人生において胸が熱くなることをしなさい【豊かな時間の増やし方】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、鹿児島へ旅に行ってきたのですが、涙もろい僕は仲間と別れた直後に胸が熱くなり、堪え切れずに泣いてしまいました。

最近涙脆くて…

という人もいますが、僕は実は昔から涙脆く、よく「熱い男だ」と言われます笑。

人生についていろんなことを考えてきて、「何が豊かなことなのだろうか」とたくさん考えてもきましたが、やはり人との出会いは忘れられない時間となりますね。

今日は、なぜ僕が「涙を流すほど熱くなること」を大切にしているのかについて、書いていきます。

人と長く濃く過ごすほど、別れは辛いものだ。それでもその出会いは、自分の人生を熱くしてくれる、かけがえのない経験だ。

胸を熱くすることを探そう

僕にとって胸が熱くなることは、人との出会いと別れです。

  • 学生時代の卒業式
  • サークルの卒業公演
  • 英語合宿の終わり
  • 職場を異動する時

と、やはり熱くなる時というのは「何かの終わり」であることが多いです。

また、生徒たちの文化祭の終わりで円になってスピーチした時や、引退公演の時、そしてもちろん卒業式も泣きました。

泣くという行為がなぜ起こるのか。

それは、熱い気持ちがこみ上げてくるからです。

熱い気持ちや熱い思いがこみ上げてくるというシチュエーションは、1人では実現することができません。

多くの人が関わる中で、自分が与えたり/与えられたりすること。

これナシには、感動的な空気は生まれません。

  • 自分の足りなさ
  • 生徒たちの頑張り
  • 仲間とともに過ごした時間

様々なプロセスと長い時間をかけて、その思いは醸成されていき、熱い思いは目頭に伝わっていきます。

  • 涙を流すこと
  • 胸を熱くすること

は、僕の人生にとってとても大切な経験です。

それは、今を生きていると感じることができるからです。

そして何より、後輩や先輩、仲間や生徒に対してそのような「熱い想い」を持てている自分がいることに、感動するのです。

この人たちと出会えてよかった

その想いは、ちょっとやそっとでは生み出されることはありません。

長い年月をかけて、作り上げられていくものです。

そこには努力や人柄、自分の熱い想いも必要です。

全てが噛み合った時に、熱い想いは大きな塊となって自分に返ってきます。

自分が生み出したプロセスによって、結果的に感動する。

熱い想いをもっているからこそ、感動することができるのです。

熱くなれる経験は、人との出会いや別れに多い。ただ、感動までに至るプロセスは、自分で作り上げていくものだ。

自分が熱くなることの大切さ

僕はよく「熱い男だ」と言われますが、

「熱くなることが大切だと思っているから、熱くなっている」

というわけではありません。

また「熱いこと」は、必ずしも正しいというわけでもありません。

しかし一方で、僕は誰しもが熱くなれるとも思っています。

スラムダンクで言うところの「流川楓」のように、心の奥底に熱い想いを持っている人はたくさんいますし、それを涙や気持ちとして表現する必要はありません。

それはどんな形でもよく、

  • 結果で見せる人
  • 真剣な表情で打ち込む人

など、いろんな形があると思っています。

ただ、僕は人生でできる限り感動する経験を積んでいきたいと思っています。

そのために自分自身が熱い思いを持っておかないと、感動できないと思っています。

映画や舞台、漫画や音楽を聴いて感動することだってあるんじゃない?

実はそれも、自分の中に「何かしらの熱い思い」があるからこそ波長が合い、感動するのです。

だから僕は、感動することという現象は、単に感情が揺さぶられている受動的なものとは思っていません。

もっと能動的なもので、主体的に人生を良くしようと思う人が感動できるのだと思っています。

僕が今でも胸が熱くなることがあるのは、

人生をできる限り豊かにして生きていきたい

という「強い想い」があるからなのかもしれません。

しかしその想いが1つあるだけで、多くのことに対して反応することができるようになります。

するとその熱は周りの人にも伝播し、やがてめぐりめぐって自分へと返ってきます。

その形の1つとして、

  • 胸アツ
  • 涙腺崩壊

となるわけですね。

主体的であり続ければ、人生は感動の連続で豊かになっていきます。

豊かな人生を送るにはどうしたらいいのか。

そう考えてみることも悪くありませんよね。

感動するのは、感受性が豊かだとか心が揺さぶられただとかだけではない。実は自身の主体的な気持ちがあるかどうかも大切だ。人生を豊かにしようとすればするほど、感動の度合いも大きくなっていく。

胸が熱くなることは、再びエネルギーとなる。

「感動すること」は、のちに自分の人生の糧(かて)となります。

簡単に言うと「思い出」ですが、もうちょっと上位のもののような気がします。

またあの感動を味わいたい

人生でそのように思えることは、果たして何度もあることでしょうか。

社会人になり、嫌な仕事や生産性のない仕事をして、そのまま人生を終えることは、僕にはできません。

もちろん、人生の航路は人それぞれでいいと思いますし、正解はありません。

でも、感動する機会が多ければ多いほど、その経験はふとした瞬間に思い返されます。

だから僕は、できる限り感動する人生にしていきたい。

それがまた僕の活力となり、人生を豊かに彩ってくれるからです。

自らエネルギーがみなぎってこないのであれば、周りの人からもらうことがあってもいいと思います。

最終的に自分の内側から、あるいは心の奥底から湧いてくるような、そんな力強くて持続可能な「熱い想い」を、少しでも燃やすこと。

それはエネルギーを消費するように見えて、自ずと循環していくものです。

小さくても構いませんので、自ら熱くなれることを探していきましょう。

その小さな灯火が、少しずつ大きな炎となって他人に飛び火し、いずれずっと燃え続ける「輝き」となるはずですから。

小さくても構わない。自ら火を起こそう。その熱い思いは巡り巡って、自分の火を大きく燃やしてくれるはずだ。

おわりに

人との出会いは、社会人になってからこそ本領を発揮します。

熱い想いを持たずに生き続けることは、以前の僕のような「死んでるような生き方」だと思います。

生き方に正解はないとずっとお伝えしてはいますが、多くの人はもっと感動できるような、豊かな人生を送りたいと思っているはずです。

そのそのためには自らが熱くなることです。

僕はそう信じています。

人とたくさん出会い、自分も熱くありましょう。

それではまた!

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