30代なりに現代の武士道を考えます【生き方の心得】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は『ONE PIECE』という漫画に惚れ込み、その中に出てくるキャラクターのゾロが好きになりました。

漢の中の漢、ですからね。

  • 気合
  • 根性
  • 努力

を絵に描いたような、そんなキャラクターです。

彼は「サムライ」をモチーフに描かれています。

彼の生き様やカッコよさを真似たい…!

と思い、

それなら武士道を読むべきだろう

という発想になりました。

早速、『現代語で読む最高の名著武士道』を、図書館から借りて読んでみました。

そこから受けた影響と、現代の「漢」を目指して試行錯誤する僕の思想を書いていきます。

武士道を読んで、生き方について考えてみた。礼を大事にして、清貧な生活をしていこう。

武士道を読む

日本男児たるもの、日本に生まれて30年以上も経つのに、武士道を読んだことがないなんてマズいな…

と感じ、早速読書することにしました。

  • 仁義や忠義
  • 正義や礼節

など、

新渡戸稲造さんは、すごい書物を残したものだ

と感動しました。

とても印象に残った部分だけ、お伝えします。

それは、「切腹」について書かれた部分でした。

その当時の「一般の方の切腹のシーン」の解説があるのですが、彼は麻の服を着て厳(おごそ)かにお寺(あるいは神社)の神聖な部屋で、切腹をします。

入室した後も顔色ひとつ変えずに、

  1. 自分の犯した過ちを堂々と言い放ち
  2. 左脇腹からグイと右脇腹、そこから上へと短刀で裂く

のですが、その間も顔色は変わらず、最期は仰向けに倒れるというものでした。

僕はこのシーンを読んだとき、えも言われぬ感情が込み上がってきて、泣いてしまいました。

なんという、サムライ魂。

こんな死に様、かっこよすぎます。

もし自分が切腹をするとなったら、

  • どういう面持ちで
  • どういう心境で

いられるのだろうかと思いますと、胸が張り裂けそうになりました。

当時は切腹がブームとなって横行してしまい、武士の地位を下げることになった

と、新渡戸稲造は不本意を露呈しています。

「切腹かっこいい」とか、そういうものではない

と、武士たちも怒っていたはずです。

それにしても死に際の覚悟を思いますと、当時の日本人が有していた「武士道」とは、ただならぬ道だったのだと圧倒されてしまいます。

『武士道』は宗教でも思想でもなく、日本に根付いた習慣、あるいは道徳と言いましょうか。

特に “定義されない空気感” だったそうです。

現代では、武士道は廃れてしまったのでしょうか。

そもそも受け継いていくべきものなのでしょうか。

漢を目指す僕が解釈したことを、また書いていきます。

当時の侍たちの散り際は、潔く美しかった。これぞ武士道だ。

現代の武士道とは何か

武士といえば刀を引っさげ、いざとなったら抜刀して切る。

しかし、かの有名な漫画『るろうに剣心』でも、

刀を抜かないこと、人を切らないことに越したことはない

というセリフもあるほど、当時の武士はその「強さ」に敬意を払われながらも、一方でむやみやたらと人を切らないという美学も持ち合わせていました。

切腹の覚悟もかっこいいと思っていますが、

  • 日々鍛錬して刀を磨くこと
  • 自分の武器に誇りを持ちいつでもすばやく出せること

が、僕の目指す漢なのかなと解釈しております。

当時は刀は寝室に置いてあり、いつでも取れるような状態にしてあったそうです。

武士道では女性についても述べられており、女性たちも鍛錬しては、いつでも自分の身を守れるよう、短刀を所持していたそうです。

では、現代にとっての刀とは何だろう?

と思った時に、「」と「」なのではないかと、僕は思っています。

英語教師ですから、

英語しゃべってよ

と言われて、

いやぁちょっと…

と恥ずかしがっていてはいけません。

知識はある程度ネットで手に入れられるとはいえ、日々アンテナを張ってインプットしておき、自分なりで構わないので、すぐにアウトプットできるようにしておきたいものです。

僕が10年以上、ダンスを続けているのは、成長することが楽しく「習慣化している」からです。

そして何より、

せいじ踊ってよ

と言われた時に、踊れない自分が恥ずかしいと思っている部分が大きいですね。

僕はプロダンサーではありませんから、みなさんが思うレベルのダンスを提供できないこともあるでしょう。

でも、日々鍛錬を積んでおけば、ある基準は超えられる。

何年もやっていなければ、錆びついてしまう。

いつでも、出せる準備をしておくこと。

ただひけらかしたり、見せびらかしたりすることはしない。

そのために、普段から知と体を鍛えておくこと。

これが僕なりの武士道です。

常に抜刀できるように、鍛錬しておくことだ。知識も体力もつけて、整えておこう。

礼を備える

その知と体をコントロールするのが、「」だと思っています。

礼節を重んじていた武士たち。

これは、話し方や態度にも出ると思います。

身なりもきちんとしていて、礼節もしっかりしている。

簡単に言ってしまえば、知と体と心のバランスが良いということだと思います。

ただただ上っ面だけ優しくしていても、中身が空っぽでは意味がない。

普段から鍛えていないと、いざという時に大切な人も守れない。

加えて、いつも心は穏やかで波風が立っておらずオーラがある。

ここを目指していきましょう。

また、覚悟や美学も「心」のうちに入るのかな、と。

生き様と言いますか、在り方と言いますか。

だからこそ、死に様が美しい。

「武士道が宗教たらざる意味」が、なんとなくわかるような気がします。

新渡戸稲造も、言語化するのに苦労したことでしょう。

僕も、

それ相応のサムライだ

と思われるような、そんな日本男児でありたい。

自分たちの今をただただ誇るのではなくて、武士道が根付いた日本の歴史に敬意を払いながら、それに恥じない生き様を見せたい。

そう思っています。

つけた知識や体力をコントロールできるよう、心も鍛えてゆくこと。そして侍になろう。

おわりに

目指す生き方が武士道でなくとも、現代らしい漢の一花を咲かせてみたい

ゾロは「武士道の生き写し」ですから、ワンピースを読んでおけば武士道が自然と身につくことでしょう。

最後に、武士道から一説お借りしたものを載せておきます。

生きることが死ぬことより一層困難な場合は、

あえて生きることが真の勇気である。

みんなで、ゾロを超えて行きましょう。

いつでも刀は研いでおき、鋭い切れ味が出せるよう日々精進ですね。

それではまた!

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