であれば、
- 論理的で
- 理性的で
- 生産的だ
と思うのです。
現実を直視して、今やらなければならないことを一所懸命議論している人たち。
これを見ていれば、
と思うのが普通です。
むしろ「分断している!」と、別に言わなくてもいいことをあえて言っている人たちの方が、よっぽどの「煽り屋」なのではないかなと。
そもそも「悪い意味での」対立なんて起こっていない。
そして「いい意味」での対立(=話し合い)であれば、それは必要不可欠のこと。
議論をすることは、会社でも家族でも、ごく自然なことなのです。
おわりに
平和に生きるためには、対立して議論を重ねることが大切です。
そして最終的には「ここしかないか」というところで、落とすこと。
僕が思うに、今の日本は正直「平和」ではありません。
国のために何が必要かを考えれば、みんなある程度同じ方向を無くことができるはず。
国のことを考えていない政治家は、民意を得ることができない時代ですからね。
たくさん議論していきましょう。
それではまた!