こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
メーテルリンクの童話に「幸せの青い鳥」というお話があります。
チルチルとミチルの2人の兄妹が、「幸せ」の象徴である青い鳥を求めて旅をするのですが、実は最終的には自分のたちの家の鳥かごにいた鳥が「青い鳥」だったというお話です。
「案外近くに幸せがある」ということですね。
僕のブログのサブタイトルにあるように、僕はずっと「幸せ」について考えてきました。
しかし最近は、お金もモノも求めることがなくなりました。
では一体僕は、何に対して「幸せ」を感じるようになり、さらに何を求めるようになったのか。
書いていきます。
幸せはすでに手に入れていた
「幸せ」については、このブログのテーマでもあるため、たくさん記事を書いてきました。
最初にお金について真剣に考えたことが、幸せについて考えるきっかけとなりました。
だれもが求める「不労所得」。
僕もその魅力に取り憑かれ、すぐに投資を始めました。
それこそが人生における「幸せ」であり、
なんて思っていた瞬間もありましたが笑、今はあまり想像していません。
考え方が変わったのは、
- 自分の仕事への姿勢
- 他者のために生きること
などについて考え、自分と向き合う時間をとったからでした。
すると不思議なことに、そんな「悠々自適に過ごしている自分」を想像すればするほどに、
と疑問に思い始めるようになりました。
突然ですが、ある日のことです。
とても気持ちのいい朝に、カフェに行ってブログを書いていました。
こうして自由に自分の時間を使い、自分の好きなことをして、それが1人でも誰かのためになっている…
そんな思いを巡らせていますと、
と感じたのです。
以前から思っていたことですが、実は僕の今の生活はもう十分幸せなのです。
- ある程度の資産がある
- 自分が自由に使える時間がある
僕は「これで人生あがりだ」と思いました。
だって、もうこれ以上に幸せはないじゃないですか。
幸せの青い鳥のように、すでに僕の人生は「完成」を迎えていたのでした。
これ以上の幸せとは?
今が十分幸せだと感じた僕は、次に何を求めたのか。
求めたのは、「人と会う時間」を大切にするということでした。
どんなに経済的に豊かであっても、社会資本(=友人や仲間)が貧しい人はいます。
僕はとても恵まれており、多くの友人や仲間と時間を共有させてもらうことができました。
自分が経済的に豊かであるとは言えませんが、生きて行くには十二分の資産を築けていると思っていますし、そんなに増やす気もありません。
しかしそこにいたるまでには、僕自身も気持ちを改め、魂を磨かなければなりませんでした。
たくさん本を読み、尊敬できる人たちと会話を重ねることで、自分の魂が磨かれていく日々が続きました。
そして人と会い、また自分の心が浄化されていきますと、再び「基本的な事実」に返ってきます。
と。
僕という人間と会ってくれる人がいる。
それは簡単なことのようで、とても難しいことなのです。
「相思相愛」という表現は少し違うかもしれませんが笑、お互いが「会いたい」と思えない限り、人は会おうと思わないからです。
とてもシンプルなのですが、それが現実なのです。
幸運なことに僕は、自分の未熟さに気づくタイミングもありましたし、周りの人が、
と心配して注意してくれたからこそ、「今の僕」になることができました。
- 自分の時間
- 友人・家族との時間
これらが満たされてきますと、やはり自分の家の鳥かごの中に「幸せの青い鳥」がいたのだなと感じるようになります。
幸せを求めて駆け回ったことで、すでに自分の一番近くに「幸せ」があることに気づけたのです。
この生活がずっと続けられるように働いていけばいい。
そう思った僕は、とうとう「今まで考えていなかったこと」を考えてしまいました。
と。
自分にとっての「幸せ」って何?
さて、「すでに幸せな僕」は次に何を考えたのか。
それは自分にとっての「本当の自由」を求めることでした。
今の働き方を考えても、このまま、
「現状維持」=「幸せな状態の維持」
をしていけばいいと思っていた時がありました。
違和感を覚えたのは、「もっと自由になれるはずだ」と気づいた時でした。
8時半から17時までの拘束時間。
教育は好きですが、何かしっくりこないような、窮屈な毎日。
そこに気づいたことで、もう一度自分の「幸せ」について熟考しました。
- 一応教育現場にいる
- 自分の時間もある程度確保している
- 好きな人たちと会う時間も月に何回か持てている
どれも実は、本心からの「幸せ」ではありませんでした。
そう思ったら行動に移してしまうのが僕なのです笑。
管理職に退職の意向を伝えました。
しかしそれは、今近くにある幸せを十分に感じることができたからこそでした。
それができていなかったら、教員を辞めようだなんて発想にすらいたらず、今でもずっと悶々として渇いていた状態/貧しい心の状態のままだったと思います。
僕という人間は面白いもので、どうやら「次のステップ」へと行きたがる傾向にあるようです笑。
現状の「十分な幸福状態」の維持もいい。
そう思ってしまっているのです笑。
それなら、
- 今まで見たことのない景色を見に
- 今まで出会ったことのない人に会いに
飛び出していくしかないじゃない?
「一番近くの幸せ」の次にある、自分のためのもう1つの幸せ。
すでに、手中にいる「幸せの青い鳥」には気づくことができました。
今度は、その青い鳥を片手に世界を飛び回りたい。
結局、チルチルとミチルがたどり着いた「幸せ」の後に、僕はもう一度外に飛び出そうとしているのです。
別に、「次なる幸せ」を探しに旅に出たっていいのです。
「幸せ」は人それぞれ定義が違うのですから。
おわりに
幸せは近くにある。
この事実に最初に気づくことがとても大切です。
それに気づけない限り、どんどん幸せを探し求めるようになってしまいます。
まずは「自分の一番近くの幸せ」に気づくこと。
その上で、またチルチルとミチルのように、様々な世界に旅立てばいいのです。
その際も、自分の近くにずっと「幸せの青い鳥」がいることを忘れないことです。
そうすれば、きっとどこに行っても「幸せ」であり続けることができるはずですから。
それではまた!
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