こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
再び埼玉で一人暮らしをしていますと、本当に物欲もないものですから、
と感じる毎日です。
さて、僕はいわゆる「ミニマリスト」ほどではありませんが、あまりモノを持っていません。
でもこうしてモノを減らしてきたことには、理由があります。
そう感じたのです。
教員時代も誰よりも、
- 机上
- ロッカー
にモノがありませんでした。
では、本当にモノを持たないほうがいいのか。
今日は「思考の整理術」について書いていきます。
減らせない人の特徴
個人的な意見でしかありませんが、モノをたくさん持っている人の特徴は、
- 思考や判断が遅い
- 考え方がごちゃごちゃしてる笑
- なんだか身の回りがとっ散らかっている
という印象なのですが、どうでしょうか。
あくまで僕の印象ですが、あながち間違っていないのかなとも思っています。
かく言う僕も、昔は本や書類を集めたり整理したりするのが好きでしたから、人のことは言えません。
ただ、
- 繰り返す引っ越し
- デジタル社会の到来
- とにかく紙が重くて負担がかかる
など、時代の変化に合わせて、
という結論に至りました。
僕が、
- 家
- 職場
- スマホ
などでできる限り「モノ/量」を減らしたことで起こった変化は、
「ムダなことを考えなくなる」
ということでした。
たぶん多くのミニマリストが提唱しているのでしょうけれど、
- モノの所在を考えなくていい
- 単純に見た目がスッキリする
- いちいち目に入らないので認知資源が割かれない
といったメリットがあります。
一方でモノ(やアプリ)が多い人は、それだけ目に入ってくる情報量がいつでも多く、ストレスにさらされています。
「モノを多く持つこと」を辞めたことで、単純に「幸せな日々」となりました。
モノを減らせない人は、いつでも、
と、決断力もなければ、来るかどうかもわからない未来を心配ばかりしています。
そして、その時が “たまたま” 来た時に笑、
とドヤ顔で行ってきます爆笑。
震災に備えるなら話は別ですが、それ以外で一年に一度しか必要ではないようなモノだったら不要ですし、本当に必要な時にまた買えばいいだけです。
モノを減らせない人は、こうした言い訳が多かったり、心配性であったりする傾向があります。(せいじ調べ)
そして、大して自分の人生について考えてもいません。
どうでしょうか。
みなさんの周りにも、そんな人はいませんか。
モノを減らすメリット
先述したように、モノの所有率を最低限の状態へとしようとすることは、いろんなメリットがあります。
まず第一に、ストレスがかかりません。
目に入ってくる情報も少ないので思考もスッキリしますし、「割くべき認知資源」も最低限で済みます。
かのスティーブ・ジョブズがそうだったように、「ムダなこと」に判断の力を使っていては、自分の人生を豊かになんてできませんからね。
僕はモノを減らすことで、
と考えることがほぼなくなりました。
そもそも、モノをたくさん持っていないからですね。
すると「変なところ」に時間を持っていかれることがなくなります。
と思うことは、ここ数年でほぼありませんでした。
「本当に大切なこと」に集中できますし、
- 教員をやっていた時も
- 個人事業として働き始めても
めちゃくちゃ集中してものごとに取り組めるようになりました。
人生自体も、シンプルなルーティンでカタチ作られるようになりましたしね。
また、他人のことが気にならなくもなりました。
いえ、そもそもミニマルに生きようとすること自体、他人の目を気にしている人にはできないものです。
果たして「鶏が先か卵が先か」は判然としませんが、ミニマルライフに向かうにつれ、
と思えるようになってきました。
他人や自分の体裁ばかりを気にしている人ほど、モノが多い印象です。
とかね。
別に否定しているわけではないですし、あくまで「偏見」です笑。(おい)
と、僕は思っているわけですね。(キレイごと)
けれどもこれらは半分本気であり、「シンプルな暮らし」をしている人は、あまり見栄を気にしている印象はありませんね。
僕なりの断捨離術
僕が教員時代から断捨離を始めたのは、確かに「度重なる引っ越し」も理由の1つではありましたが、
- 徹底的にムダを省きたくなった
- 必要だと思い込んでいた先入観をぶち壊したかった
という思いが強かったです。
学校はペーパー(資料)がとても多いのですが、会議が終わった瞬間に、
と、そのまま直接ゴミ箱にぶち込んでいました笑。
というメッセージでもありましたね。(ヤバいやつ)
それをマネした同僚たちは、
と感謝してくれました笑。
僕は「普段使わないのに使うかもしれない」という考え方が、いつの日からかキライになっていました。
なんだかなよなよしてる印象ですし、
と思っていたからです。(※誇張されています)
数ヶ月、あるいは1年も使ってないのに、そこに置いてある「モノ」に対して、その価値を奪っているようでイヤだったという気持ちもありました。
「どうせ見ない/使わない」という未来が描けたのならば、それを捨てることを先延ばしにしているだけであり、仕事でいうところの「タスク」が溜まっていくようなものです。
そうした判断を普段からできていなかった以前の僕は、あまり仕事が効率化できていませんでしたね。
また、学校の先生たちで議論していますと、そうした傾向のある人は、
と言って、慣習にとらわれていたり、何かと動きが遅い印象もありました。
ミニマリストになればイノベーティブになるとは言いませんが笑、身の回りがごちゃごちゃしている人は一事が万事で、仕事や思考においても判断が遅く、
と思ってしまうわけです。
時にじっくり考えることも必要ですから、「モノがないほうが正義」ではありません。
ただ、得てして「そうした傾向」はありますから、
と思っていた僕は、どんどん物理的に「モノ」をなくしていったというわけなのですね。
おわりに
何かの時のために備えていくことは大事ですが、それを極論で語ろうとすれば、
という結論になります。
人間は、そんなにモノがなくったって幸せに生きていけます。
どちらが偉いと議論するのではなくて、モノ(スマホのアプリも含める)が多い人は、ある程度そうした「デメリット」を被っていることを自覚する必要があります。
そういう人ほどモノを大切に使いませんし、どこかに置きっぱなしにしてぞんざいに扱います。
僕はモノが少ないですが、使い捨てのものでない限り、1つのものでも5〜10年単位で使います。
さぁ、モノを減らしましょう。
幸せに生きたいのならば。
それではまた!
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