こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先生として、生徒や保護者に伝えたいこととはなんでしょうか。
- 勉強の大切さ
- 人してのカッコ良さ
- 将来に向けての進路
様々あるかと思います。
先生に限らず、
- 親として
- 友人として
- 先輩として
- 上司として
語りたいことは、みなそれぞれありますよね。
今日は、僕が生徒や保護者と対話したことを例に、
- どのようなことに気をつけて
- どのようなことを伝えているのか
を書いていきます。
ストレスのコントロールは原因自分論で解決
先日、特別指導に入っていた生徒と話す機会がありました。
(手を出してしまったことで、別室で先生と話したり勉強させたりする指導のこと)
僕はこうして1対1で話す時間がとても好きで、手を出してしまった生徒といろんな話をしました。
一見、とても大人しそうな生徒だったため、少しびっくりもしましたが、一緒に「ストレス」について話しました。
最近の僕は、もはやストレスを溜めない生活をしています。
もちろん「疲れ」はあるのですが、精神的に追い込まれるようなことはあまりなくなりました。
生徒に伝えたことは、すべての原因は自分にあるという「原因自分論」でした。
これによって、ストレスが溜まらなくなったからです。
この考え方はとてもシンプルながらも、
と思わせるものです。
例えば、
と感じてしまった場合、
- 学校で働くことを選んだのは自分
- 電車を使う位置に家を借りたのは自分
- 満員電車の時間帯に乗り合わせているのは自分
など、すべての選択には必ず自分の意志が介入しており、遡(さかのぼ)れば変えられることはいくらでもあるということがわかります。
今回は生徒にも、
- 学校を選んだのは自分
- その友人と付き合うと決めたのは自分
- いじられていたことを指摘せずに、受け入れていたのは自分
と、イライラしていた原因は、実は自分が作り出しているということを伝えました。
こうして原因自分論で考えてみますと、
と思うようになり、自然とストレスが消えていきます。
そうすれば、「イライラして手を出す」という状況にまでならなかったのではないかと、伝えてあげました。
また、「手が出てしまったら負け」ということもはっきりと伝えました。
生徒たちはまだ若いので、あまり伝わりきらないかもしれません。
それでも、生徒たちに何かを考えさせるきっかけを作ってあげるのが、先生たちの役割です。
そのために、
- いろんな本を読み、
- 多くの人と出会い、
- 様々な経験をしておくこと。
生徒に何かを伝えたいときに、自分が積み上げてきたものが、結局は一番説得力があるのです。
高校生は寝坊をしてもいい?
生徒と保護者と三者面談をしていますと、生徒に対するグチも出てきます。
結論から言いますと、
です笑。
保護者の方にもそう言います。
実際、生徒はしっかりと学校に来て授業も受けていますので、言い方は乱暴ですが結果さえ出していれば無問題なのです。
また、
と言う方もいらっしゃいますが、結論「大丈夫」です。
社会人に成り立ての時に苦労する人が多いように、「今から徐々に朝型の生活にする」という戦法はハッキリ言って難しいですし無理です笑。
ただ、
- 大学に進学してから
- 社会人になってから
平気で遅刻することは考えづらいです。
環境が変われば、自然と本人の生活習慣も変わるからです。
だから、今は寝坊していようが昼夜逆転していようが、ちゃんとやれているなら大丈夫ですし、将来とは関係がないと思っています。
ここまでハッキリと言った後で、
と言います。
原始時代から遺伝子に、
「朝日とともに起きて、日が沈んだら寝る」
という習慣が刻み込まれているから、と伝えます。
また、
- 日中(授業、バイト)のパフォーマンスが下がること
- 家族という集団で過ごす中で、迷惑をかけている部分があること
なども列挙して、「オススメはしないよ」と言います。
ここで僕が必ず言わないようにしていることは、
という言葉です。
今は今であり、ある程度うまくいっているのであれば、問題視する必要がない点だからです。
「今ある課題」に焦点を当て、どうしたら解決するかを考えることのほうがよっぽど大切です。
ただし、保護者が「なんとかしたい」と思っていることは間違いではありませんので、正論をぶつけるだけでなく、
と伝えています。
つまり、
- 感情的になって指導するのではなく、
- 自分の知識と経験に基づいて事実を伝え、
- 正論ばかりを振りかざさずに納得させる。
これが大事です。
生徒のことを一方的に責めることをせず、かつ保護者の意見も(違うアプローチで)支持すること。
2対1になると、ただの「弱い者いじめ」になってしまうからです。
また「寝坊はいけない」という固定観念をただただ支持することは、シンプルによくないと思っています笑。
- なぜそう思うのか
- 何が本人や保護者にとって損になるのか
様々な点を考えた上で、生徒と保護者に理解してもらうことのほうが、単なる生徒の説教時間よりも生産性のある時間になるはずです。
いろんな視点から話をすること
- 原因自分論も
- 寝坊が何に悪影響を与えるのかも
以前の僕は、ある意味「すぐに答えること」ができました。
と。
ただ、こうした指導をしていた頃、
- なぜそう思うのか
- 本当にそうだろうか
と思ったことは何度もありました。
「思考停止状態」から脱するためには、学校の指導やルールに対してこうした疑問を持つことは大切なことです。
それは、教育の上で忘れてはならない姿勢だからです。
その疑問のおかげで、だいぶ多角的にものごとを見られるようになりました。
指導をする立場にいますと、組織や社会の言うことがすべてだと思ってしまいがちです。
でも実際のところ、世界はそんなに単純ではありません。
- 昔からの慣習
- 理不尽なルール
も、存在します。
どんどんアップグレードしていかないと、教育の分野はいつまでも「化石状態」です。
常に疑問を投げかけ、本当にその指導でいいのかを問い続けるべきです。
そんな穿(うが)った視点を持つこともいいことですが、
と、もっともらしい正論をふりかざし過ぎることも危険です。
論破させることや、無理やり納得してもらうことが、教育の求める答えではないからです。
- 指導においても
- 保護者との会話においても
いつも「一方向からの視点になっていないか」と注意し、広い視野で多角的な意見を伝えることです。
これは何も、
- 「誰からもよく見られたい」
- 「無難に答えて保険をかけておきたい」
という意味ではありません。
答えのない教育という分野では、そうした姿勢が大事だと言いたいのです。
- いろんな生徒
- いろんな家庭
- いろんな環境
があるからこそ、答えは1つではありません。
そうした視点を持って話をすることで、生徒と保護者からも、
と思われます。
「典型的な指導」ほど、聞いていてつまらないものはありません。
様々な角度から話せるよう、僕も普段からいろんなインプットをしていきたいと思っています。
おわりに
- 生徒としっかり話した特別指導
- 保護者と生徒と話す三者面談
このように、面と向かってじっくりと話す時は、
「先生がどういう考えを持っているか」
が直接的に伝わります。
- 何をどのように考えているか。
- 偏り過ぎずに伝えることができているのか。
- 無責任になり過ぎていないか。
バランスを考えて話をしていきたいものですね。
それではまた!
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