こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ひょんなきっかけで友人から「能」に誘われました。
くらいの感覚しかなかった僕でしたが、もしもっと僕が若かったら、何かと言い訳を見つけて見に行っていなかったと思います笑。
しかし今は、みなさんご存知の通り保守的な人間になってきましたので笑、
と思い、見に行くことにしました。
結論、全くもってわからなかったため、その分疑問が湧いてきてしまい笑、自主的にいろいろと調べました。
今日は能の世界について、素人なりの意見を書いて行きます。
静から湧き出てきた疑問

最初に感じたこととは、
というものでした。
なんとそこに何十分も座っている人(地謡(じうたい)や囃子の役の人)たちがいたのです。
普通に考えれば、
と思うものです。
また、みんな無表情であることがほとんどで、時間も90分と長い…
と思ってしまったわけです。
そこで疑問を解消するため、舞台を見にきていた友人にいろいろと聞き、
という質問までぶつけました笑。
いえ、別に悪気があって聞いているのではなくて、真剣に「なぜ?」と思ったのです。
モヤモヤが消えなかった僕は、Chat GPTに聞いてみることに。
そうしますと、
- 能とは想像力で出来上がる舞台
- 表現しないことが日本の感情の美
- 舞台にいることで役者を目立たせる
といったような回答が来ました。
と、感動してしまったのです。
現代では、
- 切り抜き
- ショート動画
- とにかく楽しい
- 感情を爆発させる
というのがほとんどで、悪い言い方をすれば「エンタメ」がはびこっているわけですよね。
しかし能はそうではない。
演者たちが動かないということは、「いない」を意味しておらず、場を支えているのだ、と。
この興奮を生徒さんと話していますと、
と言われ、「はて?」と思い調べました。
「秘すれば花」とは室町時代の能楽の大家、世阿弥の言葉で『風姿花伝』に由来
「隠すからこそ価値が生まれ、すべてを明かさず秘めることにこそ美しさや感動(=花)がある」という意味
おおおお!
僕がこの前少し勉強していた、「武士道」にも通づるような、そんな気がしました。
ゆえに、華道などの「道」とも親和性が高いらしく、
と、妙に納得しましたね。
伝統芸能なんて潰せ?

僕が若い頃は、リベラルもいいところでして笑。
Hip Hopなどのアメリカン・カルチャーが好きだったこともありますから、
と思っていたものでした。
こういう残念な思いにさせたのは、僕があまりにも、
- 男性的
- 論理的
な人間だからでした。
科学技術があるからこその「今」でもありますが、そこ “だけ” を見ていますと、自国の文化の素晴らしさに気づくことができません。
そう、伝統や文化とは「感情的」なものなのです。
めちゃくちゃ論理的に言えば、「祭りや伝統なんかやる意味はない」という意見になるのが普通ですからね。
それでも、日本各地で夏祭りがあったり、盆暮れに親の実家に帰省したりする文化があるのは、神道が知らないうちに僕らの体に染み付いているからこそ。
あげればキリがないくらい、
- 初詣
- 挨拶の礼
- いただきます
- ごちそうさま
- 相手の気持ちを読む
など、様々な場面でその「神道文化」は力を発揮しています。
ここからは主観的な話になりますが、あとは僕らが、
という疑問に尽きます。
先ほどの理論武装で固めれば、もう伝統や文化なんてとっくになくなっていて、
とかなんとか言って、地球が一つになっているわけです。
それでもこうした伝統や文化がなくならないのは、人間の根源的(感情的)なところと、日本の伝統や文化が深く結びついているからでしょうね。
自分のルーツをたどりますと、
- それを愛し
- 感謝するように
なります。
僕らが「地元愛」や所属しているグループに対する愛が芽生えるのは、伝統や文化など共同体が持つ共感や通念などが、人間の深い原始的な部分に訴えるものがあるからなのでしょうね。
そこに流れる日本の血

なんだかんだと「能はわからん」と思っていた僕も、まず現場ですぐに感動したことがありました。
それは、
- 能楽堂の建築の美しさ
- 着ている衣装のかっこよさ
- 演者さんたちの一つ一つの所作
などでした。

僕は能がガチで初めてでしたので、囃子(はやし)や地謡(じうたい)の方々が出てきただけでも、
と思って見ていました。
また彼らはあまり出番がないのに、舞台上で静かに座っていてずっと出番を待っているのです。
それだけでも「かっこいい」と思えましたね。
これは若い頃の僕だったら、なかなか気づけなかったことだったと思っています。
特に、30歳を過ぎてから「マインドフルネス」を経験した僕は、
- 呼吸
- 姿勢
など、わずかながら「日本の美学」をなんとなく意識していました。
語らなければ何を考えているのかわかりませんし、不気味でもあります。
と思う時もありますよね笑。
でもだからこそ、現代社会ではそうした「表出(ひょうしゅつ)しないこと」に重きを置くべきなのかもしれません。
昔の「頑固親父」が多くを語らなかったように、
とも感じる日々ですね。(毎日ブログ書いてますけど笑)
と思われるのは、こうした点に美学があるからなのかもしれません。
僕も海外から日本に帰ってきた時には、ちょっとした「嫌気(いやけ)」みたいなものを感じていました。
と。
でも今は『逆』ですね笑。
特に日本画なんか見ていますと、「描かない美学」をモロに受けます。
と思う人はいるかもしれませんが、それこそが美学なのだなと。
日本の神道から来るこの文化が、どうやらいろんなところに根付いており、それをわかりやすく見つけられるのが、能のような伝統や文化なんですよね。
だから「長くあるもの」には敬意を払い、大事にして後世に伝えるべきなのです。
能は一つのいい体験となりました。
それで全部がわかったような気になってはいけませんが、きっかけとしては十分でしたね。
おわりに
日本の伝統芸能である「能」。
セットで狂言なども見ましたが、能は圧倒的に「美しさ」を表現しており、これには感動というよりも “圧倒” されてしまいましたね。
このタイミングで見られてよかったなと。
若過ぎていたら「なんだそれ」と言って、見に行くことすらしなかったと思います。
こうした伝統や文化を大事にできる大人になっていきたいですね。
それではまた!
