ブログを続けてきた男が次に目指すもの【1,500記事目に寄せて】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

この記事でいよいよ1,500記事目となります。

みなさん読者さんたちのおかげで、ここまで来ることができました。

とても感謝しています。

時に批判をされたこともありましたが(ほぼない笑)、僕は変わらずにとことん突き進んでいくだけです。

いつも100記事ごとの節目には、こうしてブログを書いているのですが、今日もまた「継続」について書いていきます。

僕には継続しかない。いつまでも続けていればきっと何かが生まれるはずだ。発信して自分を出していこう。

凡人なら凡人らしく生きる

さて、こうして4年以上続けているブログですが、収益は特に変わっておらず、月に200〜300円ほどです。

あまり一喜一憂する気はありませんが、チャートを見ていますと少しずつ増えているような、そんな気もします。(気のせい笑)

元はと言えば「副業の一環」として公務員の時に始めたこのブログでしたが当然、当時は収益化なんてできもせず、

稼ぐのは夢のまた夢なんだろうなぁ…

と思いつつ、葛藤しながら続けていました。

でも途中で気づいたのは、

お金じゃないんだよなぁ

ということ。

もちろん、これだけ時間を費やしているのですから、お金にならなければただの趣味です。

結果的にお金になったからよかったものの、当時は本当に悩みました。

でも僕は凡人だから、凡人は凡人なりにお金を度外視して、まずは続けてみろ

そう、自分に言い聞かせましたね。

このブログは、いわば凡人である僕なりの生き方の象徴なのかもしれません。

何かを発信することって怖いですし、どこから何が飛んでくるかわかりません。

それでも、何かを得るためには何かを犠牲にする必要がある。

天才はその天賦の才を受けてもなお、努力できるから “天才” なのです。

僕は凡人中の凡人

だから、継続でしか戦うことができない。

けれど、積もった塵(ちり)はいずれは山となる。

凡人であることを理解できていれば、自分が何をすべきかは一目瞭然です。

ブログの継続すらできない人間が、何か大義を成すことなんてできっこないからです。

だから僕は僕なりに続けてゆく。

それができなければ、僕は本当にただの「凡人」なだけでしょう。

僕は普通の人間だった。だから続けることでしか戦えなかった。それすらできなければ、僕は今頃何者でもなかっただろう。

続ける勇気

時に誰だって、続けたくない時や諦めたい時があるはずです。

僕も例外ではありませんでした。

続ける」ということは、すなわちそれは「一生続けること」を意味します。

何かを始めてしまったのであれば、それはずっと続けなければなりません。

  • そこに割かれる時間
  • そこに割かれる労力

などを考えれば、

それを続ける勇気がない…

と思ってしまうことでしょう。

でもそうやってわからないながらも、みなさんはだって “何か” を続けてきたはずです。

  • 仕事
  • 勉強
  • 趣味
  • 部活動

確かに、生きるためにしている「仕事」に関しては、

続けざるを得ないのだ!

と言う人もいるのかもしれません。

でも僕にとっての仕事とは、今となっては「生きるため」というよりも、本当の意味で「人生を豊かにするため」のものだと思っています。

そういった意味では、このブログも「人生を豊かにするため」に行なっていると言ってもいいでしょうから、仕事と変わりません。

じゃあせいじは、続けた先に何を見ているの?

と言われますが、そんな未来のこと、知ったことではありません笑。(おい)

でも少なくとも言えることとは、

  • 自分の思考の整理になった
  • 続けたことで出会えた人もいた
  • 資産となってお金を生んでくれた

と、豊かになるための要素が、ふんだんに盛り込まれていたということです。

わからない未来に対して、

これは意味がないから続けるのはやめにしよう
時間をムダにしたらイヤだし、安定した人生にしよう

と、勇気を持てない人もいるかもしれません。

僕からすれば、

その先のことなんて気にすんな。目の前のことを必死でやれ

と思いますね。(偉そうに笑)

一応、ここまで続けてきましたから、ある程度は言う権利もあるのかなって笑。

僕は、

  • 未来がどうなるかなんて
  • 再現性があるかどうかなんて

ほとんど気にしてはいません。

「自分にとっていいもの」に対して時間をかける勇気。

これだけがあったんじゃないかなって、そう思っていますね。

何かを続けるとなると、それは一生続けなければならないものなのかもしれない。先のわからない未来に対して不安もある。それでも、自分にとっていいと思えるものを選び、続けていこう。

何かを発信すること

このブログを4年以上発信していたということは、

「約3,000文字 × 1,500記事 = 450万文字

相当を書いたことになります。

これは本で言いますと、30〜40冊ほど書いた計算になります。

それだけ、「自分の気持ちを世に出した」ということです。

僕が思うに、この「発信すること」は非常に大切なことだと思っています。

もちろん、

発信してないやつはダメ

と言っているわけではありません。

ただ、僕が学生の頃や教員の頃は、

「自分の意見を何も言わずして、サイレントな状態でいる人たち」

を見た時に、

えーっと、意見とか何もないの?じゃあなんでそこに座っているの?

と思っていました。

SNSで発信することとは別の状況だとは思いますが、それでもやはり「何かを出している人」は圧倒的に強いです。

誹謗中傷、グチやネガティブ発言といった「しなくていいもの」も世の中にはありますが、自分なりの意見を伝えることに、何も悪いことなんてありません。

誰かを傷つけたいわけではなくて、

僕はこう思う。みんなはどう思う?

と、意見を主張しているだけですからね。

このブログを通して僕は、

  • 凡人なりの意見
  • 自分が経験したこと
  • まだまだ勉強中の知識

など、本当にありとあらゆるものをアウトプットしてきました。

そのおかげで考え直したこともありましたし、多少なりとも意見を変えたこともありました。

わかったことは、

発信しなければ誰の目にも止まらなし、説得力もない

ということ。

ブログをただただ日記として書いているのではなくて、

  1. 思うことを発信し
  2. みんなに考えてもらった

ということをしてきたのだということです。

回り回って、自然と誰かのためになっていたのであれば、それは本望です。

だからこそ何か言われることもありますが、みんなに好かれたくてこのブログを書いているわけでもありません。

発信し続けていれば、

  1. 共感する人も出てくるし
  2. 反対する人も出てくる

というだけのこと。

しかしこれは、生きていく上でとても大事なことです。

誰かの意見になびき続けて意見を言えないなんて、それは自分を持っていないことと同値だからです。

いろんな意見を出し続けるからこそ、議論が巻き起こる。

行き過ぎた「過激な発言」や、人を貶(おとし)めるようなことはしてはいけません。

でも意見がなければ、僕はただ黙って生きていることと一緒だと思ったのです。

だから僕は発信し続けます。

これは一つの「生の証明」でもあると思うのです。

何かを発信し続けていこう。ただただ黙って意見を持たないでいるなんて、それは僕にとって、存在していないことと一緒だと思ったからだ。

おわりに

書き続けて1,500記事目。

いつ僕が勝手にこのブログをやめようとも、誰も気づきません。

僕がXやインスタなどでやめていった人のことを気にしていないように、やめることのほうが圧倒的に簡単なのです。

茨の道でも歩くことが、今の僕には必要なことですね。

だから歩き続けます。

みなさんとともに。

それではまた!

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