長い長い旅の一部だと思えば寂しくはない【あなたに返す愛】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から藤井風の「旅路」という曲を聴いています。

自分のこれからの「旅」ということもそうですし、「人生という名の旅」という意味でもまたしっくりと来る歌詞だからです。

行動力がバグってきまして笑、いろんな人に会ってきた1年でしたが、やはり帰りの新幹線や飛行機に乗っているときは胸が締め付けられるくらい、寂しい気持ちになる時があります。

できるのならばずっと一緒にいたい仲間や友人がたくさんいるのですが、それぞれにはそれぞれの仕事や家族、生きる時間があります。

もちろん僕にも。

この1年は、僕にとって意味のある1年になると思っています。

今日はそんなこれからの「旅」について、語っていきます。

長い旅の中で、出会いや別れは一瞬でしかない。長い旅に出るとしても、またいつか会えることを信じて愛を返していこう。

人生はまだ長い

4月から旅立とうというのに、人と会えなくなることで感傷的になっていた自分がいました。

僕はなかなかのメンタルを持っている!

と自負していたはずなのですが笑、今まで会ってきた人たちと会えなくなることに、今さらながら胸がギュッと締め付けられ、寂しさを覚えるようになりました。

うわーなんかセンチメンタルになってるー

人間、どうしても「その日」が迫ってきますと、いろいろと考えてしまうものです。

僕もダンスステージに立つ時は緊張しますし、人間関係でイラっとすることもあるくらい、一応は「感情」を持っています笑。

しかし「年」という単位を考えた時に、

果たしてその期間は長いと言えるのか?

と考えてみました。

あっと言う間に、去年から1年が経っていた

と感じることはないでしょうか。

そう、1年なんて短い期間だということです。

人生100年時代」に突入し、人間の寿命はどんどん長くなっています。

そう考えれば1年間(の予定)、祖国である日本を離れることは大した時間ではないということです。

僕は心のどこかで、1年を長い期間と考えていましたが、

実はそうでもないのかも

と思いました。

人生が長い長い旅路であるとするならば、1年はそのごく一部の期間でしかありません。

悲観的になる必要はなく、自分の経験を豊かにするものだと思って、少しだけ心地よい世界から離れてみるのです。

人生を100年時代と捉えれば、1年なんて大した期間ではない。あっという間に終わってしまう1年に、自分は何を経験するのか。考えてみよう。

一所懸命生きてるからこそ速く濃く感じる

1年は短いものだ

この捉え方は、人によって全く異なります。

  • 長いと感じる人もいれば
  • 短いと感じる人もいる

これは「必然」であり、それぞれがそれぞれの捉え方をすればいいと思っています。

僕は長いような短いような、なんとも言えない長さだと感じています笑。

確かに人生100年時代だと考えれば「圧倒的に短い」とは思っていますが、その「過ごし方」がポイントだとも思っています。

以前の僕の生活リズムでも、実は1年は「あっという間」でした。

しかしどこか「内容の薄いイメージ」がありました。

それは、

  • 感情
  • 精神
  • 生き方
  • 考え方

が、未熟だったからだと思っています。

ガムシャラに生きることは若い頃の特権ではありましたが、やはり30歳を越えてから過ごす日々のほうが、明らかに濃くなってきたように感じています。

それは年齢がどうのこうのではなく、真剣に自分の人生と向き合ったからこそ得られた感覚でした。

毎日を濃い日にしていくのは、他でもない「自分自身」ですからね。

自分で「そうしていこう」と思えてからというもの、毎日が本当に濃くて意味のある日々になりました。

いろんなコミュニティの、いろんな人と出会っていく中で、自分のあり方や生き方のスタンスが築かれていきました。

すると「速いのだけれども、それでいて濃い時間」を過ごすことができるようになりました。

もう1年か…

と思いつつ、

この1年で本当にいろんなことを経験したなぁ

とも思えました。

「あっという間」の中で、いかに自分が動いて、様々な経験をしたのか。

これが大切ですよね。

僕は30年以上生きてきましたが、2022年が一番、行動力に満ちていました。

行動することで、徐々に広がってきた世界。

今まで会ったこともないような人々との出会い。

全ての時間がかけがえのないものであり、感動しっ放しの1年間でした。

一所懸命生きていれば、いい意味で短く感じるだろうし、濃く深く過ごすことができる。

身をもって実感した、そんな1年だったのでした。

意外にも「過ごした時間の長さ」はそこまで関係ない。いかに濃く、深く過ごせたかが大切なのだ。

愛を返してゆく旅にする

「旅路」という曲の最後に、

これからまた色んな愛を受け取って あなたに返すだろう

永遠なる光のなか 全てを愛すだろう

という歌詞があります。

この歌詞を聞くたびに、僕がこの1〜2年間でやってきたことを思い出します。

いかに自分が「人」に恵まれてきたか。

表現するのが難しいくらい、僕は信じられないほど「多くの愛」を受け取ってきました。

今までの僕の人生もまた、ずっと「もらってばかりの人生」でした。

具体的に「〇〇さんにお世話になった」ということもありましたが、

「こうして豊かな社会に生まれて、素晴らしいサービスを受けて生きてきた」

ということでもあります。

以前の僕は、「自分がもらっている」という感覚は全くと言っていいほどなく、TAKER気質に溢れていた性格でした。

少しずつではありますが、自分の、

  • 未熟さ
  • 足りなさ
  • 周りの人の愛

に気付き始めてから、「与える道」を歩いていきたいと思えるようになりました。

これから生きていく中でも、必ず毎日「何かしらの愛」を受け取って生きていくことになります。

  • 毎日食べるご飯
  • 毎日歩く道や乗る電車
  • たまに行くサウナやカフェ

どこに行っても、そこに「人」がいることを忘れてはいけません。

それを感じながら、僕が今できることを考え、その愛を返してゆくこと。

そうすることで、寂しさを感じることはなくなるのだと思っています。

  • 自分が何を感じ
  • 自分に何ができるのか

を考えること。

そうして考えている時間は、今まで受け取ってきた「愛」について考えることでもあります。

愛を返すことを意識していれば、自分の心は満たされていくと思うのです。

これからの旅は、長い長い人生のうちのほんの一部の時間にしかならないのかもしれません。

その1年で一体僕は、世界をどのように感じ、どうやって愛を返していくのか。

それを考え伝えていくこともまた、僕のできることなのかなと思っています。

人生という長い旅路の中で、自分のできることは何だろうか。今まで受け取ってきた愛を返していく、そんな旅になってもいいのかもしれない。

おわりに

少し前までは、あまりこんな気持ちになったことはなかったのですが、人と会えば会うほど寂しい気持ちになっていました。

ただ、僕にとっては必要な時間だと思っていますし、一方で「使命感」で海外に行くのではなく、自分の目で見たいものがまだまだたくさんあるから行くのだ、とも思っています。

ダンスサークル時代は、ダンスサークルの友人たちと4年間をフルに過ごしたいと思い、留学をしませんでした。

でも今は、自分のための時間を選べるようになりました。

「周りがどうこうするから」ではなく、「自分は」どうしたいのか。

長い長い人生では、このような学びの時間を取っていくことも大切です。

その旅でもまた、改めて愛を受け取ってゆくことでしょう。

そうして受け取っていく愛を、また皆さんに返していければなと思っています。

それではまた!

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