30代が現代のネットを考える【コメントの意味】

人間関係

こんにちは。

最近はもはやスマホどころかSNSを見なくなったり、不愉快なニュースは見ないようにしています。どうもすずきです。

また最近、DaiGoさんの動画を見ていたら「法の解釈がどうのこうの」でプチ炎上していました。

法に関する岡野武志さんの動画も面白かったので、いくつか拝見させていただきました。

僕はDaiGoさんやひろゆきさん、堀江貴文さんや西野亮廣さんなど、考え方がすずきのような一般人には到底たどりつけない位置にあり、こうズバッと言ってくれる人たちが好きなのですが、別にファンとかではなく勉強のためによく拝見させてもらっております。(素直になれよ)

ちなみにすずきはサブスクもオンラインサロンも入っておりません。偏らないように。

この人たちがすべてではないのですし、やはり最終的には自分で情報を収集し納得できる思考までもっていくことが大切だと思う所存です。

ネット社会でどのように立ち振る舞っていくのが良いのか、僕なりに考えてみました。

あくまで一意見

インフルエンサーや有名人の方々がはっきりと断言することはありますし、これが専門家となるとしっかりとしたご意見を出されるかと思います。

ただテレビやネットに出ているコメンテーターとか自称専門家と呼ばれる人たちにも「間違い」は必ずあり、へーそうなんだと思って見るくらいがちょうどいいと思っています。

実際僕も間違えることありますし、誰だって間違えの1つや2つくらいあります。だって人間だもの。

誰かのもとに映像が届くということは、どうしても自身の意見を画面越しに伝えているように見受けられてしまいます。

これがみなさん、「自分が友達とあーだこーだと議論したり意見を出し合っている時」に、周りの人間にその議論が見られいきなり何か突っ込まれるとしたら、恐くてなかなか意見を言えなくないのではないでしょうか?。

だから僕は、画面上でみんな(著名人)が好き勝手自分の意見を言っているというようにとらえています。

鵜呑みにするなとはよく言われることで「テレビに出ているから正しい」「有名人が使っている商品だから間違いない」「専門家が言っていることはすべて正解」「すずきの意見は全て間違っているしクソだ」と考えるのは、一旦待ったほうがいいと思っています。

論文や専門書を読んで勉強してみたり、ウェブ上でいいから情報を2〜3つ調べて見たり…

はたまたまず鵜呑みにしてから試しに一度行動に移してみたり、商品を実際に買って試してみたりするのも面白いかもしれません。

これらのような「過程」を自分なりに経たほうがいいと思っています。

そうすれば「あれ?意外と合わないな」「なんか間違ってるんじゃないのかな」「調べたこととちょっと違うな…どっちが正しいんだろ?」と感想や意見を持つことができます。

要はそこに自分として確かな根拠や考え方があるのか。

一度自分の思考や体験、リサーチや勉強を介しているのかが重要だと思っていまして、一旦そのプロセスがないと文字通りの「受け売り」となってしまいます。というか横流しというか。

彼らは彼らなりの経験や考えで意見を言っているのだから、それは僕ら自身も当然そうするべきで「これ使ってみたけどよかった」「あそこのメシはマジうまい」「やっぱりすずきはクソだ」など『自分がそう思う根拠』というのは他でもない、自分しか持つことのできないものです。

それが聞いた話をただ他人に流しているのだとすれば、それはどこまで行こうと「彼らの」意見なのです。

それを取り違えてしまった最たるものが、「アンチ」や「信者」なのかなと思っています。

盲信か叩き屋

ネット上で意見を言うなとは言わないのですが、やっぱり僕は「画面越しで起こっていることを画面越しから言うこと」ほど意味のないことはないのかなと思っています。

テレビやYouTubeにはどうしても撮影のウラがありますし、言っていることや意見なんか間違っていることも多々あります。

そこで「ほらお前の言っていることは違うじゃないか」とか「そんなことやるなんて本当に信じられない」とか言う人たちがいますよね。

何もしないでリスクも取ってないのに、勝手に見ておいてそりゃないだろうと僕は常々思うわけです。

もちろん、発信者には叩かれるリスクが付き物なのは承知しております。

ネット社会において発信者に「コメントを甘んじて受け入れろ」と言うのも無理はないと思いますが、コメントをする側のリテラシーも大切だと思います。

オープンな場所だけれども、なんでもかんでもOKは違うんじゃないかなと。

これって盲信的に彼らの言葉を信じているからこその意見なんじゃないかなとも思います。

ハナから「間違っている可能性もあるだろう」と思っていれば「あぁこの人もやっぱり間違えるんだな」ってなりますしね。ってかまず自分で調べろ笑。

それかただ叩きたい人ですかね。

ストレス発散なのかよくわかりませんが、コロナ禍では本当に多くの人が叩き屋となってネットに出現したと思いました。

「暇が生んだ災害」でしたね。「嘘から出た実(まこと)」みたいですね。違うか。

人を叩いている暇があったら自分を磨きましょうよぉ!いのぢがもっだいない!

ただ一方で、熱狂的なファンや(言い方は悪いですが)信者による擁護やかばい合いも、いかがなものかとは思います。

不毛な言い合い

討論ではなく「言い合い」と言ったのは、コメント欄での争いがあまりにも不毛で非生産的だからです。

結論から言いますとここでの言い合いは基本的にスルーで大丈夫です。

何も生み出しませんし、外野がわーきゃー勝手に言い合っているだけの居酒屋のおっちゃんたちだと思って構いません。

まずアンチと呼ばれる方々はとにもかくにも「何とか難癖をつけたい」だけです。

粗探しのプロと言っても過言ではありません。しかも自分の時間を割いてまで…もうほんとその熱心さに涙すら出ます。もしかしてお金もらってる?

ゆえに一過性のものでしかありません。これがファンたちとの大きな違いです。

アンチは一時的なものファンは永続的なものとして僕はとらえています。

僕はこう考えているため、激しい言い合いや罵り合いに持って行くことがどれだけ意味のないことかとつくづく思うわけです。消耗するだけですから。

僕みたいにただただ動画を楽しみたいだけの一般人からすれば、そんな一過性に過ぎないものなんて本当に心の底からどうでもいい。

いちいち反応している時間がもったいなさ過ぎます。ぜひ反応しない練習をお読み下さいませ。

熱狂的な人たちが自身の応援している人、尊敬している人をかばいたくなるのもわかりますが、どうせそんな反対派の人たちは1週間もすれば消えていきます。ご安心ください。

むしろ自分がいつも見ている、応援している方にお世話になったのであれば「いつも元気もらっています」と感謝のコメントをするなど、変わらずその人を応援して楽しんでいけばいいのです。

イヤなコメントに不愉快になって反応しても、残念ながらメリットはないのです。

コメントの意味

SNSやネット社会というものは、多くの匿名の意見がもとになって築き上げられたプラットフォームでもあると思っています。

昔すずきもよくニコニコ動画で実況動画とか見まくっていたときは、コメントに笑わせられたり建設的な意見に感心したりしたものでした。

名も知らない、身元もわからない人にだって開かれた場所があるんだと思えば、それはそれでロマンがあるというものです。

その人たちの意見も配信者やスタッフたちに伝わりますしね。コメントも含めて動画を楽しんでいる人もいますから。

ここで大切なのは、自分のあるいは他人のコメントが建設的なものであるか、悪意があるものであるかを見極める必要があるということです。

信者でガチガチにかたまってしまうと建設的な意見や前向きな批判にすら噛み付いてしまいかねません。

一方アンチコメントが集まりすぎると、精神的な攻撃が重なって対象者を死に至らしめる可能性もあります。

だから僕はコメントしません。なんか恐すぎて笑。

するとしたら明らかにハッピーなコメントしかできないですね。当たり障りのないというか。

だってとらえ方は人それぞれですし、対面じゃないからコメントするのが難しいんですもの。

もし建設的・批判的なコメントをどうしてもしなければならないのであれば、かなり慎重になると思います。そうです。どうせすずきはビビりです。

それくらいコメントは威力のあるものなんです。

みなさんもお気をつけください。(うまくまとめた)

おわりに

いろいろと考えてみたところ、やっぱりテレビや動画でハッキリとものを言っている人たちはそれだけで尊敬に値するという結論に着地しました。

アンチを生まないためには、事なかれ主義を貫いて当たり障りなくやっていくくらいしかないと思っています。

だから「自分はこうだ!」って思って信念を貫いていたら、ほうぼうから様々な意見が寄せられるのは仕方のないことなのかなと感じています。

PKを外した人を批判する人に「蹴ってもいない、ピッチに立ててもいないやつが言うなよ」とか「PKを外せるのはボールを蹴ったやつだけだ」という言葉がありますよね。

リスクを取ってでもその場に立つことというのは、もちろんその分の見返りのためにやっていることですけれども、それだけでなかなかのメンタルだと思うのです。

確かにその人たちに対して、様々な思いや意見を持つことは自由です。

しかし僕らが彼ら発信者ほどに学びが深くて経験があるのかと言われると、残念ながら身を縮めてしまう思いになる人が多いと思います。

むしろそんな人たちは批判などせずに謙虚であるはずです。

発信者の彼らは聖者でも神様でもありませんから、僕らができることはそれを受けて参考にして自分で考えて成長する糧にすることくらいだと思います。

何か得たものがあったら彼らに感謝の意を表せばいいのではないでしょうかね。知識や意見、楽しみを享受している側ですし。

ゆえに彼らに全体重をあずけてしまうのも危ないですし、批判ばかりしていても不毛です。

バランスよく、広く多くの意見を参考にしていれば自分なりの意見ができあがり、いちいちコメントに反応しなくなる、あるいは客観的に冷静にコメントに対処できるようになるはずです。

そしてまたそれを友人に話してみたら意外にも「それって違うんじゃね?」と突っ込まれたりするものです笑。

そうやって意見に客観性をもたせていくことが大切ですね。

そのためには日々勉強と経験です。

これからもインプットとアウトプットをしまくりましょう。

それではまた!

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