こんにちは。
本日は台風が直撃しましたが、なんと我が校では「普通に授業を展開する」という全く意味のわからない事態が起こりました。
前日から「日本列島をかする」という予報は出ており、何校かでは前日から休校の通知が出ていたそうです。
すずきは台風がめちゃくちゃ嫌いでして(好きな人いる?)、雨が好きになったものの風とはいまだに仲良くなることができておりません。絶縁状態です。
「今日も休校だろ…」と安心し切っていたら、とんでもない変化球がきてホントに焦りました。
そこで今日はそんな「判断ミス」についてお話ししようと思います。
判断ミスと結果論の違い
僕としてはあまり感情的になるつもりもなかったのですが、「ほら言わんこっちゃない」と言い放ってしまいました。
結果的に天気は荒れに荒れ、生徒の登校時間あたりからもうすでに雨風が激しくなり始め、午前中の授業が終わったぐらいでピークに。
生徒はズブ濡れになりながら、危険を覚悟の上で強風の中、お昼に帰宅することとなりました。
僕が親ならクレーム入れてます笑。
そこで同僚たちと話しをしていますと、すずきの口から「まぁ結果論ですけどね」という言葉が出てしまったのですが、よくよく考えてみると「いや、そうでもなかったのかも」と思い始めました。
理由はいくつかあげることができます。
- 前日から台風の通り道は、ニュースで大体予想が出ていた
- 大雨・暴風ではなくともかなり風が強まることは言われていた
- 朝の時点で「強風」「波浪」の警報が出ていた
- すでに職員室で休校になりそうな話は上がっていた
などです。
現在まだ読んでいますファスト&スロー(下巻)では、結果が出てから「ほらみたことか」とか「予想できたじゃないか」と思うことを後知恵バイアス(hindsight bias)と言うと書いてあります。
僕もちょうどこの類(たぐい)のバイアスにひっかかっていたのだろうなと思い、「あ、結果論ですけど」とつい口走ってしまいましたが、今回のケースはやっぱりちょっと違ったんじゃないかなって思っています。
悪い予感はしていましたし、別にそこまでリスクをとって生徒を学校に来させる理由はなかったと思ったからです。
- そもそも午前授業なので、授業自体が少ないから授業時間数へのダメージは大きくない
- 緊急事態宣言が明けたばかりで、無理に学校を再開する必要はない
- オンライン授業が定着してきたので、対面でやれないのは辛いが特に差し支えはない
などの実情から「あえて登校というリスクをとる<生徒の安全面の重視」という式が、僕の頭の中では先日からできあがっていました。
こんな素人のすずきでも、です笑。
もちろんこうして今書いてしまうと「後知恵バイアス」になってしまうかもしれませんけれど。
でも晴れたら晴れたで別にいいとは思っていましたし、オンラインでやっても何不自由ないレベルまでできるように1ヶ月努力してきたわけですから、そのパターンでもいいかもなとは思っていました。
数日前から教員の間で「台風くるけど大丈夫なの?」という話題は何度も出ていた分、「明日の朝の警報の段階で様子をみましょう」という判断はあまりにも遅いと思いましたし、結果的に最悪の事態で幕を閉じた1日となってしまいました。
僕は「結果論」から叩いて批判したいわけではなく、これは明らかに予想ができたはずなのに強引にものごとを押し進めた上の判断ミスだと思いました。
今回の件に関しては「後知恵バイアス」だと考えるには無理があるように思えたのです。
実際朝の打ち合わせは台風に負けないくらい荒れたのですが(笑)、生徒を早く帰宅させたり時間割を変更して短縮したりするアクションは全く取られないまま、会議は終わってしまったのでした。
「できたのにやらなかった」という判断ミスは、結果論とは大きく異なります。
様々な材料から先を予測する
僕はズボラでいい加減、適当で雑ですので、あまり予想を立てたり計画を練ったりするのが得意ではありません。
それでも「正しい判断」と呼ばれるべき判断に関しては、最近は少しわかるようになってきた気がします。
それは判断材料や議論の視点を、1つだけでなく複数持つように努めたからです。
これも読書のおかげかなと思っています。
本日の台風予報は僕ら素人が適当に出したものではなく、プロフェッショナルたちや統計データから打ち出された予報であり(当たり前笑)、素直にそれを信じて災害レベルを判断することが妥当だと思っていました。
一方でネガティブな情報ばかりを集めるのではなく、ポジティブな情報(逆の立場にある情報)も集めようとしましたが、「快晴になる可能性もあります」「台風の進路変更もあり得ます」という可能性を示唆する文言は、ほぼ見当たりませんでした。
さらにたとえ予報が”いい意味で”外れたとしても、オンラインで授業をすることはノーリスクですし美味しい部分だけをとることができます。
「対面でどうしてもやりたい」という反対意見が出た場合でも、その気持ちと天秤にかければ「台風の可能性があるからオンラインでも仕方ないか」という総意に落ち着くことは予想できます。
このように「結果的に台風は来なかったじゃないか」という場合も想定しておいたということです。
多くの視点から、セーフティネット、可能性、安全面、リスク、コスパ、感情などを考えつつも、どの項目が優先順位が高いのかを考えます。
だから今回の「生徒を登校させる」という判断に対しては、「きっと材料や情報の収集と比較検討を怠(なま)けただろうな」と思わざるを得ないのです。
まずは1つのテーブルの上にいろんな材料を乗せてから、それらを寄せたり切ったりすることで現状を検討してテーブルの上を整理する。
そこから未来を予想したのであれば、少なくともこんな結果にはならなかったでしょう。
職員室では「なんでそんな判断になったんだ?」と、まだ雨足の弱い朝の時点ですら、誰も納得していない状態でした。
まずはその場を納得させられるくらいの説明がなければ、妥当な判断とは言えないのでしょうね。
末端にしわが寄る
組織については以前も何度かお話ししましたが、上の判断によって教員や生徒がこのように翻弄されてしまうということはよくあります。
教員たちがすでに「?」マークを出しているのですから、そりゃ当然生徒たちからもクレームがきます。
「なんで今日学校あるんですか」と。
これを後知恵バイアスとみなして、「学校に来てからそういうこと言うな!」と突き放してしまっては酷です。
生徒たちだってある程度の予想を立てた上で登校したのですから。
確かに全員が納得する方向に舵を切るのは大変難しいですが、ちょっとした適当な決断によって困ったり苦しんだりするのは現場の教員や生徒たちです。
つまり組織の上に立つ以上、下にいる土台や現場の人たちの意見も取り入れながら、様子を見て組織を動かさないと1つの生き物として組織がうまく機能しなくなります。
すると悪循環が始まります。
- 末端を無視して組織を乱暴に動かそうとする
- 末端にしわ寄せがくる
- 末端が疲弊しストレスが溜まる
- 上への信頼がなくなる
- 組織内がちぐはぐになる
- 末端がやめてゆく
- 組織が崩壊する
というような流れが、いとも簡単に起こり得るのです。
デキる社長ほど末端や現場を気にかけ、そこにエネルギーがあることを一番に理解していると思います。
僕が偉そうなことを言うことはできませんが、上に立つことって何も好き勝手指示を出していい立場にいるということではないと思うんです。
これはブーメランのように僕たち教師たちにも返ってくるからそう思うのです。
生徒たちに「いいから黙ってやれ」「知ったこっちゃない」と上下関係を間違った形でとらえて関係を構築してしまっては、もう信頼を取り戻すのは不可能に近いと言ってもよいでしょう。
1つの教訓だと思って改めて、学校とは何か、教師とは何か、学年とは、クラスとは…と考えを膨らませていきたいですね。
おわりに
あとからブーブー言うのは後出しですけれど、事前に予想を立てておいたのに無下に却下されてしまうと、こんなにも残念なのですね笑。
確かに未来のことは誰にもわかりませんけれど、ある程度のリスクを計算することくらいはできたのではないかなと思ったのでした。
また末端のことを何も考えずにコトを進めようとすると、やっぱり組織に不満が溜まるのだなと言うこともわかりました笑。
現在に至るまでの政府や都道府県の判断にも批判が集まるように、いつでもダメージを受けて苦しむのは末端です。
しかし自分が「末端にいる」という事実を無視してもいけません。
文句や批判を言うのは簡単ですから。
どうやったら組織が変わるか、組織が変えられないのであれば自分が変わるのか、環境を変えるのか、そうやってものごとをいろんな視点で見るのもまた勉強ですものね。
偉そうなこと言ってないで僕も勉強しなければなりません…
末端の一教師がどう動けば防げたのか。
どう言葉がけをしたら生徒たちに納得してもらえたのか。
まだまだ考えるべきことがたくさんありますね。がんばります。
それではまた!
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