こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
いつも通り土日はどこかしらへ出かけております。
この前先輩からチケットを頂いたため、本日は乃木坂にある国立新美術館の日展(日本美術展覧会)に行って参りました。国立新美術館は2度目の訪問となります。
ここでは「日本各地の凄ウデの人たち」の美術作品を見ることができましたが、いつも見る美術作品ほどゆっくりは見ませんでした。
それは、いつも見ている画家たちの作品とは何か違った作品が多かったからです。
それでは「その違い」についてお伝えしていこうと思います。
本当に上手い人は「隙」がない
僕は特に美術に詳しいわけでもなければ、目利きの美術鑑定士でもありません。
それでも絵を描くことも観ることも好きですし、美術館をめぐり始めて1年くらい経ちましたので、「観る目」がほんの少しですが強くなってきたのかなと思います。(気のせい)
今日も日展を回っていますと、様々なレベルの作品がありました。
結論から言いますと、サーっと流れるように見てしまいました。(所要時間は2時間半)
- まず作品数がバカにならないくらい多いこと
- 「見応え」のある作品が数点しかなかったこと
が理由です。
誤解のないように言いますが、「一般の作品は見る価値がない」というつもりはありません。
僕みたいな素人でも「うーん。なるほどね」と思いましたので、それらを飛ばしてしまっただけです。
とはいえ著名な人の作品でさえも、
「ふむふむ。なるほど…全くわからん」
となることばかりですけれどね笑。
そんな中「やっぱり名が知れ渡っている人の作品はすごいのだな」と、改めて思った理由があります。
それは彼らの作品には「隙がない」という点です。
僕は美術作品を「結構な近さ」で見ることが多いです。
近くで見た後は遠くから見たりもしつつ、鑑賞を楽しみます。
すると「いわゆる有名」な方の作品は、まるで迷いがなく、どこかで手を抜いているような形跡が見て取れないのです。
素人なりの感覚ですけれど。
「一般の方の作品が手抜きだ」という意味ではありません。
素晴らしいと言われている作品は、いくら近くで見ても、
「あれ?おかしいな…完成度が明らかに他の作品と違う」
と思ってしまうのです。
無駄に重ね塗りをしてはいないだろうし、修正点も見受けられない。
「最初からこれを描こうと思って出来上がった作品なのではないか?」
と疑うほどでした。
さらに有名画家の作品は、画全体のバランスが非常に優れていると感じました。
もちろんわざとバランスを崩している作品もありますが、「なぜこんなにもキレイにバランスがとれているのだ?」と思う作品ばかりです。
違和感がないんですよね。
特に人物画だと目の位置や体の部位のバランスなど、素人が見ても「アンバランスになってるな」と感じる作品が、一般の方々の作品には多くあります。
しかし著名な作品には、その「悪い意味でのアンバランス」がないんですよね。
だからこそ、一目見るだけでも「うわぁ…すごい…」と思うことが多いのかもしれません。
今回の日展でも「すごい!」と思う作品がいくつかありました。
当たり前ですが僕には到底描けませんので、「作品を出した」時点でみなさん相当な美術通であり芸術家なんですけどね。
一般の方々でも、「何か違うぞ」と感じさせる作品があったのはなぜでしょうか。
少し掘り下げていこうと思います。
重ねてきた時間の重みが違う
僕が美術館を回り始めた去年の今頃、そごう美術館を訪れたことがありました。
そこでみた吉村芳夫の作品群に圧倒されたことを、今でも覚えています。
彼は自画像を毎日新聞紙に書いており、「異常」ととれるほど絵に対するこだわりがあったことに驚愕しました。
人生全てを、絵にかけているのだと。
ゴッホやピカソも、抽象画に行き着くまでに描いてきた画のレベルは段違いにうまいものでして、「あぁ、やっぱり画家って変態なんだな」って思いました笑。
また現在活躍する「若手」の部類に入るアーティストの方々も、肩書きっぽくなってしまいますが美術大学を卒業している方がほとんどです。
「美術/芸術」にステータスを全振りして来ないと、ここまでの完成度や深みが出ないのだなと感じました。
どんなに若手の人たちでも、異常なほどの作品への執着やこだわりがあり、十何年または何十年と力を注いでいるものであれば、圧倒的な力が漲(みなぎ)っています。
「年を重ねればいい」というわけではなく、
- 毎日
- 毎月
- 毎年
自分の作品や感覚と向き合って成長を続けてこないと、ここまでの作品は作ることができないのだなと思いました。
つまり、ちょっとやそっと美術をかじった人、例えば僕のような人がササッとラフスケッチをするのとゴッホやピカソがラフスケッチをするのとでは、明らかに価値が違うわけです。
以下、どこかで聞いた話です。
ピカソが、道端で女性から「この紙にスケッチを描いてくれませんか」と言われたので、30秒ほどで描いたので、彼女は「いくらですか?」と聞きました。
するとピカソは「100万ドルです」と応え、彼女は憤慨しました。
「30秒しかかかってないじゃないですか!」と。
その後ピカソは「30年と30秒です」と言ったそうです。
なるほど、面白い話ですよね。
僕はダンスを13年ほどやっていますので、「ピカソのレベル」とは到底言うことはできませんが、彼の言った意味がなんとなくですがわかります。
それがプロである線引きになるかどうかは別にしても、長い年月をかけてやってきたことに対して誇りがあって、自分がそれだけの価値をつけることは至極当然のことなんですよね。
作品からそんな年月の重みが滲み出てくるからこそ、人生をかけて画家を貫いてきた人の作品は何かが違うのです。
芸術って奥が深いのですね。
著名な作品の裏に失敗がある
先ほどの「費やしてきた時間」と似ているテーマでもありますが、彼ら著名な画家たちが描いている作品やスケッチの量は、マジで半端ではないんですよね。
この前「北斎づくし」という葛飾北斎のイベントを見に行った時にも、その異常さを目の当たりにしました。
北斎は、何十冊、いや何百冊という画集を書き続けた人生なのです。
それは他の画家も同じで、ものすごい量の素描きや構想や構成と言った努力が、1つの作品の裏にあることがわかります。
「画家」「芸術家」という1つの職業、あるいは職人とも呼べる洗練された時間の中で、実は多くの試行錯誤がなされてきたのだなと考えますと、時間をかけつつも数え切れないほどの失敗を繰り返すことが、彼らを「神の領域」へと導いたのかなとも思います。
当たり前のことかもしれませんが、彼らの最初の最初の作品であれば、たぶん僕らとそんなに変わらないと思います。
- 僕が最初はダンスが下手くそだったように、
- 全く英語がしゃべれなかったように、
- サウナが嫌いだったように笑、
誰しも最初からその道のプロになれたわけではありません。
- まず興味が先行し、
- そこから没頭し、
- 好きになり、
- やめられなくなり、
- いつのまにかものすごいレベルに到達している。
芸術家たちも、基本から始めて1つずつ試行錯誤し、その年月の末に素晴らしい作品を残しているのですね。
だから「この作品はよくわからない」と一蹴してしまうのは、作品の一部の側面しか見ていないということなのです。
僕も「芸術はよく分からない」と再三言いますが、美術館を回っていますと徐々に画家や芸術家の名前を覚えるようになり、わずかばかりですが「彼らの背景」を知るようになってきます。
すると今まで見てきた作品の裏にある年月や失敗、チャレンジの数々を想像できるようになりました。
僕自身もダンスを練習しているからこそ、「なるほど似ている部分もあるのだな」と少しずつですが理解できるようになってきたのです。
成功の裏には、たくさんの失敗がある。
「成功の秘訣は、最速で失敗することだ」とは、僕の尊敬している人の言葉です。
人生に小さな失敗はつきもの。
どんどんチャレンジしていって、彼らのような「偉人」を目指していきましょう。
おわりに
ふと始めた美術館めぐりでも、こうして日展のような一般の方々の作品を見ることで、また僕は新たな「考える材料」を得ることができました。
今でいう著名な画家や芸術家の周りには、鳴かず飛ばずのまま消えて行った作品も数多くあります。
「評価」とは他人がするものでもありますが、自分が信念や情熱を持ってやっていることには、誰しもが誇りを持っていいと僕は思っています。
確かに「それで食っていこう」となると難しいこともある世の中ですが、「人に評価されるためにやってみよう」と思っても、自分の本能と逆行しているものは結局どこかで破綻してしまいます。
まずは自分が「自信を持って自慢できる何か」を手に入れること。
その根源はやはり、
- 「興味」
- 「情熱」
- 「夢中」
などなのではないかなと思います。
僕も偉そうなことは言えませんが、
- ダンス
- ランニング
- 英語
- ブログ
などでいつかとんでもないところに到達できるように、ただただ続けるのではなく、試行錯誤して成長しながら、続けていきたいと思っています。
まだまだ30代はこれから。頑張っていきましょう。
それではまた!
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