こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
動画やXのポストには、「いいね!」という機能がありますよね。
僕はSNSを見る時間をとっていませんが、ふと見たときに、
と思った投稿には、バンバンいいねを押すようにしています。
「やたらめったら押してる!」と言われてしまえばそうなのですが笑、これはいつも「逆の立場」を考えているからです。
みなさんも、自分の投稿が「いいね」と言われたら嬉しくありませんか。
今日は「人を褒めて謙虚に生きること」について書いていきます。
いいねを押す理由

僕がまだトガッていた頃、なかなか人の投稿に「いいね」を押すことができませんでした。
という、謎の持論を展開していた僕は笑、かなりの負けず嫌いだったと自負しています。
ある意味、「他人を認められなかった」と言ってもいいでしょう。
とはいえ、確かに「いいね」を押すことが良いことかと言われますと、別に推奨しているわけでもありません。
とも言えます。
昔はむしろ、複雑に考えすぎていたと言いますか。
そんな風に考えなくても、世の中は奪い合いの「ゼロサムゲーム」ではありません。
だから「いい」と思ったものには、積極的に高評価をしてゆくのです。
もはや今では、無意識のうちに「いいね」を押しているレベルです笑。
言うなれば「投資」と言うこともできるでしょう。
こう思うことで、回り回って自分の推したいものがどんどんと周りに増えていきます。
世界とはいろんなサービスや人で成り立っているわけですから、そこに「応援」の意味を込めて「いいね」を押しているようなイメージでしょうか。
これが素直にできるようになったのが、昔と比べて大きく変わった点ですね。
SNSはこれくらいでいい

というツッコミが来るかと思いますが、結論、隙間時間で、
- X
- YouTube
- 本当にたまにインスタ
を見たりしています。(ちなみにTikTokは1ミリも見たことがありません)
最近ではタイムラインが政治色一色となってしまっていますが笑、
という人の投稿には、「いいね」を押すようにしています。
どんなに推している人であっても、相手を貶(おとし)めるような発言には、積極的に「いいね」を押すことはありませんけれど。
「いいね」を押す時とは、実は結構「適当」です笑。
ざっと見ながら、そこまで詳しく内容を見ずにポチポチと「いいね」を押すときすらあります笑。
いえ、個人的には「その程度」でいいのかなと。
確かに、オールドメディアと言われているテレビはオワコンとなってしまいましたが、だからといってXやYouTubeが100%正しいとも言い切れませんからね。
くらいで見ているからこそ、「いいね」も適当になります。
そういう動画やポストに「いいね」を押しますと、AIが判断して同じような関連動画、関連ポストを流してくれます。
自分の欲しい情報ばかりが入ってしまう「エコー・チェンバー」的な現象にもなりがちですが、いずれにせよ、
と思った場合にはさらに調べますので、別にそれでいいのです。
逆に言えば、あまりにも深入りしてしまいますと、そこでかなりの時間が取られてしまいます。
- 適当に見つつ
- 応援したい人に「いいね」を
こんな感じですかね。
場合によっては「いいね」を全く押さないこともありますが、ついつい「頑張れ!」という意味も込めて押しちゃうんですよね。
「いいね」を押すのには労力はかかりませんし、義務でやっているわけではありません。
自分の投稿が押されたら嬉しいわけですから、
という行動をしていきたいと思っていますね。
常に謙虚に

こうして「相手/他人」のいいところを褒められるようになりますと、
とも思います。
- 人を認めて
- 自分は遜(へりくだ)る
これができているからこそ、他人の投稿に「いいね」が押せるのかなと。
そう思われる方もいるかもしれませんが、みなさんだってそんなに頻繁に「いいね」を押すわけではありませんよね。
忙しかったり、そもそも他人の投稿なんて見てなかったり。
それでいいのです。
その中でサラッと「いいね」を押しておきながら、自分は自分の投稿を頑張ってゆく。
「いいね」をしないからダメだとかそういうことではなくて、もっとこう「気の持ちよう」の問題なのかなと。
一方で、SNSを「適当に」見れないどころか、批判だけしたい人も中にはいます。
建設的な意見や、いい意味での批判ならいいのですが、
- ただの誹謗中傷
- 難癖をつけたいだけ
このようなコメント欄を見ていますと、
と思ってしまいます。
コメントをするのも各人の自由ですけどね。
僕も若い頃は、何かと攻撃的なコメントを残していたものでした。
結論、あまり良くありません。
それはなぜかと言えば、
- 相手を下げる行為であっても
- 自分が上がるわけではないから
です。
一方で、人のことを素直に応援できますと、
と、謙虚に思えるもの。
「いいね」を押すなんて些細なことですが、意外にもそうしたことは、余裕がなければできないものです。
謙虚であれば、人を認めることができます。
という人が、SNS界隈には結構な数います。
自分は特に発信もしていないくせに、です。
何度も言いますが、不適切な発信をしている人に対して批判をすることは、なんの問題ありません。
ただし「やたらめったらと攻撃的に批判する人」とは、現実世界でもあまり謙虚ではないことが多いです。
なぜか。
僕がそうだったからです。
あくまで経験に照らし合わせた主観的な意見ですが、実際そうではないでしょうか。
と言える人が、他人を攻撃している姿は想像しづらいです。
謙虚に生きましょう。
批判ばかりに回るのではなく、誰かを応援できるような人でありたいですね。
おわりに
僕もこのブログを通して、
と思うことについては、批判的に書くこともあります。
できる限り批判されるべき側の状況も書くようにしていますし、ただただ暴言を吐いているわけでもありません。
そんなブログ、読みたくないですよね。
相手を認めつつも、
と建設的、生産的に意見していきたいですね。
そこには謙虚さが必要なのでしょう。
それではまた!
