こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先生としていろんな生徒さん(大人含める)に授業をしていますと、「合う/合わない」が生まれてきます。
と思っているみなさんも、他人事ではありませんよね。
この社会で生きている限り、多くの人と関わり合いながら生きていかなければなりませんから、誰にだっていろんな不都合も生まれてきます。
と聞かれますが、最近では人とドライに関わるようになりました。(もちろん情にはアツいですよ!笑)
今日は「細かな人間関係」について書いていきます。
人からの評価を気にしていた頃
何度かこのブログで書いてきたことですが、僕は以前、人からの評価をずっと気にしていた頃がありました。
とね。
悪いことをしましたら、当然「謝ること」それ自体は大切なことですが、その裏の気持ちに、
という気持ちは、なくてもいいものなのだということに気づきました。
だって、その人からしたらもう僕のことは “ないやつ” になっているからです。
謝ったところで僕の性格が変わるわけでもありませんし、その後にどういう関係を築いていきたいかどうかは、もはや「その人」に委(ゆだ)ねられます。
そう、僕が決めることではないのです。
当時は、
- 謝ればなんとかなる
- 嫌われないようにする人ほどいい人
という、なんともブレブレな考え方でいたものでした。
言葉を選ばずに言えば、それは誰かに依存しているということでもあります。
別にケンカ別れ上等だとか、暴言を吐いても自分を持っていればいいだとか、そういうことではありません。
ただ、
- 自分なりに言葉を選んで発言をし
- ちゃんと誠実に気持ちを伝えているのであれば
あなたが謝る必要は、正直なところほとんどありません。
というか、意味がないのです。
あとは受け取る側の問題だからですね。
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僕は以前、”関係性を維持したくて”、相手が不愉快そうにしていたら謝っていました。
それではいけないのです。
自分が正しいと思って選んだ言葉であれば、自分の言葉に責任を持たなければならないからです。
逆もまた然りですね。
と言うのであれば、嫌う側にも責任はあります。
昔の僕は、自分の言葉に責任を持てていませんでした。
人の顔色ばかり気にしていた、ということですね。
一生会わなくなる人がいてもいい
人間とは無数にいる生き物であり、日本さえ出なければ、
「外国の人々と会うこともないまま、一生を終えること」
も当然ありえます。
人間とは、一生のうちで会える人数が限られているのです。
大切なことは、先述した通り「固執しないこと」ですね。
僕も先生をやっていた時は、
- 生徒からも
- 先生たちからも
- 保護者たちからも
よく見られようとしていました。
でもそれがうまくいかなくなってしまったのは、
「自分を殺してまででも、人に合わせようとしていた」
からでした。
どんなに気の合う人同士でも、何かのタイミングで、
- 疎遠になったり
- どこかで不破が生まれたり
するものです。
そう思っていた頃の自分を思い返しますと、恥ずかしいものです。
何かのきっかけで関係が崩れたり、ちょっとした発言によってその人との連絡が途絶えたりした経験は、みなさんにもありますよね。
結論、“そんなもの” ですし「それでいい」のです。
そういう人ほど、八方美人になって誰にでもいい顔をしようします。
結果的にそういう人のほうが、人は寄りつかないですし徐々に離れて行きます。
- 自分を持っていなくて
- 常に他人から好かれようとするから
です。
良好な人間関係とは、他人と「仲良しこよし」をすることではありません。
自分の合わない人、不愉快に思う人とは離れ、自分の好きな人と一緒にいることです。
だから僕も先述した通り、
と決めた後は、自分の “想い” にもちゃんと責任を持つようにしています。
それくらいの気概を持っています。(そうしなければならないわけではない)
将来のどこかで、僕が “手のひらを返す” ようであれば、それは利害やその人との関係値を求めて付き合っていたことになりますからね。(お金とか知名度とか)
そんなもので付き合う関係なんて、「良好な関係」とは言えません。
どこかですれ違ってしまったら、それまでのこと。
その後に信頼を取り戻そうとしても、ほぼ不可能だと思っていていいでしょう。
- 嫌われても
- 嫌いになっても
という可能性を、必ず考えておくことですね。
自分を貫くことは悪いことではない
こういうことを書いていますと、
と言い始める人が現れます笑。
当然、そんなことはあってはなりません。
ただそれでも、人の目を気にしぎていますと、その人の人生を歩むこととなってしまいます。
大切なことは先述した通りでして、
「自分の言葉に責任を持つこと」
です。
当たり前のことですが、普段から、
- 批判ばかりする
- ネガティブな発言ばかりする
- 人を傷つけるような発言をする
こんな人からは、人が離れて行くのは明々白々ですよね。
僕もそこまで激しい性格ではありませんでしたが、
と、敵対心むき出しで人と話していた時期はありました笑。(ヤベェやつ笑)
今のほうが、
- 人を受け入れることを前提にして
- それでも自分なりに曲がらずに意見を伝える
ことができています。
僕があまりにも忖度なく発言するものですから笑、
と言われる(思われる)こともあります。
しかし、適当に発言したことはほとんどありません。(ふざけている時くらい)
根本に、
という気持ちはないからです。
自分の発している言葉は基本的に、自分なりに考えた上で相手に伝えています。
先生だった経験もありますから、
とか、
とか、言語学習のやり方やその人の生き方に、ちゃんと “意見” しています。
相手を変えたくて言っているわけでもありませんし、自分の意見を主張したいわけでもありません。
ただ、みんなが「これしかない」と思っている常識に切り込んだり、みんなが勝手に信じている神話を見つめ直したりしたいだけなのです。
だから今のほうが、以前より軸がしっかりとしています。
これは決して、傍若無人で独りよがりな考え方ではありません。
自分なりに考え、相手の気持ちを受けとった上での発言であれば、それは誰の意見よりも意味があるからですね。
おわりに
人との関係とは一生ついて回るものです。
ただ、そこに固執し続けていますと、
となりませんかね?
自分を持ち、ちゃんと意見してそれでも合わなかったら、相手が悪い可能性だってあります。
自分と合う人と一緒にいて、楽しく人生を過ごしていきましょう。
離れる人、離れたい人がいたって、それは当たり前のことですからね。
それではまた!
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