こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕の人生は、現在から2年前の2020年から180°変わりました。
- 離婚
- コロナ
を発端として、
- 考え方
- 人との付き合い方
が大きく変わりました。
それまでは、ずっと「喉が渇いている」状態であり、人にキツく当たっていた時もありました。
それを変えてくれたのは、
- 友人・仲間
- 本の中の偉人・先人たち
でした。
もちろん、今の僕があるのは昔の僕がいてくれたからであり、彼がいなければ「粘り強さ」や「戦い抜く力」は身につかなかったと思っています。
どうしたら人生を豊かにできるか考え抜いた2年間。
今の僕の「幸せ」をお伝えしていきます。
インプットに躍起になっていたコロナ禍
この考えが、男を海へと駆り立てました笑。
コロナが始まった当初は、僕だけでなく多くの人が自由を奪われ、経済的に困窮し、人生について見直しました。
僕がやったことは2つ。
- 読書
- 歩き回ること
でした。
読書
僕が手始めにやったことは「読書」でした。
もともと本が好きだった僕は、小説だけでなく、人生について考える手立てとして、もっと本を読むことにしてみました。
そうです。
「自己啓発本」です。
と一蹴していたジャンルでしたが、人生について考えた時に先の道を示してくれるもの。
それが本の中にいる歴史上の「偉人たち」でした。
いわゆる「成功」を収めた人たちは、
- 誠実な人
- 泥臭い人
- 辛酸を舐めた人
など、様々なタイプの人がいましたが、「誰かの役に立ちたい」というシンプルで小さなことを始めている人が多かった印象があります。
歴史に名を残すような人たちですから、その過去はどれも輝かしいものとは限りません。
それでも「自分の信じた道をゆく姿」に僕は、
と考え直すようになりました。
- 自分の本能に従い
- 自分ときちんと向き合い
- やりきったと言える人生にできているか
と散々考えた結果、もっと自分のやりたいことを素直にやって、後悔なく人生を終えようという結論にいたりました。
「人の人生」を生きてきた僕は、
- 他人の成功を妬み
- 自分のできなさにイラついて
いました。
勉強はある程度できましたが、どこか満たされなかったのは、すべて自分のために生きていたからだと思います。
先人たちは、本当に豊かなマインドを持っている人が多いです。
読書をすることで、昔生きていた「素晴らしい人格者」と出会うことができました。
自分の小ささを知り、人のために生きる道を選ぶようになれたのです。
歩き回る
人生は一度しかない。
焦る必要はありませんでしたが、できる限り多くの景色を、
- 自分の足で歩いて
- 自分の目で見よう
と思うようにはなりました。
ある意味「コロナ」がタイミングを作ったかのように、僕はありとあらゆる場所に行くようになりました。
制限がかかっていた頃は、神奈川県内を縦横無尽に駆け回り、自分の知らなかった「地元」を深く知るようになりました。
歩いていますと、その景色だけでなく、
- 人
- 匂い
- 街並み
などがすべて「リアル」に存在し、そこには「暮らし」がありました。
以下は、僕が友人と散歩していた時に聞いた言葉です。
僕も納得しました。
- 観光に行ったり
- 絶景を見に行ったり
- 体を休めるためにリゾートに行ったり
そんなこともするようになった僕ですが、それ以上に町の「暮らし」を見るようになりました。
本当に当たり前のことなのですが、そこには「人」がいて「街」がありました。
活気に満ち溢れ、「生」を感じた瞬間でした。
こうして当たり前のように生きていること。
この生きているリアルな幸せは、世界のどこかにあるわけではありません。
いつでもそれは身近に、あるいは自分の中に存在し続けるのです。
それに気付かさせてくれたのは、ただそこに存在し続ける「暮らし」だったのでした。
GIVEへのプロセスが大切
インプットに明け暮れた僕は、単純なのか今度はアウトプットに躍起になり始めました笑。
いわゆる「GIVE」を積極的にするようになったのです。
最初こそ不器用なものでしたが、
- お土産を買ったり
- プレゼントを買ったり
することで、「人に与えること」に快感すら覚える「変態」となることができました笑。
しかし続けていますと、考えとは変わるものでして、
と思い始めました。
そこで今度は、「自分にできること」を必死になって考えました。
実はこの「模索している時間」が、僕にとって「とても有意義な時間」となりました。
自分にできることは限られており、またその能力や経験をどうやってGIVEしていくのかという「カタチ」も大切になってきます。
この「プロセス」がとても大切であり、そこに豊かさを見出したのでした。
少しずつ自分なりのGIVEができるようになって見えてきたのが、「感謝」という形の返礼でした。
月並みな表現かも知れませんが、やはり「感謝されること」は、何にも代え難い価値のあるものです。
その形は様々あり、その1つが「お金」という形ですね。
しかし、「お金」という形の返礼を求めていた時の僕は、実際は何もうまく行きませんでした。
一方で、純粋に気持ちの良い「ありがとう」をもらうこと。
そこに自分の全精力を注入し始めますと、驚くほど心が豊かになりました。
「お金を稼ぐ」という形は実現できていませんが、僕の人生の本質はここにあると直観でわかったのです。
それに、これを続けていくことが、自然と経済的な豊かさにもつながるのだと信じています。
もう、一人で歩き回るような「インプットに躍起になっていた時代」も終わり、今は読書や旅をしたりしつつ人に会い、「与えること」とのバランスをとりながら生きています。
でもそれは、コロナ禍でたくさん考え、インプットをした時代があったからこそたどり着けた境地でした。
- 受け取り続けていた自分。
- 何かGIVEできないかと考え、
- 自分なりにできることを模索し、
- 人に感謝されることで精神的に豊かになったこと。
たくさん考え行動してみましたが、答えは出ませんでした。
いえ、そういうことではなく、それは「答えなんてない」という答えでした。
それぞれにそれぞれの豊かさがあり、目的を探すプロセスに意味がある。
そもそも僕らは生まれ落ちただけであって、何もやるべきことなんてないのです。
ただ、
半ば投げやりのようにも見えますが、そういうことではありません。
「本当に自分のやりたいこと」を追い求め続けたことで、僕の生きる目的が定まったのでした。
- 見返りを求めず、
- 与え続けた先に、
- 僕の目指す未来がある。
僕は今、確信をもって歩むことができています。
この「与えられた命」をどう使い切るのか。
これからが、僕の人生の見せ所ですね。
おわりに
「生きる意味」について考え始めたのは小学生の頃でした。
それは「死」について、初めて考えた時のことです。
それからは社会のレールに漠然と乗りながら、死んだように生きていました。
もちろん、そこで学んだことや苦しい経験があっからこそ、今に繋がっています。
人生について考える時間は、人によって異なりますから、長い短いは関係ありません。
あっという間の人もいるでしょうし、死の直前まで追い求め続ける人もいるでしょう。
僕はある程度、ブレることのない自分の芯や軸が定まってきました。
しかし本番はこれからです。
まだまだプロセスの途中かもしれませんしね。
自由や幸せ、目的や意味を求めて、また今日もハツラツと生きていきます。
それではまた!
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