こんにちは。
緊急事態宣言が出されることに慣れきってしまったすずきは、土日祝日も基本は人と会わないことが多く(まぁ友達がいないからでもあるのですが)、ある意味そちらがスタンダードにもなっていました。
しかし今日、久しぶりに元同僚である後輩に連絡したら「今すぐにでも会いたいです!」と嬉しい返事が来たので、全くのノープランでしたが午後に会うことにしました。
午前中はもちろんすずきは美術館とサウナをキメていまして(変態)、その後さらに元同僚も駆けつけてくださり、最高の時間を過ごすことができました。
以前にも「対面で会うことの大切さ」「旧友と会うことの大切さ」「笑うことの大切さ」など内容の近いトピックで記事を書きましたが、また改めて感じたことをお伝えしようと思います。
慣れきっていた「ひとり」の時間
コロナ禍はある意味「ぼっち優待券」が付与されているようなものでして、すずきはそれをいいことに1人で駆け回っていました。
そこから得られた経験は計り知れず、多くのことを学んではアウトプットができたことはお伝えしている通りです。
しかしどこかそれに慣れてきってしまっていた自分に気づけたのは、こうして久しぶりに「人と会った」からでした。
結論から言うと「バランスが大切」とでも言いましょうか。
1人の時間はもちろん大切ですし、もはやすずきは「孤独のすヽめ」すら行なっている「孤独推進担当大臣」です。
でもやっぱり「1人での行動が活きる時」って、逆説的ですが「人と会う時」なんですよね。
こうして「アウトプットする」という行為も、他ならぬ読んでくださっている人へのメッセージであり、受け取る対象が必ずいます。
すずきはどこかでそれを忘れてしまい、「1人の生き方は楽しいよね」って感じで一方的に書いてきました。
人と会うことを否定しているつもりはなかったのですが、「1人のほうが何かと楽だし人と会うのって面倒かも」っていうマインドが少なからずあったのかなって思います。
受け取る相手あってこその1人の時間なんだなって思ったのは、同僚と話している時や友人と話している時なのだと改めて思ったわけです。
1人の時間も大切。人と会う時間も大切。
とってもシンプルですが、たぶん誰も否定できない真実だと思います。
そりゃそうだよねって。
その2つの間に化学反応が起こって初めて、新たな幸せを感じるものなんですよね。
どちらかが欠けてはいけないですし、アンバランスになってもいけない。
すずきは最近「1人時間」のほうに注力しすぎてました。それも異常なほどに笑。
でも久しぶりに元同僚たちとバカ笑いしたおかげで、あり得ないほど表情筋が疲れました。
やっぱりいいですね。人と会うことって。
これが1人では味わうことのできない、別のレベルの「幸せ」なんですよね。
過去から元気をもらう
僕は「懐古厨」ではありませんが、元同僚たちと話したことは「昔こんなことがあったよね」という内容が多かった印象でした。
でもこれがまた面白くて笑っちゃうんですよね。
「あの時あんな失敗しちゃってさ」とか「あの時マジで焦ったよね」とか「いたいた!あいつね!」とか。
僕はあまり過去を振り返ることはしないほう(だと思います)ですが、過去を振り返って浸ってそこにとどまってしまうことと、過去から元気をもらって前に進むことは意味が違うと思っています。
簡単に言いますと、あの時に戻りたいよねっていう考え方よりも「またあのメンバーで集まりたいね」とか「あの時の興奮をもう一度、似た形でなんとかしてやってみたいね」っていう考え方ですかね。
そうやって先の楽しみを作っておくことは人生の活力になりますし、それを生み出すためには過去に楽しかった経験が必要になります。つまりループさせるっていうことです。
一緒に絡んでいて楽しい奴らだったからまた会いたい。
あの時死ぬほど笑ったからまた会ってバカ騒ぎしたい。
こんな純粋な気持ちさえ湧いてきてしまえば、過去を思い出してニヤニヤすることは悪くありません。
そこに浸ることに時間を費やすよりも、そう思ったらすぐに友人に連絡を取ってみるとか行動に移してしまえば、それは「過去に囚われていること」にはならないと思います。
今日も最初は2人で会ったのですが「あの人も呼んでみましょうか」と後輩から言われ、結果的にもう1人加わって一緒にご飯食べたり笑いあったりすることができました。
実は他にも会いたかった友人らに声をかけたのですけど、ちゃんと秒で反応してくれました笑。
なんなら食い下がって「うーん、なんとか行きたい!けどごめん!また今度こそやろう!連絡ありがとう!」と間違いのない反応が返ってきたので、次回はちゃんとプランニングしてまた会おうという気持ちが強くなりましたね。
いろんなことがフラッシュバックしましたけど、どれも明るく前向きにさせてくれるような過去談ばかりでした。
それらは尊いものですから、思い返しては積極的に話して笑うほうが良いと思います。
一緒に食べるメシはうまい
以前から好き好んで始めているマインドフルイーティング。
友人たちと会って食べるご飯は「これいかに?」と思っていましたが結論、最高でした。(語彙力)
友人たちと食べている時ももちろんマインドフルに食べればよく、いつも通り味わいながらゆっくり食べました。
しかしさらなるポイントとして、その場でその食の美味しさや素晴らしさを即共有できるという1人では絶対に体験することのできない「幸せ」が待っていました。
やっぱり誰か好きな人と食べるご飯ってどこか美味しく感じるものですし、至極当然のことですが1人ではできません。
わからないですけど、ご飯の時間を共有している時間がご飯をより一層美味しくさせるのかもしれません。
お互いに「これうまいな!」と当たり前のことを言っては当たり前に同意するのは、よくよく考えてみると滑稽でもありますが、1人で味わっている「うまい」とはまた違う「うまさ」になるんですよね。
ちょっとうまく言い表せません。ごめんなさい笑。(伝わってくれ)
また一緒に過ごした時間はとても記憶に残りやすく、僕は今日食べに行ったお店の雰囲気とか友人たちとの話の内容とか、とても鮮明に思い出すことができました。
食べたものももちろんそうですし、何かこう特別な記憶として定着するのかもしれませんね。
今思い出せば、友人たちと行った場所は写真を撮ったりもしますけど、思い出せと言われれば確かにだいぶ前のことも意外とすんなりと思い出すことができます。
ご飯だけでなく体験もそうですよね。
だから1人で体験するものとはまた違った体験をバランス良く生活に取り入れつつ、それらを過去として積み上げていくことでまた会う時や1人の時に思い出して笑えることは、どう考えてもメリットしかないということなのです。
友人との時間は、1人では体験することのできない楽しさや新鮮さが必ずと言っていいほどある。
人と会うことで起こる化学反応って本当にすごいものなんですね。
おわりに
1人で歩き続け、探検し続けた話は、とにかく笑われましたし「ほんとすげぇな」って驚かれ(ドン引きされ?)ました。
だから1人の時間を有意義な体験やインプットに当てたことは、結果的に良かったのだとも実感しましたし、これからも俄然続けていきます。
一方で久しぶりに大爆笑したおかげで、「あ、自分は人と会うことの大切さや楽しさを忘れていたんだな」って思った自分もいました。
こんな毎日が、当たり前のようにあった時代もあったんだなって。
人間は社会的な動物ですから人と会ってなんぼですし、1人では学べないことを人から教わったり、複数人で作った「場」によってしか起こり得ない笑いがあったりするのは当然です。
そう思うとその時間もまた人生では大変貴重であり、またいつなんどきに会えなくなるかわかりませんから、大切にしていきたいものですよね。
久しぶりに元気をもらい、また次回会おうと取り決めて夜に解散しました。
何か懐かしい気持ちにもなりましたけど、「次回絶対に会おう」というこの言葉はどこか強く確信に満ちたものだった気がします。
それくらい、ここ1年で僕らはたくさんのことを乗り越えて強くなったんじゃないかなって。
「もう一度必ず会おう」という、たったそれだけの口約束に込められた気持ちがそれを表しています。
またあの時の時間を取り戻しにいきましょう。
元気ももらいましたし、また僕も元気を与えられるように、元気に動きまわろうと思います笑。
それではまた!
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