誰にも支配されないように生きていこう【ずっと持ち続ける反骨精神】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

世界を周遊して日本に帰ってきますと、いかに日本が小さいかがわかります。

今となっては海外の経験者と楽しく話すことができますけれど、実は僕自身、以前から反骨精神の塊(かたまり)でした。

  • 先生に対して反抗的になってみたり
  • 先生になった後も職場で叫んでみたり笑

と、なかなかにアウトサイダーなキャラクターで生きてきたものです笑。

これは違うと思う

ということには必ず意見をし、

  1. 相手が変わらない
  2. 環境が変わらない

と思ったら、すぐに離れるようになりました。

今日は「反骨精神」について書いていきます。

僕は昔から古い体制や上で偉そうにしている人が嫌いだった。これからは海外の経験を使って、日本で戦っていくのだ。

根っからの反体制派

先述した通り、僕は既存の体制が嫌いですし、上のほうで偉そうにしている人がキライでした。

以前の僕はかなりの「やんちゃ野郎」でしたので、不良ではなくても心の奥底にある考え方は捻くれていたものでした笑。

どうやったらこいつに恥をかかせられるか?

と半沢直樹さながらに、なんとか相手を言い負かすことばかりを考えていました。(やばいやつ)

今はもう落ち着きましたが笑、先生になってからもその「根っこの態度」はあまり変わることがありませんでした。

え?まだ紙使ってるの?
え?まだ生命保険に入ってるの?

と、まるで煽りプレイかのように笑、職員室で大声で話すこともしょっちゅうでした。

そうやって「大声」を出すことは僕の得意分野であり、

キライになるやつはなってくれてもいい。ただ俺は俺の道を行く

といった感じで、周りに敵も多かったものです。

今でも根っこの部分は変わっていませんが、以前よりずっと柔らかくはなりましたね。(ホッ)

僕は、大声を出すだけで嫌われるようなら、

それは相手の勝手な判断だ

と認識しています。

もちろん、ただ大声を出して理不尽にクレームを入れている先生もいましたが、それはちょっと違うかなと思っています笑。

声を大にすれば意見が通る

と勘違いしている先生もいましたからね。

一方で僕は、

誰も言わないのであれば、僕がいう

そんな気概で、教員をやっていましたね。

特に公務員はしょうもない体制やルールが多かったので、

そらきた!さて、つついてやろう

と意気込んでいましたが、今考えればよくそんな環境に身を置いていたものだと思いますね笑。

僕は若い時から、日本の慣習に合ってなかったのでしょう。(だから海外が好きになったのかも)

小学生の頃から議論が好きだった僕は、「違うものには違う」と声を上げるようになっていたのですね。

僕は昔から既存の体制でムダなものやいけすかないものには声を上げていた。誰も言わないから、僕が言おうと思っていたのだ。

飛び出ないことが美徳って…

海外から日本に帰ってからは、いろんなことを感じました。

みんなひっそりと生きていて、少しでも「出る杭」となれば総スカンをくらうかのように、怯えて生きているようにも見えました。

もちろん、

非倫理的なことをして目立てばいい

と言っているわけではありません。

ただ、

そこまで自己主張しないことある?

というくらい、なんだかひっそりと生きているのだなと感じました。

今はある程度「寛容な社会」になってきたのかもしれませんが、「何かミスをすれば総叩き」という形態は変わっていないような気がします。(だからテレビはキライですし見ません)

ある意味「不気味」であり、海外の人たちが、

日本人は本当は優しくない。周りの目を気にしてパフォーマンスしているだけだ

と指摘していたことは、とても腑に落ちましたね。

世界を回る前から「こんなん」だった僕は笑、海外から帰ってきてよりいっそう、

もっとハジけていいのに

と思ったものです。

これは日本の悪いところというよりも、ずっと日本という国の「課題」なのだと思っています。

現在は「トガった人」たちが現れたことで、

もっとガンガンいっていいんだ!

と思えている人も増えているかと思います。

僕もそっちのほうがいいと思っていて、そうしないと日本はずっと古い体制を維持し、偉い人(実際はそうではない)がもっと偉ぶってしまいます。

下から突き上げて、ダメなところには「ダメだ」と指摘をすることです。

失敗を叩くことではなく、そうした「既存のダメな文化」を叩くことが必要だということです。

僕は、

嫌われたって構わない

と思っていましたが、攻撃的な部分はだいぶ抜け落ちました。

しかし、今でも日本の体制や「みんな一緒に」みたいな文化には反吐(へど)が出ます笑。

何それ。だから日本は変われないんだよ

とね笑。

日本では出る杭にならないことが美徳とされている。いい加減、そんなしょうもない文化は無視していこう。

日本では目立ってなんぼ

それなら、せいじはやっぱり海外で生きていこうと思っているの?

よく聞かれる質問ですが、

それもいいかな

と思っている程度であり、オプション(選択肢)として持っているだけです。

僕が日本でこうして「曲者(くせもの)」として生きているのは、それが楽しくて仕方ないからです。(サイコ)

別に反感を買おうとかそういうことではなく、

視野の狭い人や、凝り固まった考え方をしている人には「NO」を突きつけていける

と思っているだけです笑。

そうじゃないよ。違うんだよ。あなたの考えは古いよ

とね。

ただ、だからと言って、

  • 日本を変えたい
  • 世直しをしたい

というわけでもありません。

ダルいな

と思ったらすぐに離れますしね。

ただ日本では、僕のようないわゆる「変な人/批判をもろともしない人」は、いい意味で目立つことができます。

ありがたいことに、変わろうとする人が少ないからです。

日本では「みんな一律で」という文化がはびこっている分、自己主張したもの勝ちなのです。

はい?あなたは何を言ってるの?

と言うことができますしね。(若かりし頃の僕笑)

そこで叩いてくる人なんて、所詮「ヒマな人」です。

人を叩くことにしか時間を使えないだなんて、僕はそんな人生、まっぴらごめんですね。

そんなことは気にせずに、僕はズンズン進んでいきます。

日本では、いかに「みんな一緒に」という文化から抜け出せるかが勝負です。

それを察知して、

  • 起業したり
  • 海外に移住したり

している人はたくさんいます。

僕も偉そうに言ってないで、彼らのようにどんどん動いていかなければなりませんよね。(反省)

「目立ってなんぼ」とは、悪い意味で言っているのではありません。

とにかくこの「頭のない巨大な生物(=集団心理)」から抜け出して、個性を出していくこと。

無理に「体制に反逆すること」が本意ではありません。

自分という人間を尊重するからこそ、日本でも世界でも、戦っていかなければならないのです。

小さな日本という世界では、もっと目立っていくことができる。自分を信じ、自分を出していくのだ。

おわりに

僕は昔、気に食わないものには突っかかっていったものでした。

そこから人との摩擦も生まれましたし、どこかイキっていた部分もありました。

今では平和にコトを済ませるようになりましたし、話の合わない人とは距離を置くようになりました。

ただ、日本という国においても世界においても、

  1. 体制なんて気にせずに
  2. もっと自分を出していい

と思っています。

心の奥底にある「反体制」の姿勢笑。

いい意味で「戦って」いくのです。

それは日本という狭い国で、自分に価値を与えていく戦いなのです。

それではまた!

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