こんにちは。
一家に一本はある日本刀。
今日はその研ぎ方をお伝えしま…せん。
むしろ僕が保有している刃物といえばハサミと台所に眠っている無印良品の包丁くらいなものです。あと鼻毛カッター。
僕はONE PIECEという漫画に惚れ込み、その中に出てくるキャラクターのゾロが好きになりました。
漢の中の漢、オトコ in the manということですね。
昭和の頑固親父もびっくりするくらいの、気合と根性と努力を絵に描いたようなキャラクターです。
彼はサムライをモチーフに描かれています。
「彼の生き様やカッコよさを真似たい…!」と思い、それなら武士道を読むべきだろうと安直もいいところの発想が舞い降りてきました。
早速、現代語で読む最高の名著武士道なるものを、図書館からかっさらって読んで見ました。
そこから受けた影響と、現代版「漢」を目指して試行錯誤する男すずきの思想を探ってみましょう。
武士道を読む
「日本男児たるもの、日本に生まれ落ちて30年以上も経つのに武士道を読んだことがないなんてマズいぞ」と感じ、早速読書。
仁義や忠義、正義や礼節など、僕らの時代の5,000円札の顔だった新渡戸稲造さんは、すごい書物を残したもんだと感動しました。
全部解説できるほど覚えてませんので、とても印象に残った部分だけお伝えします。
それは「切腹」について書かれた部分でした。
苦手な人は飛ばしてください。
その当時の一般の方の切腹のシーンの解説があるのですが、彼は麻の服を着て厳かにお寺(か神社)の神聖な部屋で切腹をします。
入室した後も顔色ひとつ変えずに、自分の犯した過ちを堂々と言い放ち、左脇腹からグイと右脇腹、そこから上へと短刀で裂くのですが、その間も顔色は変わらず、最期は仰向けに倒れるというものでした。
僕はこのシーンを読んだとき、えも言われぬ感情が込み上がってきて、泣いてしまいました。
なんというサムライ魂。
こんな死に様…かっこよすぎます。
もし自分が切腹をするとなったらどういう面持ちで、どういう心境でいられるのだろうかと思うと、それこそ胸が張り裂けそうになりました。
当時は切腹がブームとなって横行してしまい、武士の地位を下げることになったと新渡戸稲造も不本意を露呈しています。
「切腹かっこいいとかそんなんじゃないから!」って武士たちも怒ったはずです笑。
それにしても死に際の覚悟を思うと、当時の日本人が有していた「武士道」とは、ただならぬ道だったのだと圧倒されてしまいます。
武士道は宗教でも思想でもなく、日本に根付いた習慣というか道徳というか、特に定義されない空気感だったそうです。
現代では武士道は廃れてしまったのか。
そもそも受け継いていくべきものなのか。
漢を目指す青年すずきが、それっぽく解釈していこうと思います。
現代の武士道とは何か
武士といえば刀を引っさげ、いざとなったら抜刀して切る。いやぁかっこいい。
しかし、かの有名な漫画るろうに剣心でも「刀を抜かないこと、人を切らないことに越したことはない」というセリフもあるくらい、当時の武士はその強さに敬意を払われながらも、一方でむやみやたらと人を切らないという美学も持ち合わせていました。
切腹の覚悟もかっこいいと思っているのですが、日々鍛錬して刀を磨くこと、自分の武器に誇りを持ちいつでもすばやく出せることが、僕の目指す漢なのかなと解釈しております。
当時は刀は寝室に置いてあり、いつでも取れるような状態にしてありました。
武士道では女性についても述べられており、女性たちも鍛錬していつでも自分の身を守れるよう、短刀を所持していたそうです。
では現代にとっての刀とは何だろうと思った時に、知と体なんじゃないかなって僕は思います。
英語教師ということもあって英語しゃべってよって言われて「いやぁちょっと…」と恥ずかしがっていてはいけません。
他にも「先生、最近の〇〇についてどう思います?」って言われても、できる限り返せるようにしたいところです。
最近よくひろゆきさんとDaiGoさんの動画を見ますけど(※その後あまり見なくなっています)、あの人たちは知識量がすごいっていう単純なことではなくて、日々みんなが悩んでいるところをしっかりと日々論文や本を読んで埋めているということがすごいんですよね。
とんでもないお二人を例にあげてしまいました笑。
知識はある程度ネットで手に入れられるとはいえ、日々アンテナを張ってインプットしておき、自分なりで構わないからすぐにアウトプットできるようにしておきたいものです。
僕がダンスを10年以上続けているのは、成長するのが楽しいし習慣化しているからです。
しかし何より「すずきくん踊ってよ」と言われた時に、踊れない自分が恥ずかしいと思っている部分が大きいです。
僕はプロダンサーではありませんから、みなさんが思うレベルのダンスを提供できないこともあるでしょう。
でも、日々鍛錬を積んでおけばある基準は超えられる。
何年もやっていなければ錆びついてしまう。
いつでも出せる準備をしておく。
ただ無為にひけらかしたり見せびらかしたりすることはしない。
そのために普段から知と体を鍛えておくこと。
これが僕なりの武士道です。
礼を備える
その知と体をコントロールするのが心だと思います。
礼節を重んじていた武士たち。
これは話し方や態度にも出ると思います。
やっぱりかっこいい人は話し方からカッコいい。
身なりもきちんとしていて礼節もしっかりしている。優しくておおらかで…
とあげればキリがないのですが、これらを総じていえば知と体と心のバランスが良いということだと思います。
ただただ上っ面だけ優しくしていても中身が空っぽでは意味がない。
普段から鍛えていないといざという時に大切な人も守れない。
加えていつも心は穏やかで波風が立っておらずオーラがある。
目指すべき目標はとんでもなく高いですね…
覚悟や美学もその「心」のうちに入るのかな、と。
かといって武士たちは死に際の美学を守るために、覚悟を決めているって言い切ってしまうのも陳腐です。
もっとこう、生き様というか在り方というか。
だからこそ死に様が美しい。
うーん、武士道が宗教たらざる意味がなんとなくわかる気がします。
新渡戸稲造も言語化するのに苦労したことでしょう。
そう言えば最近、「日本すごい」みたいな番組が多いですよね。
テレビ番組で日本を持ち上げるのはご自由にしていただいて構わないんですけど、「それ相応のサムライだ」って思われるような男児でありたいです。
自分たちの今をただただ誇るのではなくて、武士道が根付いた日本の歴史に敬意を払いながら、それに恥じない生き様を見せたい。そう思います。
おわりに
目指す生き方が武士道でなくとも、現代らしい漢の一花を咲かせてみたい。
ゾロはまるで武士道の生き写しですから、とりあえずワンピースを読んでおけば武士道が自然と身につくこと必至です。
地面に落ちて踏みつけられたおにぎりを食べて「うまかった、ご馳走様でした」なんて言えますか。
「背中の傷は剣士の恥だ」と言って真正面からザックリ切られることができますか。
船長のダメージを代わりに受けて瀕死状態で「なにもなかった」なんて言えますか。
ちょっと熱くなりすぎました笑。
最後に武士道から一説お借りしたものを載せておきます。
生きることが死ぬことより一層困難な場合は、あえて生きることが真の勇気である。
みんなでゾロを超えて行きましょう。
いつでも刀は研いでおき、鋭い切れ味が出せるよう日々精進ですね。
それではまた!
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