できる限りハードルを下げることはいいこと?【毎日のルーティンと生きる】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人と話していますと、

自分はできる限りハードルを下げるようにしている。そうやって、生きてるなっていう事実に対して「私は頑張ってる」って思うようにしている

と言われました。

なんと興味深い言葉でしょう。

生きているだけでみんな、すごいのです。

時に、自分のハードルをとても高くしてしまう人がいます。

もちろん、それ自体は悪いことではありませんが、弊害になることもあります。

今日は「ハードルを下げることはいいことなのか」について書いていきます。

生きていて、こうして生きていられるだけでも嬉しいものだ。さらにできる人は、徐々にハードルを上げてゆく。うまい按配でストレスをかけていこう。

ハードルを下げろ

せいじって、いつも暑苦しいからそうだと思うけど、めちゃくちゃハードルを高く設定して毎日を生きてるんだよね?

こんな風に思われることがあります。

結論、そんなことはありません笑。

なんならめちゃくちゃ低いくらいです。

毎日5言語の学習や様々なルーティンをしていますが、数十分で終わる時もあります。

ブログも2時間くらいかかりますが、毎日一記事書いているだけです。

ほぼルーティンとして自分の空き時間を使っているだけですので、別に大して難しいことをしているわけでもありません。(と言わせてください笑)

僕が思うことは、なんでも「小さいほどいい」が行き過ぎますと、

  • ブログは300文字でいい
  • 言語は一言語1分程度でいい
  • インスタは一週間に一度でいい

など、ほぼ「意味のないこと」になってしまいかねません。

もちろん、継続が苦手な人からすれば、

こんな小さな数字から始めていいのだろうか?

と思うかもしれませんが、そんな人は上記のように「小さくてもいいから続けられること」を優先しても大丈夫です。

大切なことは、

  • 時間的にやり切れない時
  • 集中できずになかなか進めづらい時

があっても、必ずやることです。

それが「結果的に」小さくなってしまったら、それは仕方のないこと。

やれることをやれる範囲で継続すること

ですね。

これは意識の問題ではなくて、環境やルーティンの問題です。

歯磨きのごとく、

ダルいけど、まぁやらなきゃしゃーないか

と思えるものになっているかどうかですね。

ハードルを下げに下げつつ継続できたら、自分の身になるレベルへと引き上げていきましょう。

ハードルは下げすぎても意味がないが、継続という観点ではできる範囲で構わない。ハードルを上げすぎず、かといって下げすぎずにルーティン化していこう。

ルーティン化には小さなステップが必要だけど…

先述した通り、大切なのは「小さなことでもステップを踏んでゆくこと」ですね。

「生きる」という意味で最低限のこと言えば、

  • 軽く働いて
  • ご飯を食べる

こんな考え方もあっていいと思っています。

幸いなことに、ここ日本ではそれが「ある程度は」実現できてしまいます。

もちろん、ケースバイケースではありますが、いつもこのブログで書いている通り、

日本という国に生まれ育っただけでもかなりのラッキー

だと思っていて間違いありません。

そうしたら、

  1. こうして空気を吸って
  2. 食べ物を美味しいと感じて
  3. 「僕/私って生きている!」と思えれば

もう十分幸せなのではないかなと思っています。

究極的には、このように「できる限りハードルを下げること」は、先ほどの「意味がなくなる」ということを “逆に” 通り越して笑、

まぁ、そういう生き方もありだな

と思わせてくれます。

「成長したい」と思う人にとっては、もしかしたら「エキサイティングではない」のかもしれませんが、そんな考え方もありと言えばありです。

「できる限り」とタイトルにしたのも、そういう理由からですね。

  • 下げすぎれば効果がなく
  • 上げすぎれば継続できない

ため、いつもこのバランスが大事になってきます。

まずルーティン化しようと思うのであれば、やはり「自分のできる範囲でコツコツと」継続するのが最優先です。

ハードルを下げるというのは、もしかしたら、

  1. 続けられる範囲内でかつ
  2. 自分の成長を感じられる高さ

を狙っていくことなのかもしれません。

僕は毎日続けていることがあります。

それは側(はた)から見ればしんどいことかもしれませんが、僕は楽しくやっていますし、

あーぁ、しんどい。今すぐやめたい

と思うようなことでもありません。

資産として残りますし、いろんな経験に繋がっていると思えているからですね。

「ハードルを下げる」という字面にだけ左右されず、ちゃんと核心をついた上で、継続に役立ていきましょう。

生きているだけで、それは素晴らしいことだ。ただ、ハードルを下げすぎると自分の成長を感じられなくなり、そこに意味を見出せなくなる。いつでもバランスを考えておくことだ。

貶(けな)さず、褒める。

特に、ハードルの高低には、

  • やりがい
  • 自己肯定感

などが関わってきます。

僕はこう見えて「小さいこと」を設定しているため、できた自分に対して、

よし。今日もやりきったぞ

と思うようにしています。

みなさんも「To doリスト」なんて作ってはいないでしょうか。

僕のやっていることも、それにほぼ等しいです。

できた自分を褒めてあげること。

チェックを埋めてゆくことで、「自分を褒めること」が増えてきます。

そういう時に、心理的なハードルを下げるという意味でも、僕は「できなかったこと」があったからといって自分を責めることはありません。

仕方のなかったことだった

と思える場合に関しては、僕がどうこうしたってそりゃあどうにもならないからです。

  • 友人と会っていた
  • 仕事が忙しかった
  • 夜遅くなって眠くなった

など、理由はそれぞれあることでしょう。

一番良くないことは、「できなかった自分」を責めることですね。

そうではなく、できたことに関して褒めてあげること。

これも按配が必要であって、先述した通り、

なんでもかんでも褒めればいい

というわけでもありません。

「できない自分」を認め、妥協し、甘やかしてしまうことはまた別の話です。

それでも、基本的には前向きになって、

今日はここまでできたし、自分を褒めてあげよう

と思えるほうがよっぽどいいです。

「できなかった」という気持ちが何度も生まれてしまうようであれば、それは設定したハードルがそもそも高かったという可能性が高いです。

自分を傷つけるために、ハードルを高く設定していても仕方ありません。

褒めるにしても、やることをしっかりとやり、

今日は小さいけど、少しでも進み、成長できた

と思えた時に、

今日は頑張ったな、自分!

と言ってあげることですね。

こればかりはそれぞれの感覚にもよるのですが、僕は毎日を充実させるために、

  1. 超えられるハードルを設定し
  2. それなりにやりがいを感じられれば
  3. できた自分を褒めて後悔のない一日とする

ようにしています。

「褒める」にしても、それ相応のやりがいや、程よい「疲れ」みたいなものが必要ですからね。

ハードルを低く設定しつつも、継続の流れができたら「多少の追い込み」は求められてくると思っておいたほうがいいですね。

自分を貶(けな)すのではなく、褒められるようなハードル設定をしよう。ただしハードルが低すぎると「褒めること」が虚しくなってしまう。時に自分を程よく追い込むことも必要なのだ。

おわりに

以前僕は、「タイニー・ハビット」についても記事を書いたことがあります。

「小さな習慣」として注目を浴びましたが、継続とはその人によって強度が違うものです。

自分の「成功/やりがい」についても、それぞれ達成感は違います。

うまい按配で続けられるよう、自分なりにハードルを設定していきましょう。

それではまた!

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