こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
この記事を持って1,300記事目となりました。
ここまで続けることができたのも、みなさんのおかげです。
ありがとうございます。
いつもいろんな方から、
とお言葉を頂戴する時があります。
でも僕には、なんの才能もありませんでした。
だから才能のない僕は、昔から「継続」だけをしてきました。
今でもそれは変わらず、
- 言語
- ダンス
- ブログ
- 筋トレ
- ランニング
と、多岐にわたって継続をしています。
今日は1,300記事目に寄せて、「才能のない僕がしてきたこと」について書いていきます。
才能のない僕がやるべきこと
昔から特に秀でた才能のなかった僕に残されたことは、ただただ「続けること」しか残されていませんでした。
その中に「勉強」があり、
と思って、必死に勉強してきました。
と、もしかしたらそう思っている人もいるかもしれませんが、僕にとっては「本当に何もなかった」ものでした。
- 音楽などの芸術的なタレントは一切なく
- 小さい頃からスポーツをやっていたわけでもない
平々凡々とした学生時代を送ってきたものです。
その中で唯一僕ができたことが、「継続」だったのです。
今も「始めたこと」に関しては、ある程度責任を持って続けることにしています。
いえ、別に責任なんて本来ないですし、いつやめてもいいんですけどね。
ただ、僕が何か継続していることをやめるということは、おおげさに言えば「何かを失うこと」だとも言えます。
だって僕には、“何もない” のですからね。
英語やダンスも、別に才能に溢れていたわけではありません。
ただただ継続し、ただただやめないで今にいたっただけです。
もちろん、その中で努力もしてきました。
一方で公務員(教員)の時は、どこかであぐらをかいていたのだと思います。
とね。
そこで止まった学習や、自堕落で非生産的だった毎日は、振り返って見るとなんの輝きもない生活でした。
だから僕は、今もこうして続けることに固執しています。
それをやめることも一つの英断だと思いますが、それで失うものがあることもまた、僕は知っているからです。
続けることで到達できたこと
ただ、
と言ってくれる友人もいます。
だからこそできたこともたくさんありましたしね。
もし僕が英語やダンス、ブログなどをやめても、また新たな世界線があったかと思います。
しかし、こうした継続の上に繋がれた人たちがいたことも事実でした。
世界を旅していた時もいろんな人たちと出会えたのは、僕がずっと発信し続けていたからでした。
しかしみなさんは、
「この継続が『お金』へと繋がること」
こうした “成功談” を求めているのではないでしょうか。
そう言われるのもごもっともだと思います。
別にブログが収益に繋がっているわけではなく、この前は「缶ジュース一本分」の金額が口座に振り込まれただけでした。
それでも僕が続けるのは、このブログや趣味のダンスなどが、いろんな「繋がり」を生み出してくれるからです。
先日も、ブログを読んでいた後輩から、
と連絡が来ました。
僕はコロナ禍でいろいろと人生について考えましたが、どんなにお金を持っていても、こうした「繋がり」を失ってしまったら、人生は何も楽しくなくなってしまうと悟ったのです。
そういう意味では、非常に抽象的かもしれませんが、
こう捉えるようにしています。
仮にそう言われても、僕はそれでいいと思っています。
だって現に、それで幸せを感じることができているのですから。
僕がこのブログを続けているのは、
- 人生を豊かにすること
- 幸せを求めて生きてゆくこと
が目的です。
そうした意味では、まだまだ稼げてはいないですけれど、目標を大切にしながら書き続けられてはいるのかなと。
具体的に「何か」を達成するために継続することももちろん大事ですが、現状「素晴らしい繋がりを持つこと」ができていれば、それでいいんじゃないかなとも思っているのです。
新しい自分になる
続けていますと、いろんな視点も持てるようになりますし、その道に深く入り込むことができるようになります。
僕が継続してきてよく思うことは、
ということです。
生徒さんに英語を教えていますと、多くの方が、
と言ってきます。
結論から言えば、それは「不可能」なのです。
それでも、ある程度の負荷の下で毎日しっかりと続けていくことさえできれば、「目指している自分」に近づいていくことができます。
継続していますと「小さな変化」を毎日感じることができ、それが積もり積もって、
- 1ヶ月後
- そして1年後…
と、「大きな変化」へと繋がっていきます。
それを感じることができるのは、皮肉にも「続けてきた人」だけなんですよね。
僕は僕なりに「継続するしかなかった」とはいえ、そのおかげで得られたものもたくさんありました。
そんな「今」を、僕は生きています。
継続の上に、あるとは思っていなかったはずの「変化」が、なぜかある。
それはたぶん、
- 継続の中で
- 成長し続けているから
なのかなと思っています。
ブログに限らず、好きで続けているものの中では、必ず「変化」が起きます。
「変化のある継続」とは、そこにポジティブな意味が伴っているものです。
そう思える、そんな変化であるはずなのです。
継続している人ならわかると思いますが、「成長」が伴って初めて、それを “継続” と呼べるのではないかなと。
僕が、
「あぐらをかいていた公務員(教員)の初期」
は、本当になんの成長もないまま(仕事は覚えていましたが)、毎日が過ぎていきました。
あれを「継続」と呼ぶことは、僕には到底できませんでしたね。
今の僕は常に試行錯誤を繰り返しているため、
と思えています。
僕は今日もまた、新しい自分に向かって続けていくのです。
おわりに
続けていますと、それが当たり前になってきます。
すると他の人から「異常視」されます笑。
でも、才能のなかった僕には、これしかありませんでした。
そのおかげで得られたものも、本当にたくさんありました。
だからこれからも愚直に、かつ新しい自分を目指して、毎日頑張っていこうと思っています。
それではまた!
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