こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日おふろの王様 海老名店に行ったところ、バチバチにととのったのですが笑、そこで普段見ないテレビをそっと見てみました。
テレビではクイズ番組が流れており、
「そういえば、僕も以前は好き好んでよく見ていたものだなぁ」
と思うと同時に、
「果たしてこの番組の意味って、一体なんなのだろうか?」
と疑問にも思いました。
今日は教員である僕なりの「クイズ番組論」を語っていきます。
基本的には勉強にならない
テレビとはどこまで行っても「受け身」の姿勢で見るものです。
- 「悪でしかない」
- 「価値がない」
- 「だから見てはいけない」
とは思っていませんが笑、僕は「テレビの価値」を自分なりに考えた上で、売ることに決めたのでした。
「ガリ勉」として机に向かって勉強していた僕にとって、クイズ番組は「どこか勉強になる感」があり、よく見ていたものでした。
自分の力が試されている感覚もあり、「ためになるなぁ」と思って時間を割いていました。
確かに「1ミリも役に立たない」とは言いませんし、昔見たテレビ番組(クイズ番組に限らず)を、いまだに覚えていたりするときもあります。
それでもやはり、自分が「受け身の姿勢」であることは変わらず、実際「何かが身についた」と思えたことはありませんでした。
ただ一方で、エンタメとして見る分には構わないと思っていまして、
- 「好きな芸能人やアイドルが出ている」
- 「回答者が『あー』とか『うー』とか言っているのを見たい」
- 「気持ちよくズバッと答えられる人を見ていたい」
と、何かしらの目的があれば良いのです。
しかし「勉強として見る」価値は、ほぼないと言ってもいいでしょう。
理由は2つあります。
- 今自分が勉強していることを聞かれているわけではないから。
- 効率が悪すぎるから。
「1」に関しては当然ですが、
「全くもって関係のない外野からボールが飛んできて、それを打ち返せ」
と言われているようなものです。
知識を問われ、それに答えられるかどうかの確認をされているだけであり、自分が今まさに勉強していることを聞かれているわけではありません。
仮に答えられたとしたら、それは「たまたま知っていた」だけです。
「クイズを本気でやっている人」は例外ですが、特に何も考えずにクイズ番組を見て、
- 答えられたからと言って、すごいわけではないですし、
- 答えられなかったからと言って、ダメなわけでもありません。
つまりそこに「意味」や「価値」はなく、厳しい言い方をすれば時間を消費しているだけだと言えます。
また「2」の「非効率である」という点については、
- 何かの資格のため
- 定期試験のため
に勉強している時間と違って、テレビはCMを挟みながら番組が続くことから、勉強として効率が悪いのは「火を見るよりも明らか」です。
- 何が問われているのかよく分からない番組に、
- 知識の定着がなされない時間を割く。
これは圧倒的に効率が悪く、「勉強になるから…」という意味で番組を見あさっていた「すずき少年」は、その価値をしっかりと考えていない「受け身の人間」でしかありませんでした笑。
もちろん、
- 番組内容をノートにまとめ、
- 後日ネットや書籍で調べ倒す
のであれば話は別です笑。
でも結局はその勉強時間のほうが、テレビを見ていた時間よりも身になっていますよね。
勉強はどこまで行っても、テレビではできません。
若かりし頃のすずき少年のような「クイズ番組はためになる!」という考え方であれば、それはきちんと改める必要があります。
クイズ番組の意図とは?
当然のことながら、クイズ番組が人気を誇る理由はあります。
あくまで僕個人の感覚ですが、
- 知識欲を刺激すること
- 家族で見ていて子どもと勉強できること
- 親による知識マウントができること笑
- クイズ王なるものを見ていると気持ちいいこと
- 応援したい人がいること
などでしょうか。
一番は、日本人の知識欲が旺盛だからだと思っています。
学校でも「勉強ができる=すごい」という方程式は健在であり、生徒たちもみんな勉強熱心です。
チャンネルを回している時にクイズ番組があった時、「どれどれ腕試しでもしてみるか」と思った人は少なくないでしょう。
実際、僕はそうでした笑。
そんな「知識欲」を満たすために、クイズ番組はあるのかなと思っています。
またクイズは「スポーツ性」もあり、チームに分かれて対抗戦ができることも魅力の1つです。
多くの人がスポーツに熱狂するように、たとえクイズの内容や答えがわからずとも、応援している感覚で見られるのは、クイズ番組ならではですね。
僕は好きではありませんが、以前は「おバカ解答」をする芸能人が集められ、本当に答えているのか台本があるのかは定かではありませんでしたが、変な答えに対して周りが笑うという構図が流行りました。
そうやって「自分よりもできない人がいる」と思わせて、視聴者を優越感に浸らせるのも、番組の意図としてあるのかもしれません。
僕は嫌いですけどね。
こうしてテレビは、様々な手法を使って視聴者の獲得を目指します。
テレビ番組の最終的な意図は、もちろん、
- 今度公開される映画の番宣(俳優女優が出演)
- 売りたい商品を問題に差し込む(例:この100円グッズはなんのために使うのか)
- 答えをCMの後にして、長く番組を見させる。
と言ったところでしょう。
僕が小学生時代の頃からあるパターンですので、それだけ日本の人々に馴染み深く、視聴率も安定しているのかもしれません。
自分のためになるかどうかを考えた上で、視聴するか決めたほうが良さそうですね。
本当の学びは、積極的な姿勢からしか生まれない
クイズ番組の視聴を「受け身」と表現しましたが、本当に何かを学びたい人ほど、積極的に知識を取りにいくべきです。
- 読書
- 資格試験勉強
- 参考書
- スクール
- 尊敬している人との会話
など地味なものばかりですが、こうした「勉強」でこそ知識は身につきます。
知識は「自分から学ぼう」と積極的になって初めて、身につくものだからです。
「エンタメとして…」と割り切ってテレビを見る分にはいいのですが、やはり「ただ時間が流れているだけ」ということのほうが多いです。
何かを学びたいと思ったのであれば、結局は「紙やペン」には敵(かな)いません。
ガリガリと必死に勉強し、アウトプットしていかなければ、知識は身につかないからです。
実はYouTubeにおいても、同じことが言えます。
YouTubeで「お金の勉強」をしていた時は、とても勉強になりました。
それは、実際に行動に移したからでした。
- 家計の改善
- 投資
- 使う力
は、僕の実生活に影響があったため、動画を見ても学ぶ価値がありました。
他にも例えば、
- 筋トレ
- ダイエット
- ストレッチの方法
なども「実際に自分で試してみる」ため、動画としては価値のあるものだと思います。
僕が驚いたのは「語学系のチャンネル」を見た時でした。
英語教師ということで、たまに興味本位でYouTubeの語学チャンネルを見るのですが、全くと言っていいほど身になりません笑。
「ネイティブならこう表現する」といったチャンネルがそれほど勉強にならないのは、その英語をリアルで使う場面が圧倒的に少ないからだと思っています。
もし本当に「ネイティブの表現」を身につけたいのであれば、
- 「くちグセ」になるくらいまで言いまくるか、
- 実際にネイティブと話している中で、彼らが使いまくっているのを耳にして、
- そしてそれらを真似して使う。
といった流れ/経験が必要不可欠です。
1回きりの動画視聴では「へーそうなんだ」と思う程度であり、テレビを視聴していることとなんら変わらず、身についてもいないですし学びにもなっていません。
日本語でも、覚えたての四字熟語やことわざを次の日に忘れてしまうように、かなりの頻度で使わないと、新しい表現は母語でも定着しないのです。
「一石二鳥」や「覆水盆に返らず」なら平気で使えても、「侃侃諤諤」や「勤倹力行」などは、僕は日常で使える気がしませんね笑。
このように、
- テレビだろうが
- YouTubeだろうが
- スクールだろうが
自分の姿勢が「受け身」である以上は、どれをとっても身にならず、継続していくことは困難です。
逆に言えば、積極的に学ぼうという姿勢さえあれば、どんな形でも知識は身についてきます。
特にテレビは最たるものですので、自分の貴重な時間のためにも、積極的に学ぶ姿勢を持ち続けていきたいですね。
おわりに
「クイズ番組」を切り口に、ソフトにテレビをディスってしまいました笑。
「だからテレビは不要なのだ」ということが主旨なのではなく、
- それによって奪われている時間
- 何も学んでおらずに流れている時間
- 学んだ気になっている時間
がもったいないと言いたいのです。
とはいえ人生は人それぞれですから、楽しみにしている番組があってもいいですし、誰か応援している芸能人やアイドルがいても構いません。
たまたま僕にはそれらが「ない」ですので、よりいっそうテレビ番組の「存在価値」や「重要性」を意識するようになったのでした。
本当の「学び」とは、
- 本や人から必死に学び取ろうとする姿勢
- 自分で実際に取り行った「体験」や「経験」
などから得ることができます。
決して、身の回りにある「なんとなく学べた感」を醸(かも)し出しているものに、惑わされないでくださいね笑。
さて、僕も机に向かって勉強するとしますか。
それではまた!
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