残りの人生を、僕はどう生きるか【他人のために費やしていく時間】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、101歳まで生きたおばあちゃんの告別式に行ってきました。

宮城県に帰ればいつでも優しく迎えてくれたおばあちゃんも、いよいよ旅立ってしまいましたね。

これで僕に残されていた「祖父母」に当たる人はいなくなったことになります。

先日も、若くして亡くなっていくアニメのキャラクターについて、記事を書きました。

告別式に参加している最中も、

僕の人生はどう終わりを迎えるのだろう?

と、たくさん考えました。

今日もまた「人生をどう生きるか」について書いていきます。

僕らは残りの人生をどう生きるか。後悔なく生きていくために、今を一所懸命生きていこう。

自分のことだと思って考えること

人の死とは、人を感動させる効果があると思っています。

やはり誰かを失うということは、身を斬るような思いですしね。

今回、おばあちゃんの場合は、最後の最後まで頑張って亡くなっていったため、

幸せに亡くなっていったのだ

と思うことができましたが、それでも、

自分の人生はどうやって終わりを迎えるのだろうか

と、自分についても深く考えたものです。

僕は告別式を迎えて改めて、死について考えたわけではありません。

何度も死について考えたからこそ、

悔いのない人生にしよう

と思い、世界一周に飛び立ったのです。

  • 今しかやれないこと
  • 今のうちにやっておきたいこと

があるのならば、僕は迷わずその選択をするようになりました。

いつ来るかわからない死。

それをいつも意識していないと、やれることもやれなくなります。

行動しようとしても、後回しにしようとしてしまいます。

でも僕らが思っている以上に、僕らの人生はとても短いのです。

特に歳をとってからでは、体も動かなくなるのは目に見えています。

体が動く間に、やれるべきことをガンガンやっていくのです。

「身近な人の死」は、僕らに大きな影響を与えます。

  • 生きるとはどういうことなのか
  • 今という時間をどれだけ貴重に生きているのか

そうやって、僕らの存在意義を問われるようになるからです。

僕は今でも考え方を変えていません。

毎日を全力で生きること

いつ命が終わってもいいように、毎日を「必死に」生きていくのです。

人の死から考えられることはたくさんある。今の僕は何ができているのか。何をしているのか。また考えていくのだ。

僕に今できることは何か

告別式の間もそうですが、僕はここ最近で妙に「自分の生きている時間」についてじっくりと考えるようになっていました。

以前ももちろん、

誰かのために何かをできないか?

と考えていたものでしたが、より、

自分の時間は今、本当に誰かの何かのためになっているのか

と考えるようになりました。

最近始めたオンライン英会話では、給与がものすごく低いのですが、

その人の英語力向上のための、力添えができている

と感じられるので、とても嬉しいのです。

先生に教えてもらえてよかったです

そんな風に言ってもらえると嬉しくて、

やっぱり僕は教育者なんだな

と思ってしまいましたね。

僕のこれからの目標は、そのような「笑顔」や「感謝」をいかにこの国内で増やしていくかということにかかっています。

  • 英語教育の場
  • 情報交換の場

など、僕にできることはもっともっとたくさんありますから、本当に頑張らなければなりません。

もし最後を迎えるときに、

あれもこれもやっておけばなぁ…

と、そう思いたくはない。

だから僕は去年、世界一周をすることができました。

そうやって1歩ずつ踏みしめながら、やりたいことをやっていくこと。

人生は一度きりしかありませんからね。

  • 常に
  • 毎日

誰かのために時間を費やすこと。

その対価としてお金をもらうことができて、僕の場合はそれがまた交際費に当てがわれていきます笑。

もっと先の未来では、もしかしたら自分の事業に投資していくかもしれません。

それでいいのです。

自分への贅沢なんて、ちょっとしたカフェとサウナ、美術館と外食くらいでいいのですから。(世界一周をしたので、もう旅行はあまり考えていません笑)

今の僕は何を考え、何をしているのか。

自分の時間を、何に使っているのか。

真剣に考えるようになった僕は、毎日を必死に生きるようになりました。

誰かのために時間を使っていくこと。

これが、僕のこれからの大きなテーマとなっています。

僕は今、何をしているのか。常に誰かのために動けているか。それを考えて毎日生きてゆくのだ。

後悔のない人生を歩めているか

先述した通り、僕らは死に向かってゆっくりと(あるいは速く)、着実に向かっています。

僕はこれまでの人生も良かったと思っていますが、やはりまだもうちょっと、

この世において、もっとできることがあるんじゃないか

と思っています笑。

教育者として生きてきたからこそ、そのような使命感があるのだと思っていましたが、経験から生まれた「使命感」であるということがわかりました。

去年、一昨年と、

  • 世界の旅
  • 英文法の授業
  • 人に会いに行く

といったように、自分のできることをとにかくやれるだけやっていました。

ガムシャラにやってみた上で、

やっぱりこれなんだ

と、僕なりの正解を導き出すことができたのです。

僕の思う「後悔のない人生」とは、確かに世界を見て回ると言ったような、「独りよがりのもの」もあります。

今はそれ以上に「人に費やしている時間」のほうが、より有意義な時間なのだと思うようになりました。

「お金を生むかどうか」ということにも関わって来ますが、それは別段イヤらしい話ではなくて、

いかに他人(ひと)のために生きられたか

の尺度が、お金に代わっているだけです。

そうしてお金を生み出すことができれば、多くの人を救うこともできます。

それと同時に、「お金にならない時間(=ブログや雑談など)」もまた必要だから、難しいものですけどね笑。

いずれにせよ、「誰かのために生き抜いた時間」が何よりも輝き、僕の人生を鮮やかに彩ってくれることは、間違いのないことなのです。

いかにムダだと思われる時間(=何も生み出さない時間)を減らしていき、他人のためにできることを考えて、そこに時間を費やすことができるのか。

以前の僕には、このマインドが欠けていました。

自分のための時間」をどんどん減らし、他人のために時間を費やしていきましょう。

それこそが「後悔のない人生」であり、僕の生きた「生き様」となっていきます。

もちろん、

自己犠牲をしよう

という意味ではありません。

僕自身も「幸せ」でなければなりませんからね。

それでも、僕にはまだまだやるべきことがたくさんあります。

その上手い「按配」を探しながら、また今日も次に向けて動き出すのです。

誰かのために生きる人生が全てではないが、僕にとっての後悔のない人生とは他人のために生きる人生だ。さぁ、今日もまた人のために生きていこう。

おわりに

いつ来るかわからない「死」。

だったらそれまでに、後悔のない人生を送っていきたいですよね。

つまりは、今を一所懸命生きることです。

本当にそれだけ。

それだけでいいのです。

ただそのベクトルが、常に自分と他人の幸せであるということ。

そこを目指して、今日もまた生きていきます。

それではまた!

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