こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
こうして教師をしていますと、生徒指導の際に「ヒアリング」があります。
ヒアリングとは、何か指導案件が起こった際に、双方の意見を聞くというものです。
人間とは面白いもので、防衛本能が働いているからなのか「あることないこと」を言い、自分の身を守ろうとします。
生徒に限らず、大人も一緒です。
こう叫ぶ人は多いですが、僕はあまり意味がないと思っています。
信頼に足る人であれば、そんなことを言わなくても周りが認めてくれるからです。
教師をやっていますと、そうした「片方の意見」を鵜呑みにしないようになります。
今日は「言論」や「発信の仕方」について書いていきます。
以前のしょうもない自分
さて、みんな大好き「以前の僕」シリーズです笑。
以前も何度か書いたことがありますが、僕は「ネガティブ発言」をたくさんしていた人間でした。
- 職場でグチをこぼす
- 飲み会で思いの丈をぶちまける
- Twitterやmixiのつぶやきでグチる
と、精神的に悲惨な人間でした笑。
自分の心が荒(すさ)んでいた時期は、「他人の批判」しかしていませんでした。
結論から言えば、これは「根本の考え方が間違っていた」ことからきています。
それを変えるために、
- 本を読み
- 人と会い
- ネガティブ発言をやめる
ことにしたのでした。
「人の粗探しをしている人」は、以前の僕と全く一緒の一途をたどることになりかねません。
と言いたくなってしまいますよね。
「人を批判すること」に時間を割くということは、
- 自分の時間を失い
- 成長する機会を逸し
- 心が曇っていくだけ
です。
「建設的/生産的」な意見を発するならわかりますが、たとえ仮にそうだとしても直接言えばいい笑。
なぜ公の場でグチを言ったり、他人を批判したりする必要があるのでしょうか。
答えは明らかです。
- 支持者が欲しい
- 誰かのせいにしたい
それだけなのです。
「一人で立ち向かっていくことが怖いから」
なのですね。
こう思っていた当時の僕は、ただただ時間が浪費されていっただけでした。
となるわけですね。
他人の批判や粗探しをしていないで、もっと自分のことに注力しましょう。
- そんなに教員がイヤならやめればいい。
- そんなにイヤなやつがいるなら直接話せばいい。
- どうしても上手くいかないのならば離れればいい。
解決策はいくらでもあります。
人のせいにせず、公の場でグチを吐かず、やっていきましょう。
一部だけを切り取って見ない
冒頭で述べた「生徒に対するヒアリング」ですが、この指導を行なってきたおかげもあってか、
「1つの行動だけで、その人を判断すること」
はなくなってきました。
一方で「一時が万事」という言葉があるように、1つの行動が全てに派生していくと捉えることもできます。
ただ、いろいろと加味した上で僕は、
- 繰り返し行われているか
- その一面以外の面もないか
- 人はみながみな完璧ではない
など、多くの視点から判断するようになりました。
例えば僕自身について言えば、
- 英語ができる
- ダンスをやっている
- 良さそうなことを言っている笑
と、それっぽい「良い部分」を並べることはできますが、
- リアルで会ったら最悪
- 口だけで行動に移せていない
- 実際話してるとサウナの話ばかり
と、実のところはこんな感じかもしれません笑。
「会うまで/関わるまで」その人の本当の部分がわからないのは、「自分にとって損になること」を発信していないからです。
これは基本的なことです。
ポジティブな発言や発信をする人や実績のある(ように見える)人には、人が集まるようになっていますからね。
ただ、悪く言えば「隠している」と捉えることもできますし、良い数字だけを並べて「キレイなプロフィール」を作っている可能性もあります。
あえて自分のマイナスになることは、誰も言いません。(批判や誹謗中傷をしてしまっている人はマイナスになりますが笑)
だから表面上の数字や発言、プロフィールだけで判断してはいけないのです。
- 実際に会ってみて
- たくさん話していく中で
その「人となり」が、僕らの中にできあがっていきます。
と。
まるで品定めしているように聞こえますが、この「選別」はとても大切なプロセスです。
「イヤな人/合わない人」なら離れたほうがいいでしょう。
その人のことを、公の場でグチる必要はありません。
良い面だろうが悪い面だろうが、人の一部分を切り取って判断してしまうことは危険な行為です。
- 関わっていく中で
- 複雑な人間関係を築いていく中で
直感に従うほうがいいです。
テレビの事件を聞いて、
と、僕もよく驚いていたものでしたが、その人が「その行為をした要素」は必ずどこかにあったはずなのです。
火のないところに煙は立たない。
- みなさんが知っているのは、あくまで僕の一部分のみ。
- 僕が知っているのは、あくまでみなさんの一部分のみ。
一人一人は「複雑な感情を持つ生命体」であり、社会はいろんな感情が渦巻いているということを、忘れてはいけませんね。
だからこそやるべきこと
では、どうすればいいのか。
ポジティブな発言は意味がなく、下手なことは言えない社会なのか。
僕はそうは思いません。
- ポジティブな発言を心がけ
- 批判的なことは言わないこと
- 自分の「意見」は発信していき
- そして一部の事実を切り取らずに
- 感情的/衝動的に発信をしないこと
これに尽きます。
以前の僕は、やたら「何かにモノを言いたかった」のでしょうが笑、実際のところは、
と言われてもおかしくないことばかりでした。
根本の考え方を変えてくれた人や書籍に出会えたおかげで、一旦自分をフラットな状態にできたことは、僕の人生を大きく変えてくれました。
それからというもの、自分のできることを考えては、精力的に発信するようになりました。
- グチは吐かなくなり
- ポジティブでためになる発信をし
- 時に自分が「こうだ」と思う意見を述べる
これらを繰り返してきました。
もちろんこれらの発信が、
- 不愉快であったり
- 人を傷つけていたり
したら、僕は非難されるでしょうし、発信できなくなることでしょう。
その時は仕方ありません。
火のないところに煙は立たないのでしたよね。
特にこの「ブログ」を積み上げてきたことで、
と、わかってもらえることは多くなりました。
僕の一部分どころか、毎日「2時間分の思考」を書き出していますので、ある程度「大部分」は出していると思います笑。
そのように「徳」を積み上げていくこと。
それだけしか、僕にできることはありません。
どう判断されるかは「僕と関わっている人たち」が決めることですが、
- 理不尽な人
- 一部分を切り取るような人
とはお付き合いはしませんし、みなさんにももちろんオススメしません。
やるべきことは、至ってシンプルです。
ずっと、信頼に足る言動と行動を続けて発信していくことです。
それこそ、
と「悪い一面だけ」を切り取って文句を言うのは、お門違いです。
正しいと思うことを発信していく中で、それが合うか合わないかはその時次第です。
やることはシンプルでも、複雑な人間関係が絡み合っているのが社会ですからね。
僕は変わらずに、自分のできることを発信していこうと思っています。
おわりに
SNSは個人が誰でも発信することのできる、現代の素晴らしいツールです。
一方で、その使い方がわからず(以前の僕)に、自爆していく人も散見されます。
と思うことは多いですし、僕も極たまにやってしまいます汗。
できる限り、
- 意味のない、不毛な言い合い
- 一部分を切り取って擁護したり批判したりすること
は止めましょう。
大切なのは、自分のできることを淡々と続けていくことです。
教師として言うのならば、一方の生徒の意見が全て正しいなんてことはないということ。
そうした意見や発信からは一歩引いて、自分のできることに集中していきましょう。
それではまた!
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