働いて運動して人と会って勉強して感動して【再び感じるスローライフ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

最近はコーヒーも一日で1〜2杯程度しか飲まないのですが、授業を始める前に、天気のいい秋の朝を感じ、

あぁ、やっぱり僕は幸せになっている

と、コーヒーを飲みながら、感慨に浸っていました笑。

以前も「スローライフ」について書いたことがあります。

もちろん、毎日動き回ってはいるのですが、学校にいた頃の忙しさとはまた違った意味で、かなり有意義な毎日を過ごしています。

今日は「僕のスローライフ」について、改めて書いていきます。

自分の人生をどうしていきたいのか。考えて軸を確立して、成長して生きていこう。

忙しいのにゆとりのある不思議

日本に帰ってきてから、もう少しで1年になろうとしています。

僕の生活はどうなってるんだっけ?

考え直してみますと、自分なりには、

やりたいように生きることができている

と思えています。

公務員時代のような、「経済的な余裕」はないのですが笑、それでも株を崩さずに生きていけているので、

まぁ及第点かな

と思っています。

コロナ禍から今にかけて(というよりそれより以前から)、ずっと人生や自分の生活について考えてきたものですから、

  1. 何が必要で
  2. 何が不要なのか

をすでに理解しています。

もし本気の本気で、

いや、今これが本当に欲しい!これがないとやばい!

なんて思うものは、帰国してから特に感じたことはなく、むしろ「新しく何を生み出せるか」を考えなければならないなと感じています。

大変だった以前の勤務形態に比べれば、

  • 教育事業で感動して
  • 時に人に会いに行って
  • ダンスやランニングをして
  • 自分のために言語学習をして
  • 毎日好きな人たちに英語を教えて

そんな毎日を送っています。

すると、土日祝日関係なしに働いているのにも関わらず、

毎日刺激で溢れているし、同時に毎日が穏やかで安定している

と思えることができるものです。

何度か書いてきた通り、そう思えるのは僕に「裁量権」があるからなのだと思っています。

自分の人生を、自分で舵をとってコントロールできている

ということなのです。

忙しくしているのも自分ですし、生活水準の上げ下げも自分で行えます。

生活がキツくなったら節制すればいいですし、どうしてもやりたいことがあったら始めればいい。

この『自由度』から、どんなに忙しくしても、

自分で忙しくしてるだけ

と思えばいいだけの話になります。

これが「忙しさ」と「余裕さ」を、同時に生み出しているの理由なのかもしれませんね。

金銭的な余裕がなくても、それを超えるくらいの自由度がある。それだけで、僕の生活はより豊かになったのだ。

目指す生活はもう手に入れた?

個人的には、先述したように「やりたいこと」で毎日が溢れていて、縛られていた時よりも自由度が高いです。

もともと生活水準が低いものですから、ちょっと贅沢ができれば、もうそれだけで嬉しくなってしまうのも「お得」ですけどね笑。

だから、

僕が目指していた幸せは、もうある程度手に入れたかな

と、そう感じています。

まだ目指すとすれば、今はとにかくキャッシュがないので、それを徐々に増やしていくことですかね。

そこにある程度の余裕が出てしまえば、

  • 公務員時代の安心感
  • + 自由度のある生活

を得ることができます。

オンラインで英語講師の仕事をしている限りは、基本的にキャッシュフローがなくなることはありません。

そういった意味で望むのであれば、

  • もうちょっと単価を上げる
  • 何か新しいことを生み出していく
  • キャッシュを厚くして余裕を持たせる(←すぐだから頑張れ笑)

といったところでしょうか。

インスタントコーヒーを朝に淹れて、あとはいろんな生徒さん(リピーターさん&新規さん)たちと話しながら、英語を教えること。

こんな大したことのない生活でも、

僕は十分幸せである

と断言できます。

決して、誰かと比べて相対的に言っているのではありません。

人によって幸せの定義とは、それぞれ違いますからね。

“僕にとって” 幸せなのだから、それでいいのです。

もし仮に手元に1億円があっても、たぶん生活はそこまで変わらないと思います。

  • 別に豪邸に住みたいわけでもないし
  • ずっとYouTubeを見てても飽きるし
  • 南国のビーチに行ってダラダラ遊ぶのもつまらないし

結果的にまた同じように働いていると思います。(あるいは新しい事業の資金にするか)

そう考えると、本当にキレイごとではなくて、

お金の前に、考えるべきことがあるんだよなぁ

と再確認させられますね。

富や名声は誰もが求めたいものだと思われがちですが、実はそうでもありません。

あればあるに越したことはありませんが、考え方が十人十色であるように、ゆったりとした最低限の生活を望む人もいます。

だから、「自分」が求める人生を描いていきましょう。

そのために、たくさん「内省/内観」しておくと良いですね。

結局は自分の求める「幸せ」を意識して求めていくことだ。富や名声が欲しい人はそれでもいい。ただいつでも、それだけが全てではないのだ。

成長することもまた幸せ

先日、元生徒たちの青春に感動したように、僕が生活に幸せを感じていても、

「スローライフ = 人生あがり

というわけではありません。

  • 感動
  • 興奮
  • 冒険

を追い求めていくのもまた、僕の人生では大切なことでした。

去年に「大冒険」を終えた僕は、

次に何ができるだろうか?

と、すでに幸せであるのに、日本に帰ってきてからもまた「新たなこと」を求めて動き始めました。

  • 新しい事業
  • 言語学習の動画撮影

など、まだまだ小さいことしか始めていませんが、とても楽しくやれています。

ワクワクすることや、変化に合わせて何か新しいことに取り組んでいくこと。

これもまた生きていく上で必要なことです。

そうそう。

どうせこいつ(せいじ)の人生も、一回しかないしな

と、俯瞰して「自分」を見れば、何もせずに安定しすぎることもまた、

  1. リスクがあり
  2. エキサイティングではない

のです。

日々新しいことを求めながらも、一方で安定させてルーティンもまた忠実に守ること。

このバランス感覚を持っておきますと、柔軟に動けますし、人生をより豊かにすることができます。

ここだ!

というところですぐに動けますし、そもそもの自由度は高いです。

すでに幸せな人生だとしても、時に一歩踏み出して新たなことに挑戦し、成長していくこと。

これは僕が「先生」だったからこそ、感じていることなのかもしれません。

でも、別に “使命感” からやっているわけではありません。

ただただ、

そのほうが人生が豊かになる

そのように本能で感じているのですね。

安定もいいけれど、しっかりとゆっくりと、前に進むこと。

いつまでも挑戦し、成長していきましょう。

僕は以前より幸せになった。でもそれは人生の終わりを意味するのではない。これからも挑戦し続け、成長していくのだ。

おわりに

学校の先生をやめてから、もうすぐで2年が経とうとしています。

何度も書いている通り、そこで得られた感動や、安定した生活には感謝しています。

一方で、自分で取捨選択していくのであれば、それは誰にとっても「正しい」道だとも言えます。

僕は昔に比べて、「常に自分の心の声」に従うようになっていました。

スティーブ・ジョブズも言っていましたね。

心と直感に従う勇気を持ちなさい。

それは、あなたのなりたいものが何なのか知っているものだ。

それ以外は、二の次でいい。

みなさんは自分の心の声を聞けていますか。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました