こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
FPの試験も終わり、久しぶりに読書に時間を充てることができるようになりました。
先日、「苦しかったときの話をしようか」を読了しました。
前半部分はマーケティングの話や、自分の強みについての話だったので、
と思ったのですが、後半に題名通りの「苦しかったとき」が描かれており、衝撃を受けました。
著者の森岡毅さんが一番苦しかったときは、
と思った時だそうです。
その後は「挑戦すること」の大切さも書いてあり、とても胸が熱くなりました。
今日は、そんな「苦難を経験している人へのエール」を書いていきます。
自分に必ずある「強み」を磨こう
以前、僕は「自己肯定感」についていくつか記事を書きました。
僕にはできないことがたくさんあり、それらをできる人たちはとにかくすごいと思っています。(語彙力)
街を歩くだけでも、
- 様々な建物が立っていること
- 様々なサービスが売られていること
を感じ、
と感心しています笑。
周りの人を見て、
と思う人を見かけますが、それは大きな間違いです。
たとえバイトだとしても、
- 力仕事をしてくれたり
- 笑顔で接客してくれていたり
しているのを見て、とても心が温かくなります。
と思わされたことは何度もありました。
要は、世間でなされている仕事の中で「価値のないこと」なんて1つもないのです。
言い換えれば、価値のない人なんて1人もいないということです。
需要の大小は別にしても、そこに1ミリでも需要がある限り、それを必要としている人がいます。
一方著者の森岡さんは、渡米した後に会社「P&G」で壮絶な「社内いじめ」を受けていたようでした。
同僚や上司から罵詈雑言を浴びせられ、邪魔者扱いされたのにもかかわらず、歯を食いしばって戦い抜いた経験が綴られていました。
僕は何も、
という根性論を言いたいわけではありません。
森岡さん自身も、それを言いたくて「苦しかったときの話」をしているわけではありません。
彼はその後、「自分の強み」のみをとにかく磨き、どん底(肉体的・精神的にボロボロだったようでした)から這い上がりました。
最後に救ってくれたのは、自分の中にあった一本の細い糸だったようです。
最後まで自分を信じ続けた。
僕はその点が、彼の自己肯定感の回復につながったのではないかと思っています。
最後の砦は自分自身
先生をしていますと、
と思って落ち込んでしまっている生徒を、非常に多く見てきました。
それは、
- 比較されてきた
- 勉強が苦手だから
- 褒められてこなかった
など、様々な要因がありますが、どちらも「日本の環境」が悪く影響を与えていると思っています。
「人をあまり褒めない文化」もそうですし、勉強ができないとまるで「劣等生」のようにレッテルを貼る大人たちで溢れかえっています。
そんな中、
考えた僕は、とにかく生徒を否定せず、褒めることを授業やホームルームの中心に据えました。
ただし、「褒める」にも限界があります。
最後の砦に、他ならぬ「自分」という大きな壁が立ちふさがっているからです。
- どんなに周りから褒められても
- どんなに突出した才能をもっていても
自己肯定感が低い人はいます。
それは、最終的に自分を愛していないからです。
「そんな人をいくら褒めてもムダ」とまでは言いませんが、やはり最後の砦が崩せない限り、その人自身の自己肯定感は決して上がることはありません。
ここで大切なことは、その人自身が自分と向き合い、
- 自分の強み
- 自分の好き
を見つけて、それらをとことん磨くことです。
自信とは「できなかったことができるようになった時」に身についてきます。
そして続けられることや努力できることは、「好きなこと」であることが圧倒的に多いはずです。
これを問い続けるようにと、著者の森岡さんも言っています。
そうして「強み/好き/得意」といった、その人にしかないものを磨きあげること。
自分で納得できるまで(一生をかけても納得できないと思いますが笑)成長をし続けることが、自己肯定感につながるのです。
自分には価値がないなんて思わないでほしい
「自分の価値」を見出していくことは、「いばらの道」でもあります。
- 人と比べてみたり
- 自分の能力を客観視したり
本当は目を瞑っていたいところをグッとこらえて、現実を見なければならないからです。
でも僕は、そうやって「ずっと目を瞑り続けている人生」のほうが、よっぽどツラい人生なのではないだろうかと思うようになりました。
実は以前の僕は、自分自身に対して「目を瞑っていた」のだと思います。
自分を直視することから、ずっと逃げていたのです。
森岡さんほどの修羅場をくぐってきたわけではないですが、僕にも劣等感を感じていた時期がありました。
と思い続けていた時期ですね。
- 大学受験も1度落ち
- 英語をやっても中途半端
- 体操をやっても中途半端
と思い悩んだ時期がありました。
それを救ってくれたのは、他でもない「自分自身」だったことは、森岡さんが書いていることと一致していると思います。
- お金の勉強をし始め、
- ダンスをガチで練習し始め、
- 英検をちゃんと勉強して受け直した。
あくまで一例ですが、自分自身の手で自分の人生を変えるよう、まずは自分が好きになれるものや得意なものに一点集中して、取り組んでみました。
その経験の中で失敗もし、恥をかいたこともありました。
悔しくて泣いたり、落ち込んだりした時もありました。
でもその全てが、自分のアクションによってなされたことだからこそ、人生に納得がいくわけです。
みなさんにも、そういった経験が必ずあるはずです。
その凹んだ日々こそが、みなさんの価値をグッと高めています。
挑戦し続ける姿は輝いていますし、その都度成長を続けている自分がいるからです。
死んでいるように生きていなければ大丈夫。
と探している時点で、自分自身の人生と向き合っている証拠なのです。
そんな人が、「自分には価値がない」なんて言ってはいけません。
試行錯誤して前に少しずつ進んでいるのならば、それは価値のある立派な行動です。
- 報酬が高くても安くても
- 働いていても働いていなくても
なんであろうと、そこには必ず価値があります。
その1つ1つの「過去/経験」を大切に胸にしまい、歩き続けていきましょう。
みなさんには、価値があるのです。
おわりに
森岡さんの「苦しかったとき」は、ガチで苦しい時でしたので笑、想像を絶するご経験だったと思います。
しかし人それぞれ、
- ツラい時
- しんどい時
はあります。
僕は勉強が好きということもあって、試験を受ける頻度が多かったのですが、試験会場で必ず思っていたことは、
ということでした。
人生においても、誰かが何かをしてくれるわけではありません。
ヒントをくれることはあっても、最終的に行動に移すのは自分自身です。
真理でもあり、シビアな現実でもあります。
でもその点に目を向けられれば、きっと自分の人生が、はっきりと輪郭を帯びてくるようになります。
自分の強みを生かして、また前進していきましょう。
それではまた!
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