30代が批判家から褒める人になった理由【生徒を褒める】

人間関係

こんにちは。

僕は昔っからほめられて伸びるタイプでした。

ふと考えてみても「ほめられて悪い気のする人」っていませんよね。

この年になってもほめられれば嬉しいですし、それをニンジンとしてすずきの前にぶら下げていただければ地の果てまで走れるというものです。

この場合はバナナですかね。

昔の「ほめない」自分から「ほめて伸ばす」へと変貌を遂げた、すずきの変化を見ていきましょう。

人を批判する

なぜこんなにも小さい器だったのか。

それはひとえにすずきが負けず嫌いというところに原因があります。

昔から勉強という戦場で戦ってきた「歩兵第2部隊隊長」のすずきからしますと、点数で負けることがどうしても許せませんでした。

他にも才能を持っている友人を見ているとついイライラ、メラメラとしてしまい、批判的になっていたと思います。

「あいつはこの点においてダメじゃないか」「あいつのあの部分は許せない」とか。

それって20代前半まで普通にもっていた感情でしたね。ヤバいですはい。

英語教育の議論になってもそうだし、ダンス談義になってもそうだし。

今はかなり丸くなったほうですが、時に牙をむき出しにすることもあります汗。

30代と言ってもまだ若いほうです。

ほら能ある鷹は爪を隠すっていうのと一緒です。(?)

「あの人ってすごいですよね!」という言葉を聞きつければ「なにっ?」と振り返り、頭の中では対象になる相手の批判ばかりを始めていました。

山里亮太さんの天才はあきらめたという書籍にもそんなことが書かれていましたが、少なくとも僕もそのような悪い意味の「批判家」だったと思います。

でも今思えば、そんな「雑草魂」というか周りが全て敵だという四面楚歌状態を脳内で勝手に作り上げていたおかげで、伸びた力もあります。

勉強やダンスや仕事ですね。

その一方で、ほめられた時は「ふん。当然だろ」みたいな態度も出していたと思います。

クソ野郎です。

しかしこの「鼻高天狗クソ野郎」も、ふとトゲが抜け落ちる経験をします。

ほめる先輩

そんなすずきのダンスサークルに来た時の開口一番は、何だと思いますか。

なんと「ぐるぐる回りたいから音楽なんて要らない」だそうです。

とりあえず10年くらいタイムスリップして、自分を一発ぶん殴ってきます。

しかし、当時初めて出会ったブレイクダンスの先輩が、こんな「お調子者」を変えてくれました。

ダンスの要、柱、命とも言える「音楽」を否定した、こなクソ坊主野郎を打ちのめすことはせずに、先輩は丁寧に基礎から徹底的に教えてくださいました

もちろん、僕も「器械体操で燃え尽きることのできなかった高校時代の悔しさ」を乗り越えたい一心でサークルに入りましたので、そのやる気たるやオーラとして可視化できるレベルでした笑。メラメラしていましたね。

先輩たちも、そんなやる気マンマングローブの1年生に燃えてくださいました。

右も左もわからないダンス初心者に対して、少しでも何かワザをかませば「おおー!やべぇ!」と言ってくださりました。

そう、とんでもないホメ上手だったのです。

トガっていて「成長したい欲」の強かった僕の性格と、先輩たちの「教えたいという欲」が相乗効果を生んだのでしょう。

当時僕は、そんなオーバーリアクションとも言えるホメ方に、全くと言っていいほど抵抗がありませんでした。

なぜかと言いますと、その裏付けとして先輩たちはダンスがとても上手だったからです。

そんな上手い人にほめてもらえる。

その人が努力するから、僕も努力する。

努力すればほめてもらえる。という好循環を生み出したのでした。

大げさでも構わない。

自分のアクションに対して大きなリアクションがあることは、誰にとっても嬉しいことなのです。

だんだんとすずきのトゲも抜け落ち、後輩や教え子ができてくると純粋にほめたくてしょうがない性格となりました。

ほめまくる

よく「甘やかすこと」と「ほめること」は別物だと言う人がいます。

おっしゃる通りだと思います。

甘やかすこととは厳しさがないという意味です。

その人のことを正面から何も見ずに、怠惰な部分やダメな点を看過してしまうことと同値だと思います。

また「指摘しなくてもいいや」と、自分自身にも甘えていることでもあります。

僕の友人が「楽しい」というのは適当にダラダラ過ごしている時間(chillとかパーティとかの類)とは違って、「できないことができるようになった時」だと言っていました。

これは今でも大切にしている言葉です。

何かができるようになるには、「それ相応の努力」が必要とされます。

だからほんの少しでも生徒や後輩が何かに挑戦して何かを達成できたときには「おおお!すげぇ!」と言うように心がけています。

そのためにしっかりと相手を見てあげることが大切です。

ダンスの動きでも宿題の成果物でも、ちょっとした発言でも。

「俺は見てるよ。じゃあ君はどうする?」という点が、「甘やかすこと」とは大きく異なるのではないかなと。

時には生徒に対して「まぁ君たちには無理だと思うけどね…(チラッ)」とわざとらしくあおりを入れます。

その後、平然と課題をこなしたり技を決めたりしたものならば、「おいおい嘘だろ?すごすぎじゃん!」と驚いてやります。

別にわざとオーバーにやる必要はありません。純粋に「すげぇ!」と声を上げるだけです。

その時の生徒や後輩たちの満足感とは、なかなかのものでして。

見ていたこっち側も「さぁ、次はどうしてくれるんですか?」とあおられている気がしてなりません笑。

以前の僕と先輩の関係のように。

特に大切なのは、その道の人にほめてもらうということです。

ダンスは素人のお客さんにも「すごい!」とほめてもらうことができますが、玄人にほめられたときほど身に沁みるものはありません。

もちろん勉強においても、先生にほめてもらうのは単純に嬉しいと思います。

僕自身がそうだったので。

自分としっかり向き合ってくれた人からほめられること

これが何よりも嬉しくて、観客からもらえる一過性の「すごい」とは一味違う達成感を欲しくなってしまう理由です。

おわりに

最近読んでいますやり抜く力 GRIT(グリット)―人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につけるでも、ある分野においてまだ若い頃や始めたての初心者がほめられることは、かなりのプラスの効果があると書いてありました。

一方で人を批判するということは、自分ができていない自己嫌悪の裏返しでもあるのかなと思います。

僕も少しずつ余裕が出てくるようになったのは、まだ何もできずにガムシャラに戦っていた頃と違って、たくさんのことができるようになったこと視野が広がったことが理由としてあげられます。

できる人ほど共通して余裕があるように感じます。

僕は別にその道のプロではないですが、そんな僕でも「君たちではまだまだ僕には勝てない」という余裕をもてるのは、彼らよりも一歩先にいるからです。

小学生が「わー!」と戦いにきても「あーはいはい」となるように、俯瞰して生徒や後輩を見てみると、余裕が出てきていろんなところが見えてきます。

そこで目を離さずじっくりと彼らの動向を見守ること。

達成できた時にはしっかりとほめてやること。

できなかったところは改善点・課題点としてフィードバックしてあげること。

これが先生や先輩としての責務なんじゃないかなって思います。

ほめるって意外と難しくて、適当にほめることはできないんですよね。

つまり「ほめまくる」というのは相手のことを見まくるということです。

と同時に「その分野で自身も努力を重ねること」も褒める際の+αになるのかなと思っています。

いずれにせよ、すずきはオーバーリアクションしまくる芸人としてその地位を確立しつつあります笑。

ほめられて悪い気もしませんし、成長につながるでしょう。

どんどんほめて伸ばす。

気持ち良くなって自己肯定感を高められるような生徒や後輩が増えたら僕は本望です。

また明日からも観察することを心がけて、ほめちぎっていきたいと思います。

それではまた!

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