こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、兄にボストンまで連れて行ってもらった際に、姪っ子の学校の駐車場で「音楽を聞きながら誘導している」職員を発見しました。
実際、彼は「ちゃんと」仕事をしていました。
ただ、もし日本の文化背景の中での仕事でしたら、
と言われていたに違いなかったでしょう。
兄とそんな話題に花を咲かせながら、日本の教師についても話をしました。
元教師として、僕なりの「日本の教育の変わり方」について書いていきます。
諸悪の根源である部活が変わる時代
「働き方」については散々書いてきましたが、改めて書いていきますね。
何度も申し上げていますが、部活動とは、
ということを、忘れてはいけません。
教師の中には本当に勘違いしている人がいまして、
という、「本末転倒野郎」が多数存在します笑。
こういう教師が絶えないからこそ、部活という「悪」が存在し続けてしまいます。
現在では、少しずつ「外部委託」することが決まりつつあるのですが、「なぜか反発する人」がいるのは不思議でなりません。
体育教師なら百歩譲って「良し」としたとしても、僕のような「英語教師」は英語の授業に集中しなければならないのは当然のことです。
それができていない先生がいるのにも関わらず、
と言うものですから、自分で自分を追い込んでいるとしか思えません笑。
本当はダメなのです。
部活動顧問をやるために、僕らは先生になったわけではないということを知っておかなければなりません。(僕は退職しましたが)
少しずつ働き方が変わりつつある時代に突入してきました。
次章でも書きますが、
と言っているわけではありません。
どちらかといえば、
というほうが合っているかもしれませんね笑。
駐車場で音楽を聴きながら誘導していた彼のように、
「やることはきちんとやり、やらなくていいことはやらない」
と線引きすることは、今の日本(の教員たち)にとって、大切な考え方なのかもしれませんね。
一方で学校は効率が全てではない
とはいえ僕は、「部活動に絶対反対」というポジションを取っているわけではありません。
何回か記事にしたこともありますが、「ダンス部顧問」という光栄なポジションに就かせてもらったことで、たくさん青春を味わうことができたからです。
- 体育祭
- 文化祭
- 卒業式
など、集団だからこそ味わえる青春もありますし、社会の一員としての準備期間として、学校で10代を過ごすことは、別に全否定されることでもありません。
また部活動は、チームの団結力を学べますし、汗と涙の青春の場所でもありますよね。
つまり「学校の働き方を(極端に)最適化」するという考え方は、このような「学校でしかできないこと」を否定して、極論である「学校は要らない」という意見を主張していくことになってしまいます。
部活もイベントも要らないのであれば、予備校のように授業だけしていればいいので、適当にオンラインでもいいでしょうし、民間の教育サービスで事足りるということも意味しています。
僕はそれもまた1つの答えだと思っていますが、「学校だからこそ学べること」もありますから、
という考え方をしているわけではありません。(たまになくてもいいんじゃないかと思いますが笑)
「いいとこ取り」はできないでしょうが、ムダな業務を省いて良い職場環境を作っていくことはいいことです。
大切なことは、「本分を忘れないこと」です。
部活動を「なくす/なくさない」の前に、
- 先生の
- 生徒の
本分を忘れないこと。
生徒の力を伸ばしたり創造性を引き出したりと、本来、先生と生徒は学業を通じて相互作用すべき関係にあるはずなのです。
それが部活でもいいのかもしれませんが、明らかに本分ではありませんよね。
というのであれば、勉強よりもスクールやジュニアのチームに入るべきです。
部活ではなく。
そうやって「適切な判断をしていく」ことが、今後の教員の業務には必要なんでしょうね。
僕なりのオプションを作る
兄から出た言葉に驚いたと同時に、
という事実に悲しくなりました。
- 人の目を気にして
- 出る杭を打っては
- 画一化を図ろうとする
この文化に、どれだけの若者たちが犠牲になってきた(いる)ことでしょうか。
僕ら大人たちにその責任があると言っても、過言ではないでしょう。
それが僕の「夢の果て」でした。
まだ具体化はしていませんが、いわゆる「教育うんぬん」という内容よりも、
を、今は強く考えています。
僕自身が公務員として、思うように動けなかった経験があったからです。
それが意味することは、先ほどの「音楽を聴きながら駐車場の誘導をしている職員」のように、欧米諸国での「緩い働き方」を目指すことに近いです。
いえ、決して「適当にやればいい」ということではありません。
先述した通り、
そんな学校(働ける場所)を作っていきたいのです。
日本には、そうした「気を休められる場所」がないと感じてしまうのですね。
「もっと寛容で人に優しい」場所を作っていくこと。
少し話が飛躍するかもしれませんが、そういう環境があれば、
- 失敗を恐れないようになり
- 自分らしさを出せるようになり
- 気を張らずに仕事に集中できるようなり…
と、自由度が高く「クリエイティブな仕事」ができるようになると思っています。
そんな場所を提供していくこと。
それこそが僕の夢の果てであり、僕自身も働き方や考え方をリサーチしては、視野を広げていかなければなりません。
楽しみすぎる将来の働き方。
- 学校
- 教育
について局所的に意見を言うことも好きですが、もっと「働き方」という全体に対して投げかけていけるよう、僕自身も、
を明確にしていかなければなりませんね。
おわりに
変わるべき教員のあり方。
話を飛躍させているつもりはありませんが、
- 楽しく
- 自由に
- 生き生きと
働ける場所もまた必要なのは事実です。
これからの日本がもっと寛容になり、一所懸命働ける環境ができることを願いましょう。
いえ、願うだけではなく実現させていきましょうね。
それではまた!
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