30代がただただ人との時間を楽しんだ結果【ひとりでは味わえない時間】

人間関係

こんにちは。

本日は朝からコメダ珈琲にてモーニングセットを頼んで、久しぶりにまとまった読書の時間を確保しました。

まぁ言うまでもなく結果は「最高」に終わりましたね笑。

最近はずっと読書をしていませんでしたので、溜まっていた分の読書ができてとてもハッピーな朝を迎えることができました。

さて、本日は約束していた新宿天然温泉テルマー湯にサフレたちと行くことになっていました。

事前に新宿みやざき館KONNEでタルタルチキン南蛮定食、TORAYA AN STANDであんペーストカフェラテを飲むことで、既に「ととのって」いたのですが「サ活をして飲みに行く」ところまでが今日の僕の使命でしたので、最後までしっかりとやり切るつもりでいました。

結論、これも最高だったのですがここにご報告いたします。

失われたコミュニケーション

ここ最近は「久しぶりに友人たちと会うこと」に感動しまくっているすずきですが、今日もまたことさら幸せだったなと思わされました。

日本は良くも悪くも「ハレとケ」つまり「日常と非日常」をはっきりと分ける体質があります。

アルコールに頼ることは日本の文化でもありますが、それは日本人の勤勉さやONとOFFを分ける性格に由来していると思っています。

それがひとたび失われてしまいますと、日本にいるサラリーマンたちは途方に暮れてしまうというわけです。

すずきも「悟りを開いたような孤独論」を展開しているものの、やはりアルコールが入ってきますとテンションが上がらざるを得ないものです。

会話もはずみますし、いつもであればチキって出しきれないボケの数々も気にせず出しまくることができてしまいます笑。

滑り散らかしているのはご愛嬌ということにしておいて、シンプルに「やっぱり楽しい時間なんだよなぁ」と思ってしまいました。

お酒が入る入らないは別にしたとしても「好きな人と会って話す」という行為がはばかられていたこの数ヶ月。

特に遅くまで開いている居酒屋も少なかったですし、日本全体に「今はちょっと違うかな…」という風潮が流れていました。

いよいよその流れも変わり始めまして、また少しずつ活気が戻ってきましたね。

お昼に行ったお店では、お店のオーナーさんっぽい人がわざわざ僕に話しかけてきました。というよりお客さん1人1人に話をしていたように思います。

「実は今日から営業再開したんですよ。お客さん(すずき)は再開して45分後に寄ってくださったお客さんということになりますね!」と嬉しそうに話しかけてくれました。

そうか。そうだよな。

僕らお客さんだけでなく、当然ですが「お店側も心待ちにしていた瞬間だったんだよな」と感じました。

もうできるなら「2食分払わせてくれ!」とすら思いましたね笑。

こんな当たり前にあった友人同士の、店員さんとのコミュニケーションがなくなっていたのかと思うと、それは確かに寂しかったですし穴がぽっかり空いてしまっていたのだなと思いました。

少しずつ再開していく経済活動。

自己管理に細心の注意を払いつつ、以前の世界に戻していきたいですね。

時間が過ぎる感覚の違い

ひとりでの時間がとても大切なのは以前からお伝えしている通りですし、それは今後も続けていくつもりです。

でもやはり人との時間で生み出される「幸せ」は質が大きく異なるのだなと実感しました。

話に花が咲き始めますと話題があっちへこっちへと展開し、何時間あっても足りない状態となりました笑。

1人であれば、確かにいい意味で濃密でマインドフルな時間となることは間違いありません。

しかし「今度友人と会うんだよね」という予定があるだけで、週の始めからウキウキ気分になりますし、一緒にいる時間ももちろん楽しめないはずがありません。

そしてその後も僕の中に「記憶」として残り続け、「楽しかった余韻」が持続していくこととなります。

つまり「予定の前も当日も後日も」楽しめてしまうという、トリプルメリットがあるというわけです。

これを俗にハットトリックと言います。(大嘘)

そして何より「圧倒的に時間の流れが速い」と感じました。

15時半から20時半までの5時間という時間を、今までであれば移動や読書、食事や体験に充てていたすずきとしては、それが「メシを食って飲んで話す」というただそれだけのことでこんなにあっという間に終わってしまうものなのかと驚いてしまいました。

中にはマインドフルネスだの読書だの自己研鑽だのとは遠く離れた位置にある、「下らない話や笑ってしまう話」もたくさんありました。

けれどとにかく始終楽しくてずっと笑っていましたし、「あぁ、これが人と過ごす時間の速さなのか」と改めて悟りの境地に至りました。(何度目?笑)

今までの日常が「人と会わないこと」に置き換わっていたからこそ味わえた、以前は当たり前にそこにあったはずの会話のある日常。

「コロナのおかげで有り難みを感じられるようになった」と言ってしまうとコロナを肯定しているようでイヤなのですが、こうして人類が何か災害や恐慌に打ち勝っていく姿は本当に尊いものです。

友人たちと会う時間がこんなにも素晴らしいなんて…

逆にそう感じられている今に感謝ですね。

ここまで全てが繋がってきているのだなと思わざるを得ない毎日です。

幸せの質の違い

友人たちとサウナの話をしていますと、また次はどこ行こうかという話で盛り上がります。

以前「ひとりの時間とみんなとの時間」について書いたりと、そのバランスを保つことの重要性を説いたことがあります。

でも何度か友人たちと会うことを繰り返していますと、やっぱりバランスうんぬんも大事ですけど、そもそもの質の違いに驚くばかりです。

ひとり時間を否定するつもりはありませんが、好きな人たちとの時間はそれだけで「質の高さ」が伺えます。

もちろん下らない話もありますよ笑。でもそれはまた違う話。

ひとりだったら確かに「質の良いインプット」はできるかもしれませんが、幸せの質は全く異なります

人から得るインプットにも良い質のものは豊富にありますし、「楽しくて幸せな時間」という意味ではひとりの「平和で穏やかな時間」とはまた違う幸せの感覚が得られます。

両者の間に優劣はなく、ただひとりでは絶対に得られないであろう「楽しさ」がそこにあるだけなんですよね。

ダンスや読書など何においても「他者との関わり」は大きなモチベーションに繋がりますし、逆にひとりの時間に豊かさを与えます

「他者を意識すること」「アウトプットを意識すること」でインプット自体の質も変わってくると思うからです。

そうした多方面へ影響力がある「人との時間」は、それ自体の幸福度も高いのです。

自分の人生を豊かにしたいのであれば、自分を磨くことや成長に繋がる投資に時間やお金を費やすくらい「他人と積極的に関わることに投資すべき」なのかなとも思います。

意外にも、自分の成長を促してくれるのは周りの人たちなのでしょうね。

おわりに

久々に飲んで食ってしまったので気持ち悪くなって遅くに帰ってきて、ベッドに横になってから記事を書いているのですが、以前もそんなことがありましたのでドンと来いといった強靭(狂人)さが身につきました笑。

とはいえ今後はその点に関してしっかりと反省し、課題の改善に取り組んでいきたいと思っています。(真面目か)

でもやっぱり人と過ごす時間は、何度思い返しても幸せですよね。

改めてそんな気持ちになれたのは、今まで自分にとって「何が大切なのか」を問うてきたからなのかもしれません。

ひとりではいつまで経っても「楽しくて幸せな時間」は生み出せません。

せいぜい「あぁ幸せだなぁ」と、ゆったりと時が過ぎるのを感じるような「幸せ」を感じるくらいでしょう。

僕にはそんな時間も必要ですし、一方で友人たちとの時間も外せないと思っています。

それは根本的に「幸せの質」が異なるからです。

ひとりでする経験とはまた違う、人と一緒にいるからこそできる経験。

この時間も多く持っていきたいと思っていますので、すずきの新たな課題ですね笑。

こんな記事がもっと書けるように、友人とのスケジュールを調整していこうと思います。

それではまた!

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