僕がどうしても教育者を辞められない理由【いつでも未来に賭けている】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、いつも通りオンラインで授業を教えようと思って待っていますと、ポッと生徒が入ってきました。

履歴に「2回目」と書いてありましたが、

はて?誰だったかな?

と思って話していますと、

先生は私のこと覚えていますか?

と、可愛らしい彼女は言ってきました。

1〜2ヶ月前に、先生に英検1級のことを教わったんですよ

と。

そうだったそうだったと思って話をしてみれば、

あのあと、1級に合格したんです!それを伝えたくて

と、最高の報告をいただくことができました。

今日は「僕が教育者を辞められない理由」について書いていきます。

生徒から感謝されたらもう、僕は教えることを辞めることはできないのだ。

感謝を伝えられたら…

彼女からは、

感謝の気持ちを伝えたくて、また授業を取ったんです

と言われて、とても胸が暖かくなったことを覚えています。

僕は以前にも、「教員を辞められない理由」について書いたことがありました。

誰かに感謝してもらいたくて先生をやっていたわけではありませんが、いつも生徒さんたちから「ありがとう」と言われることが多かったものです。

生徒のみなさんは、

教えてくれてありがとう

と言ってくださいます。

保護者のみなさんも、僕の生徒たちへの取り組みを見ることで、

ありがとうございました。お世話になりました

と言ってくださいます。

先生を始めたての時は、この「感謝されること」がクセになっていたものですが、今となっては「感謝されること」は二の次、三の次のこととなりました。

別に感謝されることが当たり前だと思っているわけでもありませんし、

あぁ感謝とか、そういうのはいいよいいよ

と、その人の気持ちを無下にしたいわけでもありません。

意識の中に「感謝される/されたい」という感覚が、あまりないのです。

一昨年の2022年から、この感覚が醸成されるようになっていました。

今回も、むしろ「おめでとう!」と言う気持ちが強くて、僕が感謝されていると言う事実は「どこ吹く風」となっていました。

それでも、こうして口に出して言ってもらえると嬉しいものです。

これだから誰かに何かを教えることって、やめられないんだよなぁ

そう思ってしまうのですよね。

感謝されたくて教えているわけではないけれど、やはり感謝されると「教えていてよかったな」と思うのだ。

それでも僕は何もしていない

僕は「先生」として19歳の大学生の頃から34歳の現在まで、人に何かを教えてきました。

先述したように、若かりし頃は、

感謝されて当然
俺が教えてあげている

という気持ちがあったことは否めませんでした。

しかし「教育」という現場で10年以上も教えていますと、

僕は間違っていたのだな

と思うようになりました。

僕ら先生たちにできることなんて、実際はほとんど何もないと感じたからです。

今回も、

彼女自身の努力だ

と思いましたし、僕は本当に何もしていないと感じました。

悪く聞こえたら申し訳ないのですが、僕は教えたことも忘れていましたし、

その時その時に全力で教えて、それが生徒のための何かの糧になればいい

と思って、いつも教えています。

だから感謝されますと、びっくりすると言いますか、

いや、別に僕は何もしていないよ笑

と思うのです。

「感謝されること」それ自体は嬉しい一方で、もうそれを目的とはしていません。

何より生徒たちの手助けとなればそれでよくて、僕はそこに「喜び」を覚えています。

人生の中で、本当にいろんな生徒を受け持ってきましたが、どの生徒も、

自分自身をなんとか変えたい

と思っていて、その姿が何よりも尊く輝いていて、僕自身の生きる活力となっていました。

僕は彼ら自身のエネルギーに応えてきただけであり、そもそも生徒さんに少しでもエネルギーがなければ、僕にできることは「もっと何もない」と思っています。

逆に言えば、

少しでも何かを頑張りたい

という炎が目に宿っていれば、僕は先生として全力で教えるのです。

僕はいつまでも「教育者」ではありますが、どこまで行っても主役は生徒たちであって、彼らのエネルギーを信じられない限り、僕も先生を続けていくことは不可能でしょう。

先生、ありがとう!

とんでもない。

僕には有り難すぎる言葉なのです。

先生はあくまで生徒たちのエネルギーを必要としている。そこにサポートを入れているだけだから、本来は彼ら自身の力なのだ。

未来に賭け未来に繋げてゆくこと

今僕が必死になってやっていることは、

  1. 自分自身が成長すること
  2. 自分の経験を生徒さんたちに伝えてゆくこと

の2つです。

あまりにもざっくりしていますが、

まず僕自身が説得力のある人間になること

この要素が必要でした。

それが回り回って僕の信頼にも繋がり、僕自身の経験談として生徒さんたちにお伝えできるからです。

生徒さんたちの何かのきっかけになれるような、そんな人間でありたい

この考え方こそが、僕が先生である所以(ゆえん)なのかもしれませんね。

自分がしている(してきた)経験は、常に「誰かに教えるため」に培(つちか)っているものです。

僕がどうして「教えること」を何年も続けているのかは、僕自身にもよくわかっていないのですが笑、僕は「褒められて生きてきた」人間だったということが、大きな理由なのかもしれません。

それは僕が一所懸命努力したからだ

と言いたいところですが笑、僕を褒めてくれる人がいたということもまた、僕に良い影響を与えていました。

褒められてイヤな気持ちがする人はいませんからね。

その経験から、

  1. 生徒さんたちの熱量に応え
  2. 彼らが自己実現を成し遂げていくこと

に全力を尽くすようになりました。

一所懸命やっていることを褒めてもらえれば、僕のように「先生」にならなくても、彼らは未来できっと「良い循環」を回すような、素晴らしい人材となっていくからです。

彼らの未来に賭けているからこそ、僕は彼らの熱に応えるようになり、できたことを褒めるようになりました。

よく褒めることがあるものですから、

せいじ先生は適当に褒めてるんでしょ?

と思われてしまうかもしれませんが、僕が「イイ!」と思って褒めているのですから、素直に受け取って欲しいものですね笑。

先日も「ありがとう」と言われて素直に嬉しかったのですが、僕は生徒たちに賭けているだけなのです。

僕の期待に応えてくれるのですから、さすがとしか言いようがありませんね。

未来に賭けるなら、僕は「教育者」一択です。

毎日、彼らに投資をしていくのです。

教育者を辞められないのは、ずっと未来に賭けているからだ。生徒たちが創る未来を信じているからだ。

おわりに

僕は「教育者」として半生近くを捧げてきましたが、いつからか「感謝が欲しいから」という気持ちはなくなっていました。

生徒さんたちに何かを教えた後に、こうして感謝されることは教師冥利に尽きるというものですが、いつまで経っても「それ自体が目的となる」ことはないでしょう。

  • 尊敬されたくて
  • 感謝されたくて

先生をやっていた時代は、まだまだアマチュアでした。

純粋に教えることが好きであり、生徒の成長が何よりも僕の活力なのです。

そこに気づけたあとのほうが、本当の意味で「教育」を好きになれましたね。

「ありがとう」だなんて、とんでもない。

先生のほうこそ、頑張ってくれてありがとうだよ

と伝えたいですね。

これじゃあ僕は一生教育者だなぁ笑。

ま、そんな人生もいいでしょう。

それではまた!

コメント

  1. ゆら より:

    感謝されたいと今思っていないとは本当ですか?

    そんなこと思って本当に教師が務まるのでしょうか?

    何かこの記事は矛盾が多々見られます。

    生徒の未来に賭けているなら、何もしていないというのはおかしくないですか?放任しているんですか?生徒の未来のために動くのが教育者でしょう。

    教育者なら、生徒の未来のためにこれをやったという自信がなくてはならないのではないですか?

    どうしても教育者を辞められない理由というタイトルからも、辞めたいと思ったことがあるということですね?それでも辞められないということですね?

    頑張ってくれた?先生のために頑張って何になるんですか?将来。

    批判ではありません。せいじさんが、心配なのです。

    • せいじ より:

      ご心配ありがとうございます✨
      生徒の未来に賭けていますから、僕は今でも英語を教えていますよ😊🎵
      教員時代もダンス部のために根回しをして初めてダンス講演を成功させたりもしましたので、その記事もぜひ読んでみてください🙌
      辞められないくらい、教育が好きということですよ😆
      彼らは先生のために頑張ってくれたわけではなく、彼ら自身のために頑張っています。
      その姿を見て、感動するのです。

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