僕がモノを買わなくなってしまった理由【認知資源を大事な”モノ”へ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

今アメリカでは、「No Buy Challenge」と言って、モノを買わない運動が注目を集めています。

僕自身も公務員を辞めて世界一周をしてからというもの、新しく買ったものといえば、一人暮らしを始めて必要だった、

  • 電子レンジ
  • 湯沸かしポット
  • 机と椅子のセット

などの家具や家電くらいでした。

他にも細々したものは買っていますが、普段は図書館やレストラン、カフェを使っていますので、あまりお金はかかっていません。

今日は改めて、僕が「モノを買わない理由」について書いていきます。

コマーシャルも見なくなったし、人を羨(うらや)むこともなくなった。最低限の暮らしでも十分幸せであり、大事なものに注意を向けられるようになったのだ。

テレビを見なくなった

大きいポイントの一つとして、テレビを見なくなったことがあげられます。

全然楽しくなくなってしまいましたし、いろんな「ウソ」や偏向報道が明らかになって、すでに若者たちのほとんどはテレビを見ていません。

一方で、YouTubeやSNSなどにもウソは転がっていますから、気をつけなければなりませんけどね。

いずれにせよ、

購買意欲も何も、何がトレンドかさえもよくわからないし、お店にも行かない

といった状態です笑。

そんなことにお金を使うくらいなら、人との時間や食など、自分にとって大事なことにお金を使っていきたいのです。

もちろん、モノを買うことそれ自体を否定しているわけではありません。

各々の価値観に任せればいいと思います。

ただ、僕にとってはもう何のCMをやっているのかもわかりませんし、

それを買って本当に幸せになるの?

という境地まで来てしまいました笑。

昔はテレビしかなかったこともあって、「購買意欲」が今より格段にありましたが、

  • 引っ越し
  • バックパッカー

を経て、いよいよモノが要らなくなりましたね。

仮に周りの人が見せびらかしても、テレビやYouTubeで「こんなにいいものがある!」と言われても、僕にはささらないでしょう。

一種のビジネス戦略に乗せられていた時代とは、もう違うのですね。

テレビを見なくなり、モノを買わなくなった。仮にどんなCMをやられても、たぶんモノは買わないだろう。

モノを増やしても幸せにはなれない

大学生の頃は、オシャレの一環として「」を買っていました。

今は歳も歳ですから、服なんて擦り減って着れなく(履けなく)なった時くらいに必要なだけであって、オシャレとしての購入目的は「0」となりました。

服なんて数年に一度、買えばいい

くらいだと思っています。

大人になって気づいたことは、

モノを持っていても、必ず幸せになるとは限らない

という、ある意味の「真理」でした。

  • 人に見せびらかすわけでもなく
  • 自分の生活が豊かになるわけでもない

僕が家族を持っていましたら、ドラム式の洗濯機や冷蔵庫、お掃除ロボットなどの家電を買うかもしれませんが、何か特別な嗜好品を買うことはないと思っています。

あるいは自宅での作業用の椅子なども購入しようかなとは思っていますが、今のところ購入の予定はありません。

車や家を買う時代は終わりを迎え、

どういう風なバランスで生きていくことが、豊かなことなのだろうか?

を考える人がだいぶ増えてきました。

当然、必要なものは人それぞれですから、僕の意見が正義だとは言いません。

ただ、僕がこれから何か「新しいもの」を購入することになったとしても、

本当にそれが、僕の生活を幸せに、豊かにしてくれるのか?

を、かなり細(こま)かく問うと思います笑。

「あっても邪魔なだけ」なのは元々たくさんあり、繰り返す引っ越しによってモノを買うことが面倒となった僕は、トドメの世界一周旅行で、

もう要るものなんてないわ

と思ってしまいました。

「最低限の生活」という意味では、生活必需品を買う程度であって、他は投資や学習にお金をかけたいと思っているくらいです。

あるいは人との交際費や移動費、サウナやカフェくらいですかね。(かなり頻度は減りましたが)

モノを持っていたら幸せ

という価値観が古くなっただけでなく、

それが本当に自分を幸せにするのか?

と問う人も増えてきました。

今では、モノを持っていても幸せにはなれません。

いえ、実は昔からそうだったのです。

  1. 人と比べなければ
  2. 自分の人生に集中していれば

要るものなんて、ほとんどないからですね。

家族を持たれている方や、在宅勤務の環境を良くしようとしている人が、

何か豊かにしてくれるものはないか?

と思っているくらいなのではないでしょうかね。

実は昔から、モノが人生を豊かにしてくれているわけではなかった。最低限のものだけでも、十分人生は幸せなのだ。

ムダなものへの認知資源をなくそう

モノがなくなりますと、そこに対する「注意資源/認知資源」を割かなくなります。

単純に言ったら、

あれ?あれはどこだっけ?

がなくなるというものです。

僕の部屋なんて、大事なものは引っ越してきた時の段ボール『一箱』に全て入っていますから、探す必要なんてありません笑。

それにそもそも、それ自体を見ることも年間ではほとんどありません。

重要な書類などがあるのでただ捨てられていないだけであって、最低限のものしかないと言ってもいいでしょう。

モノを最低限にしておきますと、そこに対する「ムダな注意」を払わなくてよくなります。

人間はいつでも、無数の選択肢の中で生きています。

僕はあまりモノを持たなくなってから、モノへの執着がなくなったことに加えて、そこに対する「注意」もなくなっていきました。

だってそもそも「ない」のですからね笑。

これは、かのスティーブ・ジョブズが言っていたことであり、モノが溢れる現代においてはとても大事な考え方だと思っています。

別に「買えないから」ではなくて、

買ったって認知資源が割かれて、むしろ不幸になるから

買わない」のです笑。

自分が本当に大事にしたいこととは何なのか。

  • 名声なのか見栄なのか
  • 人からどう見られているかという他者からの評価なのか

でももうそれらが必要だった時代は、とっくに終わりをむかえています。

そうした「目に見えないモノ」への執着からも切り離された僕は、もはや「無敵」です笑。

ある意味、僕はずっと「モノへの呪縛」にかかっていたのだと思います。

モノがないと不幸なのだ
モノを買えている人ほど、立派に見られているのだ

と。

もう誰もそんなこと、気にしちゃいません笑。

そこから解き放たれた際に、先ほどから書いている “本当に大事なこと” に集中できることができます。

僕は今、旅行をしている際にもパソコンを持って行っては、仕事をしています。

それは別に、ワーカーホリック(仕事中毒)だからとかではなくて、ずっと教育をしていたいからです。

目の前の、

  • 生徒
  • 家族
  • 友人
モノを捨てたことでこれらに目が向くようになった

と言っても、僕は全然過言ではないと思っています。

今は大切なところに資源を割いて、大事な時間を過ごすようにしています。

モノを持たなくなると、そこに付随していたムダなことへの認知資源が割かれなくなる。そうするとより幸せな人生を過ごせるようになるのだ。

おわりに

モノを持たなくなってから、もはや、

それ、買う意味ないっしょ?

と、「ムダなモノが溢れ返っている世の中」であるという事実に気づけるようになりました。

もちろん、生活を豊かにしてくれるモノもありますから、それは個人で判断して買っていったらいいです。

しかし、

  • 買うことでただ邪魔になるのであれば
  • 見栄やその時の衝動的な欲を満たすだけのものであれば

買わない方が吉でしょうね。

みなさんの生活はシンプルですか。

それではまた!

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