改めて人の命について考えてみる【世界は暴力に頼ってはいけない】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

今朝、しんどいニュースを目にしてしまいました。

チャーリー・カーク氏と言えば、僕はにわかなのですが、討論している動画が話題であり、

  • 並外れた知識量
  • 間違いない討論力
  • 全てを受け入れる包容力

と、誰もが羨(うらや)むような素晴らしいパーソナリティを持った人物でした。

彼は31歳という若さで、この世を去ることとなりました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

悲しんでいるのは、僕だけではありません。

アメリカが、日本が、いや全世界が悲しみに暮れ、「もうどうしたらいいのかわからない」と嘆きながらも、

残された我々が、次へと歩を進めなければならない

と、新たな決意を胸にしています。

今日は漫画ワンピースを交えながら、「人の命」について書いていきます。

世の中理不尽なことだらけだ。そこに命をかけて戦う戦士たちの残した灯火は、ずっと残り続ける。

複雑な気持ち

僕も自分の父を亡くした時は、本当にどうやって生きていったらいいのかわからなかったものでした。

一方、彼は一部の過激なグループから狙われ、命を落としました。

僕はおろか、近くで彼と一緒に過ごしてきた友人や家族は、もう本当にどうしたらいいのかわからないことかと思います。

多くの日本国民ですら、Xにおいて多くの投稿をしていて、

これから日本と手を組んで、世界をよくしていける前途ある若者だった

と思っていました。

僕はにわかながらも、彼が来日していたことは知っていましたし、彼の討論の動画はいくつか拝見していました。

ここまで論理的でありながらも、相手を受け入れることのできる感情的な人なんて、なかなかこの先現れないだろう

と思っていた矢先のことでしたから、この僕ですらショックが大きかったです。

しかし、ここでグッと堪えるために、僕はすぐにワンピースのジンベエの言葉を思い出しました。

彼は兄を失ったルフィに対して、

死ぬのも彼の自由。彼の人生だ。それは彼が選んだことなのだ

といったことを伝えます。

カーク氏はあれだけ柔和で聡明に語りながらも、どこかで自身の知名度の危険性を理解していたのだと思っています。

  1. 彼は彼なりに戦い
  2. 彼なりに最期を迎えた

のですね。

もちろん、暴力が正当化される世界であってはいけません。

ただ、彼が選んできた道を否定することは、誰にもできないのです。

悲しくてぐちゃぐちゃな気持ちになるかと思います。

それでも僕は、先ほどのジンベエや、以下のゾロの言葉を思い出します。

災難ってモンはたたみかけるのが世の常だ

言い訳したらどなたか助けてくれんのか?

ゾロも命をかけて海賊となり、その人生に覚悟を決めて生きています。

この社会のどこに、自分を嫌う敵がいるかわかりません。

会社や学校ですら、間接的な「攻撃/嫌がらせ」があるのですからね。

厳しい見方かもしれませんが、むしろ「それが世の中だ」と思うことが、普通なのかもしれません。

苦しくて悲しい気持ちになることもある。しかし海賊たちが命をかけて海に出ていったように、侍たちがいつも死を意識していたように、僕らはこの世の理不尽や不条理を受け入れていかなければならない。

どうしても暴力に頼ってはいけない理由

若かりし頃の僕は、なんといってもリベラル派であり笑、自分の気にくわないことがあれば噛み付いていたものでした。

もっと自由でいいじゃん!ルールなんか取っ払おうぜ!柔軟に行こうぜ!

と。

多分、30歳くらいまではそんな感じだったと思っています。

ある意味、リベラルな時とは非常に危険で、

  1. なんの根拠もないくせに
  2. なんでも解決できると思っている

フシがありました笑。

いわゆる「お花畑」ってやつです。

川崎というヤンキーの街に生まれたこともあり、僕自身は格闘技や争いはキラいだったものの、どこか好戦的だったとは思っています。

これがとても危険なんですよね。

多少なりとも、

なんでも暴力で解決できる

と思っているからです。

しかしそれは一番弱い人間のやることであって、むしろ「自分には何もできなかった」という弱さの証明でもあります。

だから僕たちは、

  • どんなに悲しみに暮れても
  • どんなに憎しみに囚われても

暴力で反応してはいけないのです。(正当防衛や取り締まりは別の話)

暴力が結局何を生むのか。

新たな「暴力性」なのですね。

ワンピースのファンの一人が「なぜ主人公のルフィは、相手の命まで奪わないのか?」という問いに対し、

相手の信念を折ることが、勝利を意味するからだ

と言っていて、なるほどと感じました。

ワンピースでは、かつての悪役がルフィの助けに回ったり、どんどん「彼の取り巻き」は大きくなっていきます。

こうしたムーブメントを、カーク氏は作っていたのかもしれません。

だからこそ、彼を潰したい勢力があったのでしょうけれどね。

それだけ暴力よりも脅威だと思われていたものとは、彼の考え方や姿勢、いい意味での「思想」だったのです。

ワンピースは海賊の世界ですから、暴力あってのストーリーではありますが笑、このストーリーの中にある「戦い」の根底には、

  • 仲間
  • 仁義
  • 友情

などが盛り込まれているため、それが人間の本能に訴える「格好良さ」を有しているのです。

暴力に頼っていいのならば、「戦争を起こせばいい」という発想になります。

それは絶対に避けなければならないこと。

僕らは今、カーク氏の死を持って改めて、「命」について考えさせられているのです。

悲しみや苦しみに暮れても、また新たな憎しみや暴力で返してはいけない。もっと脅威となるのは、人とのしての格好良さなのだ。

受け継がれる意志

漫画ワンピースでは、巨大な敵(現段階では世界政府)と戦ってゆくルフィたちの世代が描かれていますが、彼らの過去のシーンにも重要な意味が込められています。

例えば海賊王ゴール・D・ロジャーのセリフは以下のものですし、

“受け継がれる意志”

“人の夢”

“時代のうねり”

人が「自由」の答えを求める限りそれらは決して止まらない

海賊黒髭マーシャル・D・ティーチも、

人の夢は!!!

終わらねェ!!!!

と言っています。

カーク氏が残した功績とは、多くの人の胸に残り、いつまでも炎として燃え続けます。

命を奪った側は、何も考えていないかもしれませんし、「やってやった」と思っているのかもしれません。

しかし人の死とは、実は容易く奪えるものでもあれば、永遠に奪えないものでもあります。

人はいつ死ぬと思う…?

…人に忘れられた時さ…!!!

これは、ドクター・ヒルルクの名言です。

誰もが脅威に感じるものとは、この「想い」なんですよね。

だから中国では、王族同士の争いの時は敵の「血筋」を根絶やしにしました。

根っこから絶っておきたい

と思っていたからでしょう。

逆に言えばカーク氏の灯してきた「火」とは、何千何億の人の元へと届いており、それが業火となって人々の魂を震わせているのですから、それは強大なものです。

漫画ワンピースでも、海賊や侍たちが死に際に放つその “一言” だけで、多くの人がその意志を継いで「今」を戦っています。

人の命とは軽いものではありませんし、他人がそれを奪うことは決して許されることではありません。

しかし、その灯火を絶やすことなく燃やし続けることができるのもまた、残された僕らであることも事実です。

それを次の代へと引き継いでゆくこと。

そのためだったら、命を賭けてもいい

カーク氏もワンピースのキャラクターたちも、そして日本の、世界の先人たちも、暴力に屈しない「意志」を残すために戦い、散っていったのだと信じています。

だからその意志を、下の代へと繋いでゆくのです。

人の命は、簡単に奪うことはできない。先人たちが残した意志とは、多くの人の心で灯火となり、燃え続けるからだ。その灯火を絶やさず、生き続けていこう。

おわりに

実はこのブログに綴っている内容も、

どこかの誰かの役に立てばいい

と思っているものであり、それが残り続けると思えれば嬉しいです。

僕の場合、カーク氏のように議論を重ね、世界中の多くの人の魂を変えているわけではないですが、こうした「意志」とはどんどん引き継がれてゆくものだということは、ブログを続けてきた僕も実感しています。

自分の意志を残すことができれば、僕はそれで本望ですかね。

もしその時が来たら、その時は潔く散りましょう。

それではまた!

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