誰にでも優しくなり許してあげる人となる【時間がかかるのが基本】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

今年(2025年)の7月には、大きな選挙(参院選)がありました。

いろいろと思うところはありましたが「政治素人」としては笑、何か口を出せるようなことではありませんでした。

選挙期間ほどではありませんが、いまだに「支持者同士の叩き合い(?)」みたいなことも行われていて、

いつまでやっているのだろうか…

という気持ちになります。

この前コンビニの前でサンドイッチとおにぎりを頬張っていましたが、ふといろんな道行く人たちを見ました。

みんな、この世界で生きているんだよなぁ

そう考えますと、どんなに自分にひどい言葉を浴びせられても、

共に生きていかなければなぁ

と思ってしまうのです。

今日は、そんな「再び悟りを開いた僕」の話をしていきます。

人を憎しんでいても何も生まれない。子どもをいなすように、受け入れてあげよう。それには時間がかかるものなのだ。

それぞれのバックグラウンド

僕には僕の人生があるように、僕らがこれから出会ってゆく人々にも、それぞれの人生があります。

「アンチ」と呼ばれる人や、平気で人を傷つけてしまう人などがいるように、人間とは誰しもが完璧であるわけではありません。

かく言う僕だって、イライラもしますし、悔しい思いやツラい思いをすることだってあります。

人間、暴言を吐かれたら言い返したくなるものです。

最近の僕は、

日本を守りたい!

という保守的な気持ちが強すぎたために、ちょっと心が狭くなっていました。

僕ら一般人同士は、国民としていろんな意見を持つことは「与えられた権利」です。

だったら、いろんな考え方があっていいじゃない?

当然、石を投げてくるような人と関わってはいけませんが、わざわざ「石を投げられる範囲に行く」というのはちょっとばかり疲れますし笑、時間ももったいないです。

もちろん、自分から石を投げるなんてもってのほかです。

選挙はあくまで一つの例ですが、

  • 生き方
  • 考え方
  • 関わり方

など、自分とは違う意見の人と会うことなんて、生きていればザラにあります。

僕もいろんな保護者の方や生徒、先生たちと議論をしてきましたが「全然趣味趣向の違う人たち」にも出会ってきました。

怒る/イライラする」ということは、自分と違う意見の人を見て、腹が立ってしまっているということ。

何か、相手を納得させようとしている証拠です。

まぁそんな考え方もあるよね

と広く構えることができれば、それでいいのです。

人にはそれぞれバックグラウンドがある。考え方もまちまちだ。それをお互いに受け入れて、認め合っていこう。

どうやったら優しくなれる?

結論から言いますと、

人に優しくなるには、時間がかかる

のかなぁというのが、自分の経験からの意見です。

本末転倒な感じもしますが笑、今回の選挙に限らず、僕が投資を始めた時も、

投資をしていないなんて、遅れてる!

と思って、気持ちが逸(はや)っていたものでした笑。(この記事から4年前の2021年のことでした)

でも少しずつ勉強して「こんな感じ」という軸が確立されれば、

自分だって気づくのに何年もかかり、勉強にも時間を費やしたじゃないか

と思え、優しくなれるものです。

相手を認めるのにも、なかなか時間とはかかるもの。

投資や選挙に限らず、僕が教師を始めた時も、生徒たちとバチバチにやっていました笑。(懐かしい)

人との違いを受け入れるのには、なんだかんだ言って「慣れ」は絶対的に必要なのです。

性格や環境の問題もあるかとは思いますが、時間が解決することが “一番の薬” だと思っています。

今はXやYouTubeで、アンチやしょうもないコメントを見ても、

まぁそういう考え方もあるとは思うが…それはどうだろうなぁ

と思って静観しています。(政治にはまだかなり興味があります)

もちろん、こう言っているからといって、

  • 噛みついたり
  • しっかりと反論したり

している人たちを、否定しているわけではありません。

ただ、それらが行き過ぎますと、結局は「戦い」となって非生産的な結果を生みかねません。

どうぞどうぞ

と広く受け入れてあげることが、結果的に平和的解決になると言いますか、自分自身にとっては何の損も生まれることはないのです。

相手に言いたいことを言わせつつ、違うところには反論してもいい。

ただし、その按配を崩さないこと。

論争になって、ちょっとしたケンカに発展しかねません。

そうした衝突は避けましょう。

頭に血が上ったら、まずは時間を置くこと。

すると冷静さを取り戻せますし、

まぁまぁ、そういう意見もあるよなぁ

と、広く受け入れることができるようになります。

誰に対しても優しくなるのには、時間がかかる。その間に知識をつけたり、他の情報を得てゆく中で、徐々に客観性を養っていこう。

心穏やかになると幸せに

  • 投資を始めてから
  • 教員に慣れてから
  • 選挙が落ち着いてから

その都度、僕は冷静さを取り戻しました。

自分の心がギスギスしている時とは、「何か新しいことに触れている時」で、

  • 足りない部分がある時
  • 自分に負い目がある時
  • 気持ちが昂(たかぶ)っている時

です。

そういう時は落ち着きませんし、なかなか仕事も手につきません。

ある意味、「仕方のないこと」でもあるとは思っています。

世界一周を始めた時なんて、わからないことだらけすぎて、事務的な処理に追われてばかりでしたからね笑。

個人事業を始めた時、確定申告をした時もそうでした。

そうした「通過儀礼」を終えてしまえば、また心に平穏が訪れます。

あぁ、ちょっと追い込みすぎていたなぁ

と。

たぶんこれからも、僕は新しいことにぶち当たるたびに、多少なりともストレスを感じるのだと思います。

それを超えて心が穏やかになれば、また “さらに” 人に優しくなることができます。

そして人に優しくなれれば、また平和的な考え方ができるようになります。

追い込んでいた自分から解放されますと、また一皮剥けたような、そんな境地に達することができるのですね。

優しくなれる人とは、

主に経験が豊かなのではないか?

と思っています。

子どもたちよりも大人たちのほうが落ち着いていたり柔和な態度を取れたりするのは、間違いなく経験の差ですからね。

  1. 新しいことに飛び込む
  2. 最初はわからないことでストレスが溜まる
  3. 余裕がなく人に厳しくなってしまうものの
  4. 時間が経って徐々に慣れてくれば優しくなれる

こうやって人とは、成長してゆくものなのではないのでしょうかね。

それは、大の大人だって一緒です。

僕も30代になったとはいえ、まだまだ覚えなければいけないことはたくさんあり、ストレスとの戦いもあります。

それを超えれば、人に優しくなれるのです。

心が穏やかになるには、たくさんの経験が必要だ。人間、大人になったって新しいことにはストレスを感じるもの。それを超えて柔和になっていくのだ。

おわりに

人を認めるということは、とても難しいことのように思えるかもしれません。

しかし、多様な考え方に触れていたり、様々な経験をしていたりすれば、それだけで人に優しくなることができます。

僕にも感情の波は(多少なりとも)あって笑、でもその波を乗り越えるからこそ、人間的に成長できるものです。

時間のかかることですが、新しいことに挑戦すればするほど、そうした葛藤は経験できるもの。

まだまだ挑戦していきたいですね。

それではまた!

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