こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、友人との会話で「自分軸を持つことの大切さ」について考え直しました。
日本では「協調性」という言葉の裏に「同調性」という考え方もあります。
「いかに周りに合わせるか」が重要視されることで、本来の自分を見失ってしまうというものです。
僕もそんな「同調性」に半分足を突っ込みつつ、
と思って日本を飛び出すことにしました。
海外に出れば、
- 海外にいる日本人も
- 日本以外の国の人々も
とても柔軟で、自分の意志を強く持っていました。
今日は改めて「自分軸を持つこと」について書いていきます。
海外の人々はなぜ軸を強く持っているのか?
以前にも、「自分軸」については記事を書きました。
僕は日本にいた頃から、ある程度人よりは軸を強く持っていられました。
しかし海外に出てみますと、さらに視野が広がり、いい意味で軸がブラされました笑。
海外で出会う日本人には、軸がしっかりしている人が非常に多かった印象がありました。
それは、
- 若い子でも
- 上の世代のバックパッカーでも
同じことでした。
ホステルで出会う外国の方々も、マインドセットが柔軟で、
とも感じました。
「海外に出ている人のほうが優位である」と言いたいわけではなくて、
- 海外を学ぼうとする姿勢
- 海外に出ようとする意気込み
- 実際に世界の空気を吸うこと
は、結果的にその人の「軸」をさらに強固なものにしているのだと感じたのです。
これには、いろんな考え方があると思います。
少なくとも海外で出会った旅人たちは、日本人を含めた誰しもが「人生を謳歌している」ことに間違いはありませんでした。
ただただ放浪しているように見えますが、僕はこれがとても大切なことだと実感しました。
やはり日本(あるいは各国)にいるだけですと、視野が広がることはありません。
海外に出れば、いろんな価値観や考え方、生き方に触れることができます。
すると自分の軸がガツンと揺らされ、人生について何度も考えるようになります。
今まで「強固な軸を持っている」と思っていた(自負していた)僕は、すぐに価値観を見直しました。
- 変わったこと
- 変わらないこと
どちらも見定めることができたこの旅。
小さな範囲から飛び出すことで、自分軸を一度ぶっ壊してもらうこと。
逆説的ですが、その殴打の中を生き抜くことで、自分の軸がしっかりするのかもしれません。
だからこそ海外に身を置いたり、周遊をしている人は、逆に自分の軸がしっかりしているのでしょうね。
揺らいだら軸がブレている証拠
海外でマインドを揺らしてもらうことも大切ですが、これは国内でもできます。
このように「叩いて」もらうことは、自分の軸(=自分の人生観)を見直すきっかけになります。
それで「ブレること」自体は、決して悪いことではありません。
僕らは神様ではありませんから、
と言われることがあったとしても、やはり思い悩み、進むべき道について悩むことがあります。
人は死ぬまで、自分の人生に意味を見出そうとする生き物です。
仮にその一生に意味なんてなくても、です。
でも僕は、このがむしゃらで不器用な生き方が嫌いではありません。
だってみんな、完璧ではないじゃないですか。
自分の軸は、揺らしてもらうことが大切です。
揺らしてもらい続け、自分の軸を確かなものにしていけばいいのです。
逆に言えば、
と相手の意見に耳を傾け、気持ちが揺らぐようなら、
- まだ視野が狭いか
- まだ経験が足りないか
- まだ考え方に何かが足りないか
など、「足りない何か」があるはずです。
それは決して悪いことではありません。
それをきっかけに、自分はどう考えるのか。
この「ブレ」を感じないまま生きていくなんて、仏様くらいしかできません笑。
でも自分で「これだ」という軸を固めるのは、ある意味簡単です。
自分で決めればいいだけのことですからね。
そこに行き着くまでのプロセスで、軸を強固なものにしていければ、それでいいのです。
常に自分で質問攻めにしてみる
僕が特に軸の確定のプロセスで大切にしていることは、「内省/内観」でした。
「自分の価値観」は、他人に突っ込んでもらったり叩いてもらったりすることも大切ですが、最終的に決めるのは自分だということを考えれば、「自分にとって何が大切か」を常に自分で問うプロセスが必要になってきます。
- 外的に叩いてもらうこと
- 自分の気持ちについて考えてみること
この両方の側面からアプローチをかけることが大切ですよね。
特に他人から「それってどうなの?」と指摘された後に、「自分はどう感じたのか?」を考え直し、言われたことを反芻(はんすう)することはとても大切なことです。
考えが揺らいだということは、「何かがブレた」証拠ですからね。
自分で落とし込むことが、最終的に必要なプロセスとなってきます。
もちろん、
と、自ら疑問をぶつけることも大切なことです。
僕がそのプロセスを頻繁に行なったのが、コロナ禍でした。
そして旅の最中でもある「今」も、外的に自分の価値観を叩かれつつ、海外の街中を歩いてはいろんなことを考えるようになりました。
自分の中でグルグルと同じ箇所を回ったり、同じことを繰り返し聞いていくプロセスは、
- 悩み
- ネガティブ
なものでなければ、僕はやってもいいことだと思っています。
別に深く考えなくても構いません。
- 素直に
- シンプルに
自分はどう感じ、どう反応するのか。
これを自分の中で何度も繰り返していると、自然と瞬時に答えが導き出せるようになってきます。
ただ、「それを完成させること」が目的ではありません。
僕が感じた通り、世の中にはまだまだ多様な考え方や価値観があり、自分の軸を壊してくれるような、そんな世界が広がっています。
どんなに経験を積んだ人でも全知全能ではありませんし、「非の打ちどころのない考え方」を持つことが目的ではありません。
いつまでも自分で考え続け、自分の人生の優先順位をつけていきましょう。
おわりに
自分の軸の強固さとは、自分のいる環境やステージによって変わってきます。
僕は海外に出たことで、また新たに「ガツン」という殴打を喰らいました笑。
しっかりしていたと思っていた軸も、こうして刷新されたわけですね。
だからこの旅はとてもいい経験になっています。
また自分でいろんなことを考えながら、歩いていこうと思います。
それではまた!
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