こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
少し前にアキレス腱を断裂した知人がいまして、
と連絡をいただきました。
その方は、以前僕がアキレス腱を断裂したことを知っていたためです。
自分がアキレス腱を断裂したのは19歳の3月でした。(13年前)
今でも記憶が甦ります。
まだ左の足首にはしっかりと手術痕が残っています。
当時はまだ若かったということもあって、その時に様々なことを感じていました。
知人に話したことが誰かの何かの役に立つと思いましたので、書いていきます。
アキレス腱断裂

高校時代に器械体操部に所属していた僕は、浪人時代を経て、やっと大学に合格しました。
その年の3月に、
と思い、練習に向かいました。
当日は体がとても軽く、なんでもできると思っていました。
もはや飛べるのではないかと。
後方宙返り(=バク宙)をマットで練習していたのですが、何回か練習した後、飛んだ時に悲劇はやってきました。
パーン!という大きな音とともに、着地後よろけてしまった僕。
そこからは車椅子がかつぎこまれ、大きな病院に行き、あっという間にお医者さんとお話ししていました。
そこには、絶望しかありませんでした。
- 自然治癒か
- 手術か
を迫られましたが、とにかく早く治したかったので手術を選択しました。
何より、
と思ったからです。
全断裂という部類で、全治8ヶ月でした。
手術は下半身麻酔でした。
手術室はリラックスした音楽が流れており、まどろんだらいつの間にか終わっていました。
しかし、勝負は夜にやってきました。
麻酔が切れ始めた深夜、激痛が僕のアキレス腱を襲いました。
ナースコールをして点滴を強くしてもらい、何とか事なきを得ました。
その後、下半身の麻酔が切れた後に「尿を出さなければならなかった」のですが、これがまたしんどかったですね。
下半身に力が入らず、尿が出ないのです。
一所懸命力を振り絞るので、病院で大量の汗をかきました。
全てが初めての経験で、「これからダンスを始めよう」と思っていた人間には辛い経験でした。
入院することは自由を奪われたも同然で、厳しい現実を突きつけられたようでした。
全てを憎む

退院は最短の2週間。
そう意気込んでいた僕は、入院中、病室のある8階から下界を見下ろしながら、普通に歩いている人たちを憎みました。
- なぜ俺だけなんだ?
- どうして俺にこんな不幸が降りかかったんだ?
- あいつらはどうしてのうのうと生きていやがるんだ?
と。
今思い出しても、最悪の気の持ちようでした。
ひどいものです。
ただ今だからこそわかることもありまして、
- 行き場のない感情
- ぶつけようのない憤り
があったのだと思います。
誰が悪いでもなく、自分の行動でそうなってしまったのに、神様を恨んだりもしました。
そういう気持ちになってしまうんですよね。
こうした経験をした人は、僕だけではないと思います。
コロナに関しても、同様のことが言えます。
世界中の人々が各々思うところがあって、やりきれない気持ちや抑え切れない感情がふつふつと湧いてきています。
それに対して、
と言える人は、なかなかいないでしょう。
だからこそ、その負の感情を正(生)の感情に変えるのです。
ある意味チャンスなのかもしれません。
ピンチこそ最大のチャンス。
大きな壁はそれを乗り越えられる人にしか立ちはだからない。
そんな憎しみに溢れた僕に、ふと救いの手が差し伸べられることとなります。
メシア降臨

ここで僕を救ってくれたのは「本」でした。
僕の「読書」のスタート地点です。
ベッドに横たわり、手すりを使って歩いてトイレに行くのもやっとの僕は、世界で一番無力であり、使い物にならない気持ちで胸が押しつぶされそうでした。
しんどい時間が続く中、ふと友人から教えてもらっていた作家伊坂幸太郎さんの本を親に買ってくるように頼み、読み始めました。
これが重力ピエロとの出会いでした。
リンク
「重力ピエロ」という名作を読み終わり、
と思い始めました。
そこからの2週間はあっと言う間でした。
トータルで10〜20冊を読んでしまいました。
1日数冊なんてザラでした。
当時はスマホもまだなく、暇をつぶすなら「ゲームか本」と相場が決まっていました。
僕は昔っから大の「ゲーム下手」だったことから、本を選択しました。
これが功を奏し、無事退院したその後もリハビリをしんどいとは感じませんでした。
最悪の新生活

家で装具をつけながら、ガッシャンガッシャン音を立てながら歩いていました。
「装具」とは、アキレス腱を伸ばさないように、かかとの部分が上がっているものです。
少しでもアキレス腱が伸びようものならば、アキレス腱に激痛が走ります。
街中を歩くとなれば松葉杖も必須です。
4月からは気温も上がっていたので、大学の登下校だけで汗だくでした。
また徐々に、負の感情が湧いて出てきていたと思います。
と。
夏休みはありませんでした。
ひたすらリハビリですし、自分の行動範囲も限られていたからです。
そのためバイトで始めた塾講師として、夏休みに稼ぎまくることを固く誓い、その数十万円で結果的に運転免許をとりに行きました。
4月の入学から10月頃までは、本当に友達がいませんでしたね。
人と会うのがイヤでイヤで仕方なく、殻に閉じこもった数ヶ月でした。
思い返してもその半年はほとんど記憶にありません。
足を引きずって、バイトと授業に精を出していただけでしたから。
しかしアキレス腱が治り始めた頃、ようやく興味があったブレイクダンスに出会うことになります。
この出会いも「奇跡」のうちの1つでした。
経験から学んだこと

ここからが本題です。
アキレス腱断裂は、しないに越した事はないのですが、僕がこの大きな怪我を経験したことで、学んだことを2つお伝えしようと思います。
災いを受け入れる
アキレス腱を断裂してしまった時に、僕が思ったことは「なんで自分が?」という気持ち、この1つだけでした。
まるで世界の悲劇のヒーローのように、自分中心で物事を考えていました。
若かったこともあり、出し所の見つからない拳があったのも事実でした。
ただそこでは、負の感情を持つことは自由であっても、それが何の意味も持たないということが同時にわかりました。
僕は当時未熟ながらも、
- 本に救われ
- ダンスや英語と出会ったことで
その活路を見出すことができました。
奇跡的なこともありましたが、時とともに事実を受け入れて初めて、前に進むことができたのだと思っています。
怪我ですので、
と言われれば確かにそうです。
しかし、
- 入院中に読んだ本も
- 苦労して行ったリハビリも
- 免許のために貯めたお金も
それらは全て、その時にできた最善の方法でした。
僕らは今も政府に文句を垂れつつ、生活のために必死に生きています。
世界は今大きな病気を抱えています。
でも、挑み続けて行けばきっと道は開ける。
状況を受け入れ、自分から何かを引き寄せようと行動すれば、何かが変わる。
そう信じていたのです。
時が解決する
本末転倒というか、身も蓋もないというか。
僕がアキレス腱を断裂した後で感じたことは、実はこれに尽きるんじゃないかなと思っています。
飄々と過ごしている僕も、小さな悩みを抱えた時はとことん悩んでしまいます。
無駄なことに時間を費やすことは意味のないことである一方で、必要なことでもあるとも思っています。
だから僕は、当時抱いていた負の感情を後悔したり責めてはいません。
今のコロナの世の中は、
と思うには緊張感が高まり過ぎていますから、「負の感情」を持つのは仕方のないことです。
僕らにできることは、その時を待つこと。
ただそれだけです。
- 力を
- 知識を
- 経験を
溜めていきましょう。
今できる最善を尽くして、天命を待ちましょう。
「そんなこともあったな」と思える未来を、想像したっていい。
一個人にできることは、精一杯生きていくことくらいしかないのです。
思えば、入院とリハビリは暗くて長いトンネルのようでした。
しかしトンネルを抜けるとそこは、輝かしい世界が広がっていました。
一方でどんなに世界が好転したとしても、ずっと薄暗いトンネルの中を歩き続けている人もいます。
あるいはトンネルを抜けても、望む世界に行き着けない人もいるでしょう。
輝かしい世界は、結果的に訪れるご褒美ではなく、それを信じて努力をして、探し出そうとする人にのみ、見える世界なのだと思います。
時が解決することを待ちながらも、攻める。
力を溜めながら、待つ。
今求められていることは、待つにしても「どういう姿勢で待つか」なのではないでしょうか。
おわりに
僕はこの経験を人に話したことはないのですけれど、鮮明に覚えていますのではっきりと書くことができます。
癒えない傷としてではなく、ちゃんと「良い経験」として保存してあります。
知人がアキレス腱を断裂した時も、同じことを伝えました。
アキレス腱の経験とコロナを一緒にすると怒られそうですが、僕は人類がコロナに打ち勝つことを思い描いて、今を過ごしています。
我慢も忍耐も、決して健康に良いことではありません。
しかし、耐え忍んだ先を見ているからこそ、今を頑張れるのだと思うのです。
逆境にいる時に出会う友ほど、固い絆で結ばれるものです。
道中で出会った様々な経験が、きっと皆さんの血肉となってものすごいパワーを発揮することでしょう。
この苦境で出会えるものに感謝し、新たな気持ちで進んでいきましょう。
僕も頑張りますね。
それではまた!

