論理的思考を身につけるためにすべきこと【感情的にならない】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

参院選の選挙も後半戦に入りましたが、Xやメディアの記事では、

  • デマ情報
  • 誹謗中傷

などが散見されました。

社会人までテレビに浸っていた僕は、思考が止まった状態でした。

しかし昨今では「ファクトチェック」なるものが誕生し、その真偽を問う人が増えてきました。

僕はオールドメディアのことを批判できていませんでしたが、論理的な展開や議論、ディベートならかなりイケるクチだと思っています。

その上でXやメディアの記事を見たときに、愕然とするほどの内容の薄っぺらさを目の当たりにしました笑。

おいおい…これが本当にジャーナリズムかよ…

と思えるような「すごくレベルの低いしょーもない投稿」が話題を集めています。

今日は「論理思考」について書いていきます。

しっかりと考えること。どこに根拠があって自分の発言をしているのか、今一度考えてから投稿しよう。また、投稿を鵜呑みにしないことだ。常に真偽を問うべきなのだ。

論理的な議論をするために

僕は小学生の頃、学級会議の長を務めていました。

小学生風情が笑わせんな笑

と思う方もいるかもしれませんが、この時代から、

  • 相手の意図はなんなのか
  • 感情でしゃべっていないか
  • どこに論を落ち着けることがいいのか

をよく考えていました。

今でも感情的になって話す人がいますが、僕はそうした人を相手にした場合、

相手が感情的になった時、逆に相手を煽ってしまう

ということがよくあります笑。

これは後述しますが、「感情的になったら負け」だと知っているからです。

基本的に同じ土俵に立てない人というのは、ほとんどが「感情」で先に物事を考えている気質があります。

まず、感情を排除すること。

これが第一条件であり、感情が出発点だったら議論は始まりません。

「自分の正義」を一方的に押し付けて、最後は罵声でも浴びせ、勝ち誇ったふりをすればいいだけなのですからね。

それは議論でもなんでもなくて、ただの文句や意見の主張(ゴリ押し)なだけです。

建設的な議論ができないのであれば、退場をお願いします

と言われるだけのこと。

目的が違うのですからね。

大切なことは、

  1. 相手の意見を聞き入れ
  2. どの点が具体的にどうマズいのか
  3. どうしたら課題解決の道を進むことができるのか

を問うことです。

常にお互いの「着地点」みたいなものを意識しておけるかどうか。

そして、いろんな情報に触れ多くの経験ができるかどうか。

論理的に考えるには、まず「人の話を聞くこと」ができる柔軟な姿勢が大事ですね。

論理的思考の背景には、「こうしたい」という明確なビジョンや具体が必ずある。感情論で持ってきた場合、人はそれを議論とは言わないのだ。

常に冷静に

先述した通り、感情的になった時点でその人は「負け」を認めることになります。

僕もイラッとしたりムッとしたりすることはありますが(人間ですからね笑)、それでも必ずどこかに、

この人は何をしたいのだろうか?

と、常に相手の意図を読むクセがあるのです。

要は「分析する」ということが大事ですね。

当時の僕は、

テレビや新聞の言うことは大抵間違っていない

といった「固定観念」がありました。

もちろん、局はどこよりもファクトチェックをやってくれているのだとは思いますけれど。(最近は疑わしいですが笑)

しかしテレビを見なくなって、20年前からやっていた「ネット検索」を主軸にしてからは、ちょっとした罵詈雑言のコメントには、

ん?で、結局何が言いたいんだっけ?

と思うようになっていました。

冷静に分析を繰り返していますと、自然と「言っている人たち」の背景も浮かび上がってきます。

冷静に相手の「底」までたどり着いてみますと、

この発言は、感情から来ているものなのだな?

ということがわかります。

するともう、そこでゲームは終了。

先述した通り、出発点が違うからです。

「ただただ文句を言いたい人」と話していても、埒(らち)が明きませんからね。

だから僕は、人と話す時に冷静さを欠いている人間を見てしまうと、

もう議論の余地はない

と、さっさと帰りたくなってしまいます笑。

それくらい、議論とは理性的に話を進めるものであり、それができなければただの動物的なケンカで終わってしまいます。

なんのために僕らは考えることができる能力を授かっているのか。

全てにおいて是々非々で考えられないのならば、もう下がってもらうしかありませんよね。

感情的になって議論を進めている人は、そもそも「議論」という言葉にも失礼だ。いつでも冷静に分析し、根拠となるものを持ってこよう。

勝ちたければ学べ

キーッ!なんとかして議論に勝ちたい!

こんな気持ちも、わからなくもないです笑。

ただし一応言っておきますが、こうした発想から来る出発点はよくありません。

そもそも議論とは、生産的な結論を出すためになされるべき行為だからです。

しかし、あえて言うのだとすれば、

  • 証拠や根拠を調べ上げ
  • 相手に伝わるように簡潔に話し
  • そして何より相手の話を聞くこと

が大事ですよね。

まずは「敵よりも己を知ること」が大事だとは言われていますが、

相手が自分の何をつついて来ているのだろう?

としっかりと耳を傾けることもまた、大事なことです。

逆に言えば、そこを「突き返すこと」もできるからです。

もちろん、議論とは「勝ち負け」を決める所ではありません。

ただ、本当に自分の意見が正しいと思うのならば、相手を納得させられなければ意味がないのです。(話に応じようとしない人は無視でOK)

だから、ハナから個人的な感情に任せて話をしている人や、そんな投稿などを見ますと、とても残念な気持ちになります。

はぁ…なんでこんな幼稚な言葉しか出てこないんだろう

と。

相手にわかって欲しければ、

  • しっかりと相手の話を聞くこと
  • そしてそのために自分ができる勉強をしておくこと

これしか方法がないのです。

これがうまくいかないからといって、感情的になったり暴力的になったりするのが許されるのは、まだ幼い子どもくらいです。

だから常に勉強し、”大局的に” 物事を見ることですね。

とは言いつつも、僕はまだまだ歴史や政治については疎いですし、医療現場や税金、外交についてもてんでダメです。

そう思うからこそ、毎日勉強するしかない。

いろんなリソースから情報を獲得し、自分なりに検証してまた調べる。

この繰り返しを愚直に行ないながら、学んでゆくことですね。

学(がく)」のない人とは、

  1. すぐに100か0かで話を始め
  2. 自分が思うようにいかないと怒り
  3. 論理を構築しないまま文句だけを言う

に留(とど)まってしまいます。

決して学歴の話をしているのではありません。

いつまでも進み続けること。

学びを諦めた人では、今後議論なんてできなくなってしまいますからね。

人と議論したければ、常日頃から学びを続けてゆくことだ。それができて初めて、同じ土俵に立てるのだから。

おわりに

残念な投稿や意見陳述を見ていても、

はぁ…もう一回やり直し!

と思ってしまいます笑。

もちろん、僕だって完璧に議論できるわけではありません。

だから、こうして毎日何かについて自分の意見を言い、それが本当に有益なものかをいつも考えてはいます。

ともに学び続けていきましょう。

それではまた!

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