こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
日本にいますと、どうしてもうまく行かないことがあります。
それが「集団行動」です。
今の日本の社会に対しても感じることはありますが、職場だと顕著にそう思います。
会議が終わったというのに、なかなか出て行こうとしない人々…
僕はいつもそう思ってしまいます笑。
「終わり」と言ったのだから、
- ムダな話なんかしてないで
- あるいは周りの目なんか気にしないで
さっさと会議室から出ればいいのに。
そんな悶々とする日本社会の慣習…
今日は、僕が「ファーストペンギン」になる理由について語っていきます。
それぞれのペースがあるということ
駅を歩いていますと、
- それぞれの歩幅
- それぞれの歩くペース
があることに気づきます。
別に「どれを否定する」わけでもないです。
- ゆっくりの人もいれば
- 早足でガンガン進んでいく人も
いますからね。
と思うだけです。
大切なことは、
「自分には自分のペースがある」
ということです。
そこで気になるのが、
「周りのみんなの顔色をうかがって、なかなか動こうとしない人たち」
です。
一種の「同調」と言ってもいいのかもしれません。
ただ、僕には僕のペースがあるというのも、譲れない事実です。
それならいちいち、
- ゆっくりにしたり
- わざわざ速くしたり
する必要なんてない。
そう思ったのです。
会議が終わると同時に、
とそそくさと部屋を出ていくのは、僕の得意分野となりました笑。
誰かから何か言われてもダメージを受けない(気にしない)僕が、ちゃっちゃと出てしまえばいい。
と。
と思いつつ、単純にさっさと自分の仕事に取りかかりたいというだけなのですが笑。
だってそうでしょう?
やるべき仕事はいくらでもあるのですから。
なんと言いますか、「空気の読み過ぎ」みたいな感覚が、僕はキラいなのです。(よく公務員ができたものですが笑)
しかし「僕が最初に動くこと」で、周りの人も一気に部屋から出ていきます。
各々のペースがあるのだから、出たければ出たらいい。
人に合わせようとするとストレスが溜まりますし、自由を奪われた感覚になってしまいますよね。
もちろん、
という人は、無理をする必要はありません。
僕みたいに「何を言われても動じない人」がやればいいのです。
だから僕が動くのです。
僕はファーストペンギンになる
「ファーストペンギン」とは、一番最初に動く「勇気ある人」のことです。
もちろん、そんな「超ポジティブな意味」で使っているわけではありません笑。
単純に、そうした「集団心理」にとらわれることがキライなだけなのです。
- お前空気読めよ
- みんながやってんだから
みたいな言動は、「クソ食らえ」だと思っています。
この点においては、日本の「唯一キライな点」と言ってもいいのかもしれません。
今は時代が変わりつつあり、個人が好きなように生きているように感じもしますが、職場を見る限りですと、
と感じる場面は多いです。
先述した「会議が終わった後」のような場面は、特にそう感じてしまいます。
みんな動かないんだなぁと。
僕は何を言われてもあまり気にしませんので、できる限り「自分のペース」を守るように心がけています。
果たしてそうでしょうか。
僕は「自分次第」だと思っています。
別に僕だって、
- 会議中に「帰ります」と言ったり
- 人としてモラルを欠いた行動をしたり
したいわけではありません。
- 定時になったら帰っていいし
- 会議が終わったら出て行っていい
そんな当たり前のことが、周りの空気で決まってしまうのがとにかくイヤなのです。
だったら、僕がさっさと動いて空気を作ってしまえばいい。
それが僕なりの「ファーストペンギンになること」なのです。
- リスクを取るとか
- あえて誰よりも冒険するとか
そういった意味合いとは異なりますが、僕が率先して「同調圧力という空気」を壊していきたい。
その気持ちが、行動に強く表れているのです。
自分の頭で考えて動いていかないと、
- いずれは思考停止になったり
- 人に合わせる人生になったり
してしまう。
僕としては「それだけは避けたい」と思っています。
周りを動かす「先導者」になりたいわけではありませんが、「まずは自分が動く」という感覚は、昔からずっと大切にしてきた信条なのです。
思考停止状態にならない
「同調圧力」という言葉は、非常に強い印象を受けるため、僕自身もその言葉を否定的に捉えたり、
と発言することは、極力避けるようにしています。(そもそもその言葉自体がキライですので)
実のところはそうでない面もありますし、
- 違った考え方を持っていたり
- 自分の感覚を頼りにしたりして
わざと「周りに合わせている人」もいるからです。
ただ、人間とは「社会的な動物」ですから、集団の行動や意志決定を大切にしますよね。
あまりにも身勝手な行動は、周りの足を引っ張ったり、時に大きな損失を招く時もあるからです。
しかし今までの「教育」や「慣習」があるがゆえに、本当の意味で自由に動けていない人がたくさんいることもまた、僕は知っています。
自分自身も他人の顔色をうかがっていた人間だったため、その気持ちはある程度わかっているほうだと思います。
だからこそ、
と、自分に言い聞かせています。
いつまでも「周りに合わせる自分」に嫌気が差したのです。
一番イヤなのは、世俗のそうした圧力や空気、それ自体ではありません。
それに屈している自分なのです。
だったら、いっそのこと動いてみる。
周りのペースに飲み込まれていたら、本当の自分のペースを見失ってしまうからです。
多くのが「実際は合わせたくもないペース」に巻き込まれ、自分を見失っています。
すると、
- 本来の自分を隠すようになり
- それが当たり前だと言い聞かすようになり
- 結果的に無意識に人のペースに合わせる人生となる
のです。
以前の僕もそうでした。
だから、
と気づいた瞬間に、動いてしまうこと。
少しでも顔色をうかがったら、それは「空気を読んでいる」のではなく、自分で判断することができなくなった、「思考停止の状態」なのです。
聞こえの良いような、
- 空気を読んでいる
- みんなと合わせている
という表現を使うのはやめにしましょう。
そうやって「見失った自分」をごまかさずに、
という自分のペースで、行動してみてください。
誰よりも速く、先に動くのです。
おわりに
集団のペースに合わせることは、一種の安心を得ようとする試みなのです。
そして、「誰かに何かを言われること」を必死で避ける。
僕は、こっちの生き方のほうが「ダサい」と思うようになりました。
自分の頭で考えて、自分の体を即座に動かすこと。
こうするようになってから、いかに職場や世間のスピードが遅いかがわかるようになってきました。
「足並みを揃える」という表現は、確かに聞こえが良いかもしれません。
しかしそんな遅い集団に入り浸っていては、いつまで経っても前に進むことはできないのです。
違和感を覚えたら、すぐに行動に移すこと。
そして自分のペースを掴んで、行動していきましょうね。
それではまた!
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