こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
1週間くらい、とりあえず友人たちと「朝活」を続けてみましたが、やはり人と話すことは精神衛生上いいものですね。
僕は2022年からストイックさを増すようになりましたが笑、こうして健康で元気にいられるのは、他でもなく「周りで支えてくれた人々」のおかげでした。
そう思っている毎日です。
今日は「まず自分から元気を与えること」について書いていきます。
まずは自分から
僕は朝が苦手だったこともあって、自ら朝活を始めました。
続けていますと、やはりだんだん元気になっている自分がいることに気づきます。
先生という職業柄、「人に教えている時間」が一番気持ちいいんでしょうね笑。
昔の僕だったら、
と思っては、言い訳を並べてイベントの企画をしていなかったものでした。
でもこうして「自分で事業を進めていかなければならない」という窮地に立たされますと、何かを始めることに対して抵抗がなくなってきます。
今までの僕は「働かせてもらっている」という気持ちが強い、典型的な「使われる側」の人間でしたしね。
大切なことは、なんでもいいからやってみることです。
- 飲み会でも
- 人を集めることでも
- 何かサービスを提供することでも
「幹事になるのがダルい」とか、そう言った小難しいことは考えずに、
という気持ちが必要です。
「何かを始めた人」には、いろんな「利益」が降ってきますからね。
それは「お金」だけのことではありません。
- 自分のために
- 誰かのために
と思って始めたことは、リスクを取ることだからです。
精神的なものから物理的なこと(時間や体力)まで、「始める」には覚悟だけでないものも必要です。
それでも、「ちょいと始めてみること」が大したことではないと思えたら、その人の勝ちです。
自らリスクを取って始めたら、僕が「元気を与えるための場」になるだけではなく、「元気を受け取る場」にもなり得るのです。
人に与えていると元気になる不思議
朝活を始めてからというもの、また僕の人生は明るさを増しました。
その場に集まることで、思わぬ知識や情報を得ることができますし、「人と話す」ということは人を元気にします。
勢いで始めた朝活ですが、こうしていろんな人の「元気の交換の場」となるとは、あまり想定していませんでした。
「元気」とは、与えるほどなくなるものだと思っている人もいるかと思います。
確かに「TAKER(=奪う人)」と一緒にいますと、それが原因で疲弊してしまう人もいます。
僕は以前よりかなり「フランク」になりましたので笑、
と思ったら距離を置くようになりました。
でもこれは、とても大切な行動です。
と言ってくる人もいましたが笑、今思えばその人の自己満でしかなかったと感じています。
とはいえ今はそこまで気にせずに、僕は元気に朝活を進めています。
そして不思議なことに、
と思ってからは、どんどん元気になるものでして笑。
その元気を「分け与えられる人」になろうと思えるようになりました。
お金と同様に、元気もまた「プラス・サムゲーム」であり、枯渇することはありません。
という些細な気持ちが、結果的に僕を元気にしてくれます。
すると相手も元気になりますから、僕自身にもその「元気」がまた返ってきます。
始めに少しリスクをとってしまえば、あとはずっとその「好循環」に入ることができます。
たぶんですが、与えた時に、
- 感謝されたり
- 楽しそうな顔を見たり
することができるからなのかもしれませんね。
僕にとって「教員/先生/教育者」が天職であったように、誰かが生気を帯びて頑張っている姿や、楽しそうにしている姿が何より求めているものなのです。
すると、
と思えるものです。
僕らはいつでも元気になれる。
でもそれは、少しのリスクをとって自ら何かを差し出した時なのです。
相互作用して元気になる
元気になるためには、相互作用が必要です。
僕はたまに落ち込んだりもしますが、それでもこうして毎日を生きていけるのは、周りにいる多くの人たちに支えられて生きてきたからでした。
もし落ち込んだりしたら、そうしたプラットフォームを作っておくことは、実はとても大切なことなのかもしれません。
最近だとSNSがそんな “場所” になりつつあるでしょうが、やはり不特定多数の人から応援されても、本当の意味で満たされることはありません。
ただ人気のYouTuberやインフルエンサーが頑張れるのは、そんな中にも熱心に応援してくれる人がいるからだと思っています。
「ファン」という言い方は苦手なのですが笑、僕は単純に「応援してくれる仲間/友人」みたいなものかなと認識しています。
僕が発信を続けるのは、承認欲求があるからではなくて、単純にみんなと繋がっていたいからです。
数年前から始めた「恩返し」は、今でも続いています。
「相互作用」をするためには、まず自分が「受け取る側」の認識から一旦離れることです。
そのほうが「受け取ることができる」のが、「与えること」の面白いところです。
ある意味、僕に対して今まで「与えてくれた」人があまりにも多かったからこそ、僕は「返そう」と思ってしまいます。
これは僕にも言えることであって、
と思って与え続けていれば、
と思ってくれる人が現れるということ。
その「見返り」を求めてしまった時点で、考え方は「TAKER」ですけどね。
だって僕は、すでにもう「たくさんもらってきた」わけですし、今でもみなさんから元気をいただいています。
- 場を作ったり
- リスクを取ったり
することは、もうガンガンできるようになりました。
まだまだ未熟な部分もありますが、
そう思って何ごとにも取り組んでいます。
そのおかげで、僕はまた元気をもらって働くことができるのですから。
おわりに
僕が元気になるためには、
と言って、朝活のように場を作ってしまうようになりました笑。
逆説的ですが、
- お金が欲しければ
- 助けてもらいたければ
何かを与えることです。
でもその「与える」が、先に他人を助けていることになっています。
それを続けていくこと。
元気が欲しいからこそ、僕はこれからも仕掛けていくのです。
それではまた!
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