地元の祭りは日本人にとって大切なもの?【伝統や文化を守ること】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、埼玉の田舎街で夏祭りがありました。

みなさんも小さかった頃、地元の祭りがあれば結構ワクワクしていたかと思います笑。

僕はシャイでそういったものが苦手な部類でしたが、何かこう「ちょっと異質な空間」に惹かれていました。

しかし大人になってからは、

いや、こんなもん何の利益にもならんっしょ

と思い、まぁ良い年した大人って言うこともあって、ちょっと敬遠していました。

ただ、この間「神道」を勉強した時に、

なるほど。神社仏閣を愛するものとしては、これは捨て置けないぞ!

と思った次第です。

今日は「日本の祭り」について書いていきます。

日本の祭りは伝統であり國體を表すものだ。先祖が繋げてきたものを、次の世代へと大事に繋いでいこう。

祭りで感じたこと

さて、30代の男が一人で祭りに参加しても、実は何も楽しめません。(おい笑)

ただ、実際に足を運んでみて感じたことは、

こうして各家族が一堂に介して、地元の人と挨拶をして、また夏の豊作やこれからの一年を祝うんだろうな

ということでした。

見れば、

  • 子どもたちが遊び
  • 中学生たちが私服で出歩き
  • 家族がベビーカーを押して笑顔でいる

なるほど、これはとても大切な文化なのだなという実感がありました。

日本が日本としてずっと続いてきたのは、こうした伝統や文化があるからこそなんですよね。

確かに、この自由競争の社会に揉まれてしまっていては、

まぁ伝統とか文化とか、そういう古臭い価値観はいいからさ。全部ぶっ壊して、大都市を作りまくろうぜ!

という発想になってしまいます。

僕は41カ国を旅してきましたが、やはり「都市部」には何の魅力もありませんでした。

もちろん、その利便性や利点もわかります。

でもなにかこう、独自性がなく画一的なのです。

これを日本にも当てはめてしまいますと、各都市がどんどん “そう” なってしまうのですよね。

そう考えますと、神社仏閣が残っている東京なんかを見てみても、

これはすごいことなんだなぁ

と思うばかりです。

祭りは神道からくるものであり、これは宗教ではありません。

でも日本が日本たらしめるためには、必要な祭事なんでしょうね。

日本の祭りは伝統文化だ。国の独自性を出すためにも、この文化は決して絶やしてはいけないのだ。

伝統があるから国がある?

伝統があるからこそ、国は国であるのだ

と、最近になってようやく気づきました。

なぜ僕がここまでして、最近になってから「日本」を再度「愛する」ようになったのか。

それは何かこう、遺伝子的な切迫感があったからです。

僕は以前、

人間や動物が生まれてきた理由なんて、子孫を残すためだ

と言及したことがありました。

伝統や文化にも、「我が子」に似たようなイメージがあるからこそ、切迫感に苛(さいな)まれたのだと思っています。

自分を育ててくれた、

  • 土地
  • 文化
  • 伝統

これが数千年も続いているのは、日本しかないそうです。

全世界でも稀有(けう)な国家であり、国民や土地に独自性があるのは、それだけ「守ってきた人がいたから」でもありました。

長く生きているものや長く続いているというだけで、人は畏怖の念を抱きます。

御神木や古い神社を見てもわかりますよね。

だから僕は、自分を育ててくれた、

  • この国
  • この土地

が、ずっと末長く続いてほしいと、本能的に感じていたのでした。

その伝統や文化の中に、当然「祭り(=祭事)」とは組み込まれています。

であれば、

各地域で毎年行われている豊作を願う「祭り」とは、どうやら国そのものを表しているのではないか?

と感じたわけですね。

それは日本に限らず、各国の伝統文化もそうです。

それぞれが、それぞれの国を「表すもの」を大事にしているからこそ、今の世界が成り立っている。

以前に、

祭りなんてどうなってもいいだろ

と思っていた自分が恥ずかしいくらいです。

もちろん、便利になっていく世の中があるからこそ、生まれた産業やサービスがあることもわかっています。

ただ、何度も言いますが、そうやって「国ではなく都市化した地域」とは、本当に魅力がありませんでした。

東京や大阪、名古屋や福岡が大都市でありながらも魅力的なのは、そうした伝統がまだ守られているからこそ。

それらを我が子のように守ろうとする人たちが紡(つむ)いできたからこそ、ここ日本には「国」が残っているのですね。

祭りは伝統文化の一部として重要なものだ。それらを壊さんとする勢力に屈したら、国が国ではなくなり、魅力はなくなってしまう。

感謝を示すこと

本能的な気持ちから、

祭りを守りたい

と思い始めた僕ですが、やはり地元の方々への「感謝」の気持ちも出てきました。

自分がここにこうして立てているのは、先祖の方々が日本という国を守り抜いてきてくださったからでもあります。

みんな、それに気づいていないだけなのです。

でもこうした日本への「感謝」に至るまでは、僕の「人生観の積み重ね」も大きく影響していました。

どうして僕が、こんな素晴らしい環境で生きることができているのか?

この疑問を、何度も問うてきたからですね。

そうして「幸せになるには?」と考え続けた末に、「感謝すること」についても学ぶことができました。

  • 伝統を守るとか
  • 文化を守るとか
  • 国を守り続けていくとか

っていうのは、実は感謝の意から来るんじゃないのかなって。

そう思うんですよね。

今の自分の環境が、当たり前だと思わない人ほど、こうした伝統や文化に敬意を払います。

先日は明治神宮へお友達と一緒に遊びに行ってきましたが、そうしたところでも、日本人らしい礼節を「より」わきまえるようになりました。

明治神宮
渋谷区代々木鎮座。大正9年11月1日創建。明治天皇、昭憲皇太后を祀る。他に神宮外苑、明治記念館のご紹介等。

日本人って、とても慎ましくておしとやかで、目立とうとしない利他的な人が多い印象ですよね。

欧米からは、

なんだよ縮こまって!日本人てダセーよな!

と思われていたのかもしれません。(※個人の妄想です)

でも今となっては、

こんな素晴らしい民族、世界を探しても見当たらない

と思われているくらいなのですから、そこには必ず理由があります。

それは、こうした伝統や文化に対して常に感謝を忘れず、

  1. 他国を受け入れ
  2. 先祖や異文化を愛してきた

からなのだと思っています。

個人的には、

人に感謝できる人は最強だ

と思っています。

だから伝統や文化、歴史を重んじている武士道や侍たちの哲学は、世界から「こうなりたい!」という憧れの対象なのでしょうね。

だったら、その文化を育んできた一員として、尽力したい

これが日本国民として当たり前の考え方であり、持つべき姿勢なのだと思っています。

自分を育ててきてくれたこの土地や文化、歴史や伝統に感謝しよう。感謝ができたら、最強なのだ。

おわりに

日本から奪われつつある伝統や文化。

その一環として「祭り」があります。

それを他人事として片付けることができないくらい、僕らは日本という国(先祖や土地)であまりにも多くの恩恵に与(あずか)ってきました。

だったら、その受け継いできた文化を絶やさないことです。

僕らの子孫を繁栄させたい

と願う僕らの本能が、そう言い続けるのですから。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました