こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
寝る暇もないほど、僕は毎日の予定がぎゅうぎゅう詰めとなっております笑。
しかし「以前のぐうたらな僕」と違い、
- 旅
- 運動
- 勉強
- 出会い
- 情報の共有
など、多くのインプットとアウトプットが繰り返される毎日となっております。
その中で「GIVEすること」については散々書いて来ました。
今日はそんな多忙な毎日の中で、「与えて終わってしまわないこと」について伝えていきます。
シンプルに与えることには要注意
僕は勉強が大好きで、インプットばかりの人生を歩んできました。
25歳の時に晴れて「教員」になることができて、
- 英語の知識
- 受験のノウハウ
を伝えることはできましたが、どこかしっくりこない毎日が続きました。
いや、当時は「自己満足」していたのだと思います笑。
と。
今思えばひどいものでした笑。
「与えている」という行為に満足していたからでしょう。
実は「与えること」はとてもシンプルでして、
- インプットしたものを
- アウトプットする or 伝える
ことで、終わってしまうからです。
情報や解法を得られた相手(生徒や友人)も、
と感謝すらしてくれます。
しかしそれは、即時的なやりとりでしかありませんでした。
それだけシンプルだと、できて当然のことだからです。
先生になってから、
- インプットしてきたことを
- 生徒にただただ伝えるだけ
という構造が続いていたため、自己満足はするものの、満たされない日々が続きました。
そこからいろいろ考えて今に至るのですが、試行錯誤する中で大切なことに気づきました。
- 与えるという行為を繰り返すことで、
- 生徒たちとのやりとりが循環し始めて、
- そのプロセスや成長の中に喜びを感じるようになる。
このことがわかったのです。
また、同時に自分が学び続けて行くことの大切さにも気づかされました。
つまり、与えて「ハイ終わり!」ではないのです。
「GIVE」という言葉が1人歩きしてしまいますと、かえって満たされなくなってしまう人が増えてしまうのです。
与えることと与え続けることの違い
僕が悩んだ末にたどり着いた境地は、
- インプットを続けて
- 与え続けていくこと
でした。
与えることがシンプルな行為であるため、それを「続けていくこと」に重きを置くようになったのです。
続けようと思うと、これまた「シンプルな壁」にぶつかります。
それが「自分の足りなさ」です。
GIVEを続けて行くには、ガソリンが必要になってきます。
いわゆる「知識や経験」ですね。
ガソリンが枯渇してしまえば、人に与えることはできないからです。
それからというもの、社会人になって5〜6年目に、やっと重い腰を上げて勉強を始めるようになりました。
すると「今まで教育現場に身を置いていた自分」とは、まるで中身が変わっていたことに気づきました。
経験に富むようになり、生徒に与え続けることに喜びを覚えるようになったのです。
実はそれまでは、教育における「自分の限界」を感じていました。
その直感は正しく、自分が「与えること」に慣れきってしまい、その次のステージに行くことを面倒くさがっていただけだったのです。
- 学び続け、
- 経験をし続けること。
これを大切にするようになってから、自分の心は豊かであり続け、そのエネルギーを生徒や友人に分け与えられるようになりました。
すると面白いことに、その「与える」という行為が繰り返されることで、生徒や友人からも「バック」が来るようになりました。
それは「感謝」であり、何より僕という人間を「好き」になってもらえるということでした。
与えることはシンプルであるため、時に「TAKER」といった、
と思い始める人が出てくる恐れがあります。
ただ僕が「純粋なGIVER」(=ただ与えるだけの人)にならなければ大丈夫です。
特にここが面白いところでして、僕の場合生徒に与え続けることが全くツラくないのです。
彼らはまだ未熟で、何より親の愛情に飢えている子たちが多いと感じているからです。
そのきわどいけれど重要な部分を大切にしておくと、生徒たちも自分の頭で考えるようになってきます。
すると僕のことも尊敬してくれますし、自分たちで問題解決をしようとします。
与えて終わりではなく、与え続ける中で相互理解が生まれ、お互いの信頼関係が築かれていく。
このプロセスの中に、充足感と喜びがあることに気づいたのでした。
与え続けることの意味
そんなシンプルな疑問が生まれるかと思いますが、結論とても楽しいです。
以前の満たされなかった僕に比べますと、今こうして英語の知識や旅の経験、筋トレや食生活について発信したり情報を共有したりすることは、ライフワークの一部となっています。
これこそが、自分にとっての「持続可能で豊かな人生」なのだと感じるようになりました。
ただ「与え続ける人」であるためには、自分が努力を続けなければなりませんし、何より発信に多大なエネルギーを使います。
それでも「僕という一個体の人間」がエネルギーの塊であるとするならば、燃え続けることこそが僕の使命だと言ってもいいと思っています。
そして燃え続けるために必要なのが「他者」です。
人に与え続けることは、一見するとムダでしかありません。
だって、
- 自分の生活圏内を囲い込み
- 何もせずだらだらと過ごして
- 他者との摩擦なく人生を終える
ことは、誰にでも選択できることだからです。
でも僕は、人生の本質はそうではないと思っています。
「以前の僕が満たされなかったこと」
それが答えです。
- 学び続け
- 与え続けていく中で
- 人と関わっていく中で
初めてそこに喜びや豊かさが生まれたのでした。
そうして受け取ったエネルギーを、
- 自分の力に変えたり
- また他の人に与えたり
すること。
人生を豊かにする循環、人生の本質が、ここにあったことに気づかされたのでした。
これが僕という一個体の「原動力」となり、何より生きる意味を与えてくれます。
なぜこの世に生まれたのかなんて、意味はないのかもしれません。
でもそのスタート地点に立った上で、その意味を自分で探し求め、その先に自分なりの答えを見つければ、僕はそれで良いと思っています。
おわりに
人に与えることは、シンプルですが間違えないように気をつけていますと、疲れることでもあります。
しかしそれは、運動やサウナの後の「スッキリ感」のように、メンタル的な充足感を与えてくれます。
それを肌で感じるようになってからというもの、僕は「シンプルに与えること」以上のことを考えるようになりました。
与え続けることは険しい道のりのように見えますが、実は他者からそれ以上の豊かさを受け取ることができます。
本当に豊かな人は、与え続けているからこそ、豊かなのかもしれません。
僕もその境地に達することができるように、これからも与え続けていきたいと思います。
それではまた!
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